2014年10月30日

喪主の意向

一つのお葬式に関わる人々というのは本当に多くの人がいます。

関係者を区分すると喪主、遺族、親族、会社関係、所属する諸団体、

町内、友人といった感じです。

関係者にとって様々な考えあり、思惑があり、その人にとって葬儀の

進行上、意向とは違うことは毎回のことです。

結果として我々葬儀社に対して「こうしてほしい」「ああしてほしい」

という要望をこの関係者達が直接言ってこられます。

大局に影響しないことならば、すぐにリクエストをお受けできますが、

この意見を取り入れてしまうという事に対し、やんわりと拒否すること

が出来る魔法の言葉があります。それは

「喪主様の意向でございます。」

この一言の前には批判的なご意見に対しても叶わないのです。

もっとも私たち葬儀社も何でもかんでもこの言葉が使える訳でもなく

あくまでも喪主様のご意向を伺って、ご意向に沿っていないことに

対して喪主様に代り使うことができるのです。



現在のお葬式では喪主様の意向が通用するお葬式が圧倒的に

多いのですが、ひと昔前には喪主の意向は通用ほとんど通用しません

でした。隣近所はじめ町内の方は葬儀委員長になり、お葬式を取り

仕切り喪主の意向よりも葬儀委員長の意向の方が優先されるのが

一般的なお葬式でした。今でも社葬・お別れの会などは喪主の意向

よりも実行委員長の意向が優先されます。

都市部を中心に家族葬が持てはやされているのは、町内の方の

葬儀の参画が無くなったというよりは、参画を阻止したことのほうが

強いのです。家族葬が多くなっていけば行くほど、喪主の意向は強く

なりました。その代り、何でも喪主が決断しなければならなくなって

きたのです。近年の喪主とはある意味、悲しみに暮れる時間が持てなく

なっています。そして、意向が強くなると喪主の判断が間違っている

場合でも誰も止めることが出来なくなってしまっているのです。

判断を間違えれば必ず失敗します。失敗しないお葬式をしない為には

プロの意見や関係者の皆様の意見に耳を傾けるだけの喪主さまの

度量は必要なのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:19 │お葬式の知識

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2014年10月28日

三浦生花店 ヒストリー その2

前回に続き、三浦生花店のヒストリーを書いてみます。


昭和38年 事業拡張により豊田市喜多町駅前通り(現名古屋銀行

豊田営業部の西隣)に移転しました。時代背景は高度経済成長の

元年でした。その結果、この影響により庶民の所得は増加しました。

おかげで花の購入者が増えてきたのです。なんといっても以前は

冠婚葬祭には造花花環が主体であったのが、主役が

「花(生花)」に変化したのです。

この頃、小売業から生花業に業態変化しました。経済の発展に伴い、

いたる処で小さな貸店舗が急増しました。オープンに祝い花を送る

傾向が増大した為、花の需要が高まりました。もちろん、葬儀の花も

派手になり、数多くの供花が売れていきました。売上に占める割合は

大きく変わっていったのです。

当時の営業品目は
一般 店売り 一般販売所 冠婚葬祭専用の花組み。
華道が盛んで、会社のクラブや家元、弟子宅に切り花の販売。
園芸品、花の種、花瓶、花器類などが主体であったのです。


昭和42年 長崎屋(豊田で初めての百貨店。)豊田店に支店を

出店しました。当時の豊田市の繁盛の中心地は長崎屋であり、

その頃を知る者は「本当にすごかった」の一言であったのです。

当時の花屋さんのイメージ形態として、大型店舗のテナントに入る

ことがステイタスでありました。

こうして、順調に花屋としての実績を積み上げていきました。

そして、年々増えていく葬儀に関するお花の需要から、昭和48年に

三浦生花店の中に葬祭部を設立したのがフューネの原点なのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:19 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月27日

三浦生花店 ヒストリー その1

今年、フューネは60周年を迎えますが、前身は花屋さんで

あったことを多くの皆様がご存じないのが実情です。

そこで花屋時代の三浦生花店のことを2回に分けて書いてみます。



昭和29年に豊田市竹生町ミツモトアーケード内貸店舗

(20店舗内の1つ)間口2間 奥行1.5間の3坪小さなお店から

家業として花屋をオープンいたしました。

創業者は私のひいおばあさんの三浦嘉です。

当時の時代背景は戦後の不安定な時期であり、三浦家は農業を

家業としていました。しかし、三浦嘉が目の手術に失敗して、農業を

生業とすることができず、商売を始めることになりました。

もともと、嘉の実家は商売を行っていた影響を受けて、夫の一三

(いちぞう)と一緒に開業に開業しました。

当時の花屋は今のように、ハウス物など一切なく、自然に咲く四季の

花を名古屋の大須にある市場に仕入れて小売をしていました。

また、豊田周辺は山野が豊富であり、ここでの枝物を採取して大須にて

売り、その代金を元手に更に仕入れをしていました。

それでも花屋だけでは喰えない状態が続きましたが、二代目である保と

その妻たけ子が家業を支援しました。二人の助けを借り、なんとか花屋

を続けることが可能となったのです。



一年を通じ、花が沢山売れる時期は限られていました。

一年を通しての販売品は「仏花」「サカキ」でした。当時の世相と

して、まだまだ神仏を崇める人が多く、先祖供養をする仏壇、お墓に

参る花、供養花などがありました。特に、神棚のサカキは月に二回交換

する習慣がありました(1日と15日)。とはいっても日常売れる花は

安価な小菊など雑花が主流でした。高価な花はほとんど売れない

のです。しかし、年に一度のかきいれ時期がありました。

最も売れるのは、年末の一週間。

普段つましく暮らす庶民は年に一度だけ贅沢な日を送りました。

新年正月の3日間だけは、どの家も松竹梅の花盛を飾ったのです。



次回に続く・・・


  

Posted by フューネ三浦 at 08:12 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月25日

北枕

人がお亡りなると、ご遺体として安置をしなければなりません。

葬儀社としてその際、一番意識をしていることは方角です。

一般的に北に頭を向ける恰好で安置をします。

これは仏教の祖であるお釈迦様がお亡くなりの際、北の方角へ

頭を置いて横になった“頭北面西”(ずほくめんさい)

いわれることから来ています。つまりお釈迦様がお亡くなりに

なった姿を真似ているのです。お釈迦様がお亡くなりになったことを

仏教用語で「入滅(にゅうめつ)」と言います。

入滅とは煩悩の炎が吹き消えた状態、宗教的解放を意味する解脱の

ことなのです。このような状態になるのが「死」とも言えるのです。




大原則、北に頭を向けて安置するのですが、安置する部屋の都合で

北側に頭を向けることが出来ない場合もあります。

そのような場合は「西」に向けるのです。これは前述の

頭北面西”(ずほくめんさい)の理屈を用いてお釈迦様がお亡くなりの

時に顔が西を向いていたことに由来するものです。

また浄土宗系の宗派ではあの世は真西にあると考えられていますの

で西を向くことは良いと考える宗派もあります。




葬儀会館での葬儀が全盛の昨今、ホールの都合で頭を北にも西にも

向けることができないホールも存在します。立地上仕方のないところ

もありますが、やはり、葬儀会館としては不完全です。

しかし、祭壇がある方が北とみなし、祭壇に向かって左側に頭を向ける

ことで西枕にするといったケースもあります。また、祭壇に向かって

右側に頭を向けるほうが上座だといわれるお寺様もいらっしゃり、

結構、葬儀社によって葬儀会館内の方角はまちまちなのです。



北枕は縁起が悪いと昔から言われてきましたが、縁起なんてものは

その人の考え方次第ですべて決まるものです。

方角の意識はお客様も最近ではあまり気にされなくなってきたのも

事実です。様々の考え方の中で「北枕」は案外少数派なのかも

しれません。












  

2014年10月23日

60周年 中部経済新聞に掲載されました。

10月21日付中部経済新聞第6面に私のインタビュー記事が

掲載されました。

今年60年を迎えるフューネの歴史やアイデンティなどを記事に

まとめて頂きました。

よろしければ是非ご一読ください。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:38 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月21日

挙母まつり 2014

毎年10月の第三土曜日、日曜日に豊田市中心部で行われる

挙母(ころも)まつり。今年は6年ぶりに挙母神社に行って山車の

曳きだしも見物に行ってきました。

市外の方にとっておそらく馴染みのない「挙母」という地名は豊田市が

豊田市になる前の市の名前であり、挙母市だったことの名残のある

名前です。現在の豊田市の中心部は挙母地区であり、私は子供の頃

から挙母っ子でした。挙母っ子にとって挙母祭りは特別な

お祭りなのです。




土曜日はフューネの本社前も山車が通ります。






日曜日の挙母神社は山車の曳きだしを観ようと境内を埋め尽くされた

人でいっぱいです。





16時の曳きだしを久しぶりに観ることができましたが、

圧巻な光景でした。






久しぶりに神社に行ったら多くの同級生にも出会うことが出来、

子供の頃に毎年参加したしていた頃の話も出来、懐かしさを

感じることのできる一日になりました。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:06 │社長のプライベート

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2014年10月19日

本籍とは

本籍とは一言で説明すると戸籍の所在場所です。

日本の現行戸籍制度において、戸籍に記載される人が任意に定める、

日本国内のいずれかの場所のことなのです。

本籍は現住所とは無関係に日本国内の地番があるところであれば、

戸籍に記載される人が任意に定めることができます。

つまりどこでもかまわないのです。

どこでもかまわないのですから、結果的に1か所の土地に何人かの

本籍が置かれることもあります。

日本で最も本籍にしている人が多い地番は

東京都千代田区千代田1-1-1

皇居の住所なのです。

他に人気の住所地は「富士山山頂」「 国会議事堂」

「首相官邸」「東京スカイツリー」

「甲子園球場」
などに本籍を置く人が多いのだとか。

とにかく、本籍地は自分は何者なのかを立証する書類の置き場所が

本籍なのです。



さて、本籍は現住所とは違い日常の生活の中でさほど、意識する

ことはありません。その為、自分自身の本籍がどこにあるのか

が解っていない方は非常に多いのです。

特に引っ越しを繰り返している方だとどこに本籍を置いてきたか

解らなくなってしまったり、何十年も前に以前の住んでいた場所に

本籍が残っていたりするものです。

人が亡くなると戸籍を抹消する必要があります。

厳密にいうと戸籍は抹消ということでなく、「死んだ」という事実を

書き加えることが多いのです。なぜならば戸籍は家族単位で

登録されており、その家族(親族)が残っている限りは残して

おかなければなりません。そうしないと自分の子孫たちが自分は

どこから来たのか、何者なのかが解らなくなるのです。




葬儀の打ち合わせの際には必ず、お亡くなりの方の本籍地を

ご遺族の皆様にお伺いします。前述すた理由で即答を出来る

方のほうが少なく、調べて貰うことになるのですが、以前であれば

「運転免許証に記載がありますよ」

とアドバイスをすれば良かったのですが、今は記載がありません。

これは結構不便なことなのです。

ご遺族の皆様は時として親戚縁者の皆様に聞くのですが、それでも

解らないこともあり、そのような時は現住所のある役所に出向いて

調べて貰うしかありません。

いざという時に慌てないように、現住所同様に本籍地を子や孫にも

情報を共有しておくことはとても大切なことです。


































  

2014年10月17日

ラブレター

相手の心を動かすには「感動」という要素は不可欠です。

今年、世の女子がもっともされてみたいこととして「壁ドン」

いうものが注目されています。「壁ドン」とは少女マンガから

派生したシチュエーションで強引な男性(※ただしイケメンに限る)

に壁際に追い込まれ、逃げ場なく迫られるもの。

世の女子はシチュエーションを想像しただけでも、思わず胸が

キュンとしてしまうものらしいのです。



「壁ドン」は男子にとって余程、自分に自信がなければ出来ない

テクニックだど思いますが、異性に自分の好きな想いを伝える

のに万人が使えるテクニックは「ラブレター」ではなくでしょうか。

私は自分の「好き」という想いを心を込めて書くことで相手に

伝えたいならば肉筆で書くものと思っていましたが、

どうも最近の学生さんは手書きのラブレターではなく

「LINE」を使うのだとか。

「好き」「愛してる」という言葉だけでなくスタンプも使用できます

からね。「LINE」での愛の告白。今の世情の象徴のようです。



さて、生きている人にはメールやSNSを使用して愛の告白をすること

が出来ますが、お亡くなりになっている方ににはその手法は通用しま

せん。お葬式ではよく手紙を書きます。送る相手はお亡くなりの方、

そして、既に天国に行っているはずの大切な人へ書くのです。

「お父さんありがとう」

「おじいちゃんありがとう」

などという代表的なものから、先に逝かれた奥様が旦那様に最期の

ラブレターを書いたりするケースが多々あります。

そして、その手紙は棺に入れてあの世に持って行って貰うのです。

お棺はあの世までの渡し舟であると思うから、既に亡くなっている方

への手紙も一緒に入れることができるのです。



インターネットを経由してどんなメッセージでも瞬時に送ることが

出来る便利な世の中でもそれは所詮、この世のお話。

あの世に想いを送るには心のこもった肉筆の手紙だけなのです。























  

Posted by フューネ三浦 at 08:21 │日々いろいろ

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2014年10月15日

アイドルタイム

辞書によるとアイドルタイムとは

①無作業時間。遊休時間。生産施設が稼働せずに労働力が空費されている時間。
② 流通のなかでの,物資の待機時間。


となっていますが葬儀社においては「待機時間」という意味合い

が強いのです。

葬儀という商品の性質上、本業の仕事は究極の発生主義であり、

かといってお客さまからのもしものご依頼に対応する為には

いくら暇でも社員を休ませる訳にいかない仕事です。




葬儀という仕事に就いた頃、先輩に葬儀社には「待機」という

仕事があるということを教えて頂き、待機時間に本を読んだり、

テレビを観たりして時間を潰してきました。特に夜間の待機ならば

仕事が入らなけれれば朝までしっかりと睡眠をとることができますし、

昼間には時として野球やサッカーなどを仲間として時間を潰していた

ことを思いだします。



しかしながら、今のフューネは「待機時間」の方が忙しいのです。

夜は夜で報告書や企画書を作ったり、資格試験・社内試験の

勉強をする貴重な時間であり、昼は自分の担当したお客さまへの

アフターフォローで時間が足りないくらいです。

今、葬儀社が葬儀だけをしていれば良いという時代ではなくなり、

またお客様もそれを望んでいます。お客さまの人生に関わる悩み事

の一切を請け負う覚悟がなければ出来ない仕事になっています。



どんな業種業態のお仕事でもアイドルタイムというものが存在します。

企業が発展していく為には、同業者との競争に勝つための要素は

「アイドルタイム」がすべてだと言えるのではないでしょうか。

少なくとも葬儀業界で成長している企業では昔の葬儀社のような

「待機時間」の時間の消費の仕方ではなくなっています。

待機時間が待機時間じゃなくなることが一番大切なことなのです。



20代前半の頃

「アイドルタイムにサービスを磨け」

という格言をある本から頂きました。

サービス業に従事する者として私が大切にしてきた言葉の一つです。


















  

Posted by フューネ三浦 at 08:32 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月13日

名刺 リニューアル

この度、弊社60周年並びにそうそうの森フューネさなげオープンに

伴い、名刺をリニューアルしました。



今回、初めてフューネのキャラクターを名刺にふんだんに使用した

デザインです。60周年のロゴも入っています。

そして、前回の4つ折り名刺から2つ折り名刺に変更。






前回の名刺は縦でしたが、今回が横に。

下の写真はこれまで使用していた名刺です。



名刺は自分の名代であり、肩書を含めてその時の時代背景を象徴する

ものです。今回の名刺は60周年のロゴが入っている関係上、使用する

のは一年間の限定になると思います。

そういった意味では貰った方はレアな名刺になるはずです。

これからの一年、またまた多くの人との出会いが楽しみです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:44 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月11日

中間が無い

先ほどまで、快晴であったのに突然、激しい雨に襲われるゲリラ豪雨。

昔ではほとんど無かった自然現象に私たちはいつしか慣れていること

にある種の恐ろしさを感じます。比較的長い間しとしと降る雨は風情が

ありますが、そのような雨の風景はだんだんと少数になっていき、

雨がたくさん降るか全く降らないかという二者択一が出来るような

状態です。



お葬式の形態もだんだんと中間が無くなってきています。

何を持って中間かという定義は難しい線引きですが、あえて言うならば

標準的なサラリーマン世帯の平均寿命近くの年齢の方が亡くなり、

隣近所の皆様と喪主の職場の皆様中心の会葬者が見込まれるお葬式。

と表現しておきましょうか。

家族葬などの参列者を限定して比較的小規模なお葬式や会社経営者

などが亡くなって、社葬・お別れの会といった大規模なお葬式は減る

ことはまずありません。



ゲリラ豪雨ならぬゲリラ葬儀も増えてきています。

今の時代はメール、SNSなどの電子的ツールが簡単に使えます。

例えば、小学校・中学校時代の恩師の先生が亡くなってしまった場合、

繋がりのある一人の生徒がそれを知り、メール、LINE、

Facebook等で情報を発信してしまったら、恩師の訃報は

世界中に広がります。

私もそうですが、近年、学校を卒業してから全く繋がりのなかった

同級生とFacebookを通じて「再会」していますから、昔以上に

情報は広がるはずです。

その結果、ご葬家もわれわれ葬儀社も全く想定をしていない弔問の

お客様が会場にお越しになられるといったことが起きるのです。

一旦、情報が拡散してしまうともはや予測は不可能な領域まで

いってしまうこともあるのです。



気象状況に限らず、物事は時代とともに変化をしていきます。

絶対に同じ事象はないのです。

多くの日本式ビジネスにとって「中間」といわれる位置の顧客を

ターゲットとしたビジネスモデルが出来上がっているのですが、

「中間」といわれる層が次第に薄くなっている昨今では、

以前のビジネスモデルは通用しなくなっている業種業界が

多くなっています。










  

Posted by フューネ三浦 at 09:11 │お葬式の知識

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2014年10月09日

朝食

最近、全国各地に泊まりで出張に行ったり、毎週の倫理法人会の

朝食会などで多い月には月の半分くらいとホテルで朝食を食べて

います。ホテルによって様々な朝食が用意をされていますが、

連泊のお客様ようにと一日毎に内容が少しだけ変化しているという

気配りはどこのホテルでもあります。それぞれのホテルによって

名物があり、定宿のホテルの食事は楽しみなものです。




朝食といえば、名古屋の喫茶店は全国的に有名です。

コーヒーなどのドリンクを注文するとパンなどが無料でついてくる

サービスは名古屋ではあたりまえなのですが、他の地方にいけば

びっくりされるサービスです。最近名古屋発の大手喫茶店が関東や

関西に進出して大変繁盛しています。いつしか名古屋の喫茶店文化

が日本の常識になって行くのでしょうか?




1993年にフューネが葬儀会館の一号店「葬場殿」をオープン

させて以来、葬儀社がお客様の朝食のことを考えなければ

ならなくなりました。

葬儀会館には遺族・親族の方が通夜の後、お泊りになられるケースが

大半であり、宿泊される人数も1人・2人の時もあれば、10人・20人の

親戚が雑魚寝をされることもあります。

その為、対応はその都度変わります。昔は女性スタッフが家で

おにぎりを作って無料提供していた時期もあり、料理店に朝食と

して手配していたこともありましたが、今はしていません。

ありがたいことに最近はフューネのほとんどの葬儀会館から歩いて

1~2分のところにコンビニがあり、基本的にお客様自身がお好きなもの

を買ってくるという方式に変えています。

コンビニが遠いところの葬儀会館のみ、無料でパンのサービス

をしています。

結果的にお客様は食べたいものを朝ごはんとして食べれますし、

コスト的に考えると圧倒的にこの方がお客様の負担は少なくて

済みます。全国の葬儀社の中には豪華な朝食を売りものにして

いるところもありますが、フューネはコンビニの便利さに便乗して

いるのです。朝食は一日の始まりの元気にする為には必要な

ものです。非日常のお葬式は普段以上に気力も体力も

消耗します。お葬式の朝は絶対に抜かないようにお客様に

おススメをします。人は悲しくても腹は減るのですから。













  

Posted by フューネ三浦 at 08:27 │フューネ(会社)のこと

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2014年10月07日

おかげさまで70万アクセス

おかげさまで「感動葬儀。」ブログ70万アクセス

を達成することができました。

2007年11月のブログ開設以来、6年11ヶ月での達成となりました。

10万アクセスの毎の間隔がだんだん早くなっており、読者の皆様が

少しづつ増えていることを実感します。

ありがとうございました。



恒例となっている10万アクセス毎にデサインをリニューアルしている

ブログのヘッダーのリニューアルは昭和29年に三浦生花店が開業して

今年60周年を記念する年ということで

「60周年バージョン」に変更です。

これから、フューネでは60周年を記念したセレモニーや

新葬儀会館のオープンと記念行事が満載です。




ブログのほうはまもなく7周年

読者の期待を裏切らないようにこれからも2日の一度の記事アップの

ペースを守りながら継続していきたいと思います。

これからも「感動葬儀。」ブログを宜しくお願いします
  

Posted by フューネ三浦 at 09:12 │日々いろいろ

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2014年10月05日

驚 ネクタイは白?

ここ数日、異常にブログのアクセス数が多いので何かあったのか

と調べたら6年前に書いた「ネクタイは白?」という記事に

アクセスが殺到していることが解りました。

どうやら御嶽山の噴火でお亡くなりになられた方のお葬式の映像が

テレビに放映された際、略礼服に白いネクタイでご弔問にお越しの方

が画面に映し出され、白いネクタイでお葬式なんて「不謹慎」だと

ネット上で話題になったようです。そのようなバッシングの中、

お葬式で「白いネクタイ」をつける理由の書いてある私のブログ記事

2008年11月19日付ブログ記事「ネクタイは白?」に辿りつき

白いネクタイでのお葬式が話題になってしまったということの

ようです。6年も前に書いた記事が突然、スポットライトを浴びる

ことに驚きとおそらく宗教上の理由で白いネクタイで参列された方の

名誉が守られたならば、良かったと思います。



2008年11月19日付ブログ記事「ネクタイは白?」をそのまま

引用します。


11月17日に華玉山さまから頂いたご質問にお答えしようと思います。質問です。今日、葬儀の連絡チラシが2通ポストに入っていたのですが、そのうちの一つが通夜・葬儀共に「白ネクタイ」での参列を希望していました。これはどういう事かご存じでしょうか??

みなさんいかがでしょうか?

「お葬式に白ネクタイ!?」と思われる方が大半なのではないでしょうか。

お葬式は当然、黒ネクタイで黒いスーツというのがあたりまえで決して間違いではありません。「白ネクタイ」なんて結婚式ではあたりまえですが、「お祝い」でもないお葬式では何かの間違いだと思いますよね。

あくまで少数派ですが、世の中にはお葬式に「白ネクタイ」でも間違いではない宗教もあるのです。特に神道系の新宗教に多い考え方なのですが、人が亡くなることによって人間から神様になるという考え方の下では人が亡くなることは決して悲しいことではなく「お祝い」なのです。実際にいくつかの宗教のお葬式では白ネクタイ着用は当然のことで、お葬式に参列する時にお包みするお金も「香典」ではなく「祝儀」。正しくは結婚式と同じ紅白の水引の「のし袋」を用います。中にには「この度はご愁傷さまでした。」なんて挨拶も禁句で「この度はおめでとうございます」と言わなければ怒られます。私が担当したことのある宗教では自宅の仏壇がピンク色なんて宗教もありました。お葬式でも金銀キランの折り紙を切って作った紙吹雪を撒いたり、飾りには金屏風を多用したり、本当に葬儀場の中がおめでたい色に染まりました。

このような考え方の宗教に初めて出会った当時、まだ22歳の私は本当にカルチャーショック汗を覚えました。私にとってもお葬式のイメージは黒。固定概念を払拭する出来事で今でも忘れられない思い出のひとつです。
2008年3月19日付けブログ記事にも書きましたが、 本来の日本古来の葬儀の色は「白」。 明治に入り、西洋の文化が入ってきて西洋の弔意を表す「黒」が今では主流になっているのです。

お葬式ので良く使う白黒の幕は鯨幕(くじらまく)といいますが、日本古来の白と西洋の黒をミックスさせて作った日本ならではのものなのです。どんなことも固定概念に縛られないないで物事を見ることが大事です。

華玉山さまgoodな質問どうもありごとうございました。




ネット上のコメントには私の記事を読んだ上でそうは言っても

今回ような悲しみの深い、お葬式には白は不謹慎ではという

趣旨のコメントが寄せられていましたが、それもやはり私たちの

お祝い事は白。悲しみは黒という固定概念が邪魔して

いるのだと思います。西洋文化が入ってくる前は間違いなく

「死」の色は白であったのですから。象徴的なものは時代劇で

切腹のシーンは必ず白装束です。



世の中には自分が常識だと思っていることが時として間違って

いることが時としてあるのです。本当に気をつけなければ、

知らず知らずに相手を傷つけてしまうのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:14 │お葬式の知識

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2014年10月03日

御嶽山

御嶽山で起きた突然の噴火は戦後最悪の被害者の数になっています。

3000m級の山であるけれど、子供からお年寄りまで比較的気軽に

登山が楽しめる人気の山です。私も小学1年生から小学6年生の

間、毎年夏に登っていた山であり、とても愛着のある山です。

20代の頃は毎シーズンスキーに行っていた思い出の深い山です。

私の通っていた高校の校歌には

「♪御嶽山は遠白くして~」

という歌詞が入っていました。豊田市からは秋や冬に空気の澄んで

いるときに御嶽山を見ることが出来るのです。

自分にとって身近で起きた山での被害にショックは大きいのです。



さて、運ぶ命と書いて「運命」と言えども、被害者や関係者に

とって何ともせつない結果です。その場、その時にそこにいたことが

ほんの一瞬のわずかな違いだけで生死を分けてしまうという残酷な

運命です。今回に限らず多くの災害に巻き込まれた時も同様ですが、

生死の表裏は本当に薄い薄い境目なのです。

元来、「死」というものは自分の持っているものを

捨てていくことです。

老衰や病気での死ならば、捨てるものをひとつひとつ時間かかけて

捨てることができるのですが、災害に巻き込まれた方にはゆっくりと

大切なものを捨てる時間さえも奪ってしまうのです。

結果的に捨てるものが捨てきれていないから、「無念」という感情に

なってしまいますし、捨てられていない多くの関係者が弔問に

やってくるのです。それだけお葬式は悲しみの多いものになって

いきます。



今回、犠牲に遭われた方のご冥福をお祈りするとともに、

今まだ行方不明の方が全員発見されますように願っています。












  

Posted by フューネ三浦 at 09:39 │日々いろいろ

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2014年10月01日

失言

相変わらず政治家の失言がニュースで話題になり、発言の取り消しや

陳謝をする光景が無くなりません。公人という立場である以上、

一般の方とは違い一言一言が注目され、本来の意図とは違った解釈で

捉えられることはある程度は仕方のないことですが、明らかに

セクハラ発言やパワハラ発言が生まれるのは人間として情けのない

ことです。もっとも私自身も企業の代表ですから失言には充分に

注意をしなければなりません。



さて、お葬式の現場では普段の日常ではさほど気にも留めない

一言が時として大きな失言となってしまいます。

大切な人を亡くされた方は悲しみのどん底である上に看護の為に

ほとんど寝ていない状態で通夜・葬儀に臨まれることになるのです。

特にお悔みを述べる時に相手を励ますつもりが逆に相手を

傷つけることになってしまうこともあるのです。

「頑張って」という言葉は特に相手を傷つける失言と

なってしまうことが多々あります。悲しみの中で頑張っている人に

「頑張れ」ということは重荷以外の何物でもないのです。

適切なお悔みの言葉が出てこないときは何も発しなくても良いのです。

無言で頭を下げるだけで充分に弔意は相手に伝わります。




お葬式に適切な言葉は究極の感謝の言葉と究極の懺悔の言葉の

2種類です。「ありがとう」

「あなたに会えてよかった」
というような

感謝の言葉や「おやじゴメン」「許せ」といった

懺悔の言葉。

このような言葉には失言は存在しません。











  

Posted by フューネ三浦 at 10:41 │お葬式の知識

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