2014年10月28日

三浦生花店 ヒストリー その2

前回に続き、三浦生花店のヒストリーを書いてみます。


昭和38年 事業拡張により豊田市喜多町駅前通り(現名古屋銀行

豊田営業部の西隣)に移転しました。時代背景は高度経済成長の

元年でした。その結果、この影響により庶民の所得は増加しました。

おかげで花の購入者が増えてきたのです。なんといっても以前は

冠婚葬祭には造花花環が主体であったのが、主役が

「花(生花)」に変化したのです。

この頃、小売業から生花業に業態変化しました。経済の発展に伴い、

いたる処で小さな貸店舗が急増しました。オープンに祝い花を送る

傾向が増大した為、花の需要が高まりました。もちろん、葬儀の花も

派手になり、数多くの供花が売れていきました。売上に占める割合は

大きく変わっていったのです。

当時の営業品目は
一般 店売り 一般販売所 冠婚葬祭専用の花組み。
華道が盛んで、会社のクラブや家元、弟子宅に切り花の販売。
園芸品、花の種、花瓶、花器類などが主体であったのです。


昭和42年 長崎屋(豊田で初めての百貨店。)豊田店に支店を

出店しました。当時の豊田市の繁盛の中心地は長崎屋であり、

その頃を知る者は「本当にすごかった」の一言であったのです。

当時の花屋さんのイメージ形態として、大型店舗のテナントに入る

ことがステイタスでありました。

こうして、順調に花屋としての実績を積み上げていきました。

そして、年々増えていく葬儀に関するお花の需要から、昭和48年に

三浦生花店の中に葬祭部を設立したのがフューネの原点なのです。









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