2019年11月15日

最高の人生の見つけ方



先日、吉永小百合と天海祐希の主演の映画「最高の人生の見つけ方」を

観てきました。


最高の人生の見つけ方公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/saikonojinsei/



この映画は2007年から公開され世界中で大ヒットした同名ハリウッド

映画を原案に、日本映画としてリメイクしたものです。

末期がんの主役の二人が死ぬまでにやりたいことリストを基に

様々なことにチャレンジするストーリーとなっています。

2007年のハリウッド映画はジャック・ニコルソンと

モーガン・フリーマンが共演した同名映画も私は観ましたが、

「死ぬまでにやりたいことリスト」を

「バケットリスト」と言い、日本語に訳すと「棺おけリスト」

と呼ばれるのです。

人生は終わりよければすべて良しというところがあり、

人生の前半に苦労することと人生の後半に苦労することを比べれば

圧倒的に人生の前半の苦労の方が幸福度は増すという統計も

あるのです。


自分自身の生き方、そして死に方を考えるにはとても意味のある

映画であり、オススメです。


今回主役の吉永小百合さんももクロのライブの映像や

ウエディングドレス姿はとても美しく魅力的でした。

ファンの方にはたまらない一作だと思います。






  

Posted by フューネ三浦 at 14:54 │お葬式の知識日々いろいろ

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2019年11月05日

お葬式は出会いの場

「弔問外交」という言葉が存在するようにお葬式の場は人と人が

交差する交差点であり、出会いの場であり、再会の場です。

私の仕事の役得の一つに「同級生と再会」出来ることというもの

があります。

普段は地元にいてもめっきり会わなくなった同級生にも葬儀とご依頼を

頂くことで何十年振りに再会することも出来ますし、地元を離れ

活躍している同級生にも近親者の死によって帰郷しこれまた

再会することが出来ることの多さは葬儀という仕事に就いたものの

特権のようなことです。



本来の「出会いの場」であるお葬式が人と人繋がりの希薄さが近年、

顕著になってきています。家族葬の増加によって弔問客の減少して

いることは説明をするまでもないと思いますが、従来のお葬式に

おいても弔問客は減少しています。

減少している一番の原因は「通夜と葬儀のどちらかに出席すれば良い」

という考え方の方がすごく増えていることだと思います。

昔は通夜と葬儀の両方に出席していた方がどちらかだけの出席により

弔問客は家族葬でなくても減少するのです。

結果的に希薄化に繋がり、人と人との出会いの回数も減少するのです。



元来、お葬式は人と人のご縁や目に見えない絆で結ばれていることを

実感できる場であるのです。

簡素化・簡略化は時代の流れとはいえ、お葬式が出会いの場であること

と考えると多くの人々の人生において少し損をしているように

思うのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 08:30 │お葬式の知識

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2019年07月30日

ご馳走を食べる

冠婚葬祭の各種の行事は生まれて死ぬまでの人生における

ライフイベントであり、必ずと言ってよいほど食事が提供されます。

ご参集頂いた皆さまが一同に会し、同じ空間で同じものを食べる

という行為は冠婚葬祭においては非常に大切なことであり、

その行為を「共有」することで一族の結束を含めた人間の絆を

強くしていくものです。

そして、冠婚葬祭において提供される食事はいわゆる「ご馳走」

です。しかし、飽食と言われる現代において必ずしも冠婚葬祭に

提供される食事は「ご馳走」と感じない方が増えています。

特に葬儀における食事をご馳走と感じない方が増えています。

家族葬などの小規模なお葬式が増えたことで、祭壇なども

予算をかけないで行うことが増えてはきていますが、同時に

多くの方々に振る舞っていた食事も気が付けば家族だけという

場合もあり、このような場合はお腹が満たされれば良いという考え

が優先されてしまうことも多くなってきました。



昔はお正月・お盆くらいしか食べれなかったお寿司も毎週当たり前の

ように食べることの出来る時代に本当の意味のご馳走は冠婚葬祭に

おいて必要が無いと考える方も増えています。

言葉の意味からの「ご馳走」とはおもてなしをする側が四方八方に

走りまわって、かき集めた「食材」を使って振る舞う食事が

ご馳走であり、そういった本来の意味のご馳走を食べることのできる

機会は冠婚葬祭においては壊滅しているかもしれません。

美味しい料理を食べたいという欲求は誰もがあると思いますが、

本当に心のこもったご馳走を食べることが本当意味で幸せなことだと

思います。

そういった意味では葬儀における食事がご馳走だと評価されない

現状は私自身も多いに反省しなければならないことのひとつなのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識

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2019年04月10日

平成時代に普及した葬儀会館

いよいよ、4月30日で平成の世も終わり、「令和」という新しい時代

を迎えます。平成時代の30年間は近代の日本において唯一、

戦乱に直接巻き込まれなかった時代であり、戦争の無い時代と

いういうのは文化レベルが発達すると共に豊かさを享受できる時代で

あったはずです。

平成時代に普及したものはたくさんありますが、大きなところでは

電話とカメラでしょうか。持ち運びが出来て映像も画像もストレスなく

受送信できる現在の世情は平成の初期には考えられないことです。

技術の進化はAIや決済も現金を必要としない世の中になる令和の時代

を予見していますが、そのインフラを構築できたのは平成の世で

あったはずです。



さて、葬儀の業界も平成の時代に革命的な変革がありました。

それは「葬儀会館で葬儀を行う」という文化が確立したことです。

弊社の一号店である葬儀会館「葬場殿」が誕生したのは

平成5年のことで豊田市では他社に先駆けて初でしたし、

愛知県内でもかなり初期のことでした。

葬儀会館ができた一年目、葬儀会館のシェア率はわずか3%で

多くの方から「ミウラさんがあんなもの作ったけど、葬儀は自宅

やお寺でやるに決まっとる。潰れれるで」

というお言葉を頂きました。

当時は自宅や寺院でお葬儀をすることが常識であり、民間の会社が

葬儀の専用会館を作る意味が残念ながらお客様には浸透

をしなかったのです。

平成の時代が終わる現代では葬儀会館での葬儀のシェア率はフューネの

場合は98%でいかに普及をしたかは説明するまでもありません。

しかしながら、「お葬式は葬儀会館でするもの」という現代の常識は

昭和の時代には全くなかったということはご理解頂きたいのです。

つまり、葬儀の歴史において「葬儀会館」は平成の時代の象徴的な

ものになのです。



令和という新しい時代には葬儀のあり方も平成の時代に生まれた常識が

覆されそうな予見が表われはじめています。

時代の変化から生まれる新しい常識にフューネという会社は絶えず

チャレンジしていきたものです。








  

Posted by フューネ三浦 at 13:17 │お葬式の知識日々いろいろ

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2019年03月29日

キャッシュレス時代とお葬式

今年の10月に消費税が10%に税率がアップするのに伴い、

現金以外の方法で決済するとキャッシュバックが受けられるという

何とも不可解な政策を国が推進します。

増税の影響で景気悪化を避けることと、キャッシュレス化が主要国と

比べて遅れている日本の現況をインバウンド対策も含めて行なうと

いうものです。最近はORコード決済という新たな決済方法も誕生して

消費者にとって決裁方法を何を使うのかということも「迷える」ほど

多彩です。



お葬式の支払いでもキャッシュレス化は徐々ではありますが、

進んでいます。

クレジットカードで葬儀代金の支払いのできる葬儀社は近年飛躍的に

増えてきています。フューネでは20年以上前からクレジットカードで

葬儀代金の支払いができるのですが、最近の利用率は

上がり続けています。

インターネット上のサイトではお寺様のお布施もクレジットカードで

支払い可能なサービスがある昨今、お葬式もキャッシュレス化は

無関係ではないのです。



お葬式では弔問者が持参する「香典」。

当然のことながら現金ですが、この先、ORコード決済が普及する

ことで、キャッシュレスで香典をお支払いすることの出来るサービスは

実現可能なことです。

先日、東京のあるお寺様が賽銭箱の上にORコード決済が出来るORを

掲示してニュースで話題になっていました。

お賽銭もご香典も充分にキャッシュレス化に進んでいく可能性は

あるのです。



結婚式もお年玉も冠婚葬祭に関わるお金は基本現金でやり取りする

ことが今後も大勢を占めると思うのですが、

LINEPAYなどの送金の仕組みを使えば、簡単に親から子供に

お小遣いを渡すことがすでに出来る世の中であることを考えると、

お年玉袋そのものが無くなってしまうことも否定できません。

私たちが想像している以上にキャッシュレス化は早いのかも

しれないですね。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:27 │お葬式の知識

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2019年03月09日

働く

「働く」ことは「傍(はた)を楽にすること」だと学生時代恩師の先生に

教えられたことがあります。

実際に誰かの為に役に立つ何かをすることが働くことでしょうし、

他人の役に立つことはそもそも大切なことです。

人間は神様から「働く」ことを本能的に出来るように遺伝子に

組み込まれているそうです。

つまりは「働く」ことは人の人生そのものです。

働きこそが最上の喜びであり、喜びの自分史を作成できる

ことが人生の成功者と言えるのです。



さて、お葬式は人生の卒業式と表現される方も多くいらっしゃいます。

確かにその通りなのですが、「働く」ことの終わりにはなりません。

人はこの世に生が亡くなっても、霊魂として子孫を繁栄を見守ることの

働きが用意されているとも言われます。

あの世の先祖とこの世の子孫たちと「繋がっている」ことを

実感することが各種の年忌法要であり、お墓参りであり、

毎日の仏壇前でのお参りなのです。



ところで、その人らしいお葬式を演出し「感動葬儀。」をお客様に

提供するにはお亡くなりになられた人の生前に「働き」を的確に

捉えることが要点です。

働くことは単に職場に働くことだけにとどまりません。

家庭での働き、地域での働きも当然に含まれますし、産まれたての

赤ちゃんも周囲の人々に笑顔を癒しを与える立派な働きをしています。

ですから、不幸にしてお亡くなりの赤ちゃんでも「働き」を

クローズアップすれば、「感動葬儀。」が成立するのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:23 │お葬式の知識

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2019年01月25日

怖さの克服

「見えないもの」に怖いと感じる感情があります。

お化けなどの存在が代表的なものですが、見えないから

「何が起きるのかわからない」ので怖いと感じてしまうのです。

反対に人間が「怖い」と感じるのは「見える」からこそというもの

があります。

これまでの人生において様々な失敗や体験によって怖さを覚える

からこそ、年齢を重ねることにより怖さが増してきて、人は防衛本能が

働き保守的になるのです。



「死」というもに対する恐怖は前述のお化けのように見えないから

こそ、生まれる恐怖心が支配します。

つまり、死んだらどうなるのかということが見えないから怖いわけで、

すなわち、「あの世」を「見える化」することが各種の宗教の

役割です。良いか悪いかは別にして特定の宗教に信じることで

「あの世」がはっきりと見えることが出来れば、死に対する恐怖は

消えてしまうのです。



社長業をしているといつも感じている怖さに「明日、売上が止まったら

どうしよう」というものがあります。経営計画や各種の予算はあくまで

予定であって売上そのものを確定できることはどんなに優秀な経営者

でも不可能なことなのです。

社長業をしている間には絶対に克服されない恐怖だといえます。

トップはトップしか感じることができない恐怖というものもこの他にも

たくさんあるのです。



フューネの社員も葬儀という仕事をしていく上で様々な恐怖と

戦っています。自分がやったことがないことに挑戦する恐怖は

日々の仕事の中で多くの社員が感じています。やってみると

大したことのないことでも怖いと思ってしまうのはやはり、

その人にとって結果がやる前に見えないからでしょうか。

それとも、うまくいかない自分自身の姿が見えるからでしょうか。

それでも、怖さに立ち向かう勇気がなければ何も良い結果は

生まれません。

怖さの克服は自分自身の成長には絶対に必要なことなのです。

お客様からご依頼頂いたやり直しの効かないたった一度の葬儀を

失敗させないというプロとしての責任感からくるものは「怖さ」

であり、「怖さ」から生まれる程よい緊張感はプロとして

とても大切です。

この怖さを克服しなければ「感動葬儀。」は生まれないのです。











  

2019年01月15日

体調不良と葬儀の参列

冬になると風邪を引きやすくなり、体調不良を押して仕事や学校に

通われている方も多いのではないでしょうか。

体調が少しでも悪いと健康であることの有難さを改めて実感

できます。いつでもどんな時でも健康でありたいものですね。




お葬式というのは近親者にとってすべての予定をキャンセルしてでも

参列することの意味のある大切な儀式です。

すこしくらいの無理はしなければならないものとも言えます。

結果的に体調が優れなくても無理をして葬儀に参列される方は多々

いらっしゃいます。

中には入院されている方が一時外出の許可をとっての参列や

高熱があるのに参列をされている方も時折、見受けられます。

体調不良である当事者の方は本当にしんどいと思いますが、

それでも参列をすることに大切な理由があるのです。

しかしながら、無理をしているので葬儀の途中に我慢できずに

倒れられることもあるのです。

時には葬儀の最中に救急車を呼ばなければならないくらいの

重病なケースをあるのです。

葬儀中に救急車を呼ぶことは結構頻繁にあるのです。




時には喪主様が高熱にうなされながら、喪主を務められることも

あります。おそらくご本人は「こんなときに」と思って頑張って

おられるのでしょうが、大切な人がお亡くなりになられるという

精神的・肉体的な負担は相当なものであり、誰でも何かしらの

不調に陥りやすいものです。

葬儀社である私たちが出来ることはとにかく出来る限りのサポート

をすることのみです。

親を亡くした方に生命に関わらない限りは多少の体調不良であれば

「参列しないでご静養ください」

とは決して言うことはできないのものです。

お客様には体調を何とか取り戻して頂きたいと願いつつ、いつも

突発の対応にも細心の注意を払って葬儀の運営を行うのも

フューネの役割です。








  

Posted by フューネ三浦 at 09:40 │お葬式の知識

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2018年12月11日

伝統文化 「伝え」の重要性

先日、ご縁故のある寺院さまのお葬式をフューネで執り行いました。

私も20年以上葬儀の仕事をしていますが、同じ地区で同じ日に寺院の

関係者がお亡くなりになられるということは初めての体験でした。

結果的に、4日連続のご寺院さまの通夜・葬儀・通夜・葬儀という日程

となりました。

葬儀会館での葬儀施行率がほぼ100%の時代になっている現在、

寺院でのお葬式自体が滅多になく、ましてご住職が亡くなるというのは

いわゆる在家の檀家の皆様のお葬式の形態とは大きく異なることも

あり、葬儀社によってはまったく対応ができない葬儀社も数多く

存在します。

さらに言えば、昔は対応できた葬儀社が技術的な伝承ができなくなり、

お客様からの葬儀の依頼をお断りしなけければならないようなことが

日本各地で起きているのです。

日本の葬送文化の「伝え」が止まってしまうという危機が昨今の

葬儀の小規模化・簡略化の波の中で際立っているのです。




上の写真は先日のご寺院様の葬儀の中で行われた古式に則った

「葬列」の様子です。

このような葬列をしっかりと組むことが本当に少なくなってきた

のですが、葬列の先導である提灯(ちょうちん)は江戸時代、

平民の葬列は幕府のお達しにより、夜しか許されなかったので、

道を照らす名残なのです。

このような、伝統に則った様々な文化の「伝え」が止まってしまう

ことはこの国の文化にとっては大損失に繋がるのです。









フューネは「伝え」を後世に伝える為の企業努力をしています。

古いものを大切にすることで、生まれる新しいサービスはこれまでに

たくさん世の中に誕生させていますが、これからも伝統文化に基づいて

原理原則を大切にしたお葬式をお客様に提供していきます。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:22 │お葬式の知識

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2018年10月14日

海の水 川の水

フューネのお葬式では祭壇の前に、よく水をお供えしています。

お墓やお仏壇の前にもご先祖様に対してお水をお供えすることは

あるのですが、本来は祭壇の前にお供えするお水はお亡くなりの

大切な方が喉が渇かないようにという意味合いがあるのです。

しかしながら、フューネのお葬式でお供えする水は水道から蛇口を

ひねって汲んだお水ではない場合があるのです。

時には海の水・そして川の水であったりします。

フューネの本拠のある豊田市から海までは最短でも30kmも離れて

いるのですが、時として葬儀の担当者がわざわざ汲みにいくことも

あるのです。

川の水も同様です。

お亡くなりになられた方にとって思い入れのある場所のお水を

お供えすることはもしかしたら、お客様にとってどうでもよいことかも

しれないのですが、フューネの葬儀の担当者は自発的に

「水をわざわざ汲みに行く」という行動をすることがあるのです。

お客様に説明し、お供えすること大抵の場合は喜んでいただけます。

しかし、お客様の承諾も得ずに勝手にやっていることも事実です。

そして、勤務時間・勤務時間外に限らず担当者が「良い」と思って行動

しています。

水に限らず、お亡くなりになられた方がお好きであった食べ物などが

わかると、わざわざそのお店まで行って買ってくることもあります。

それが、市外のお店であっても可能な限り行ってしまうのです。




「感動葬儀。」の原点は「行動」だと社員に教えています。

「行動」すること、お客様のことを思ってまずは動いてみることが、

その心意気にお客様は感動をして頂けるのです。

心の無い上っ面だけのナレーションやお悔みの言葉よりも

「行動」すること。

人は動いて初めて誰かの心を震わせることができるのです。










  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │お葬式の知識

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2018年09月23日

煙と匂い

加熱式のタバコが世の中に登場してから、タバコの煙はますます肩身の

狭いものになりつつあります。

煙というものは匂いが付きやすく、大抵の煙は臭い匂いを

発するものです。

これに対してお線香というものは基本的に良い匂いを発するもの

であり、香りを楽しめます。日本には古来から「香道」という

香の芸術を嗜む文化があります。



以前のブログ記事で何度も書いてきましたが、葬儀の時にお線香を

使用する目的の一つに、死臭を消す為という目的があります。

また、葬儀以外の仏事にも線香を使用するのは、僧侶が何日もお風呂に

入らない時に臭い匂いを中和させるという目的もあるのだとか。

いずれにしても、の人は生きていく上で「匂い」は昔も今もとても

敏感に反応してきたものです。



仏事においては煙の役割として臨終の時に煙が上に登っていく様を

表現しており、線香から生まれる煙はあの世までの橋渡しであり、

とてもありがたいものとなっています。

煙から発するもやもやは「雲」でであり、仏事では仏が乗って

来る雲で縁起が良いとされている「紫雲」を表現しているのです。

お線香には煙と匂いの両方に意味合いがあり、またそれを昔から

重宝してきましたけれど、近年では煙は文字通り煙たがれるものに

なってきましたし、匂いにおいては好き嫌いがはっきりと分かれるもの

になってきました。




クリーンな空気がもてはやされる今日ですから、これからはもっと

厳しい匂いのエチケットが求められる世の中になりそうです。

自分自身の体臭も気を付けていかなければなりませんし、

お葬式で使用するお線香の匂いも上手に選んでいかなければ

なりません。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:16 │お葬式の知識

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2018年07月27日

子どものお葬式

超高齢化社会の現代において、80歳くらいの方がお亡くなりに

なられても、誰もが驚かなくなりました。

平均寿命というものは実際には数字のマジックであり、多くの方が

平均寿命までは生きられると錯覚していますが、あくまでも「平均」

であり、大雑把に表現するならば、平均寿命まで生きられる人は

国民の半分の方なのです。

もっとも、現実には平均寿命まで生きられるのは半分以下でしょう。

何故ならば、子供の死があるのです。




20歳以下の未成人が亡くなる理由も様々です。

病気・事故に始まり自殺・殺人・・・

いずれにしても、若い方が亡くなるのは何ともいたたまれない感情に

支配されるのです。当事者である両親の悲しみは経験した人にしか

わからないものでしょう。

子どものお葬式には多くの人に悲しみがありますが、親は悲しみ以上に

深い感情は「懺悔」なのです。

「もっと丈夫な身体で産まれさせたった。」

「あの時目を離さなければ・・・」

「もっと強く止めればよかった。」

「どうして気づいてやれなかったんだろう」

親の子に対する多くの懺悔に参列した周りの人々の悲しみを

誘うのです。



懺悔の気持ちを少しでも軽くする為に葬儀社である我々の力が

必要です。

お葬式の会場で少しでも明るい空気を作っていくこと。

演出も大人のお葬式とは違ってくるのです。



上の写真は今年、フューネにご依頼のあった幼児のお葬式。

花の代わりにバルーンを多用して、会場を装飾しました。

不幸にして、子を送る側になった両親の想いをカタチにしました。



高齢化社会の弊害で、70代のおじいさん・おばあさんの年代の方が

亡くなっても、100歳近い親がまだ生きていることが多々あります。

超高齢になっても、子より長生きしてしまった親もまた、子を送る

お葬式には言葉では言い表せない悲痛な悲しみがそこにあるのです。

いわゆる「逆縁」といわれていることは辛く悲しいことです。

死は避けては通れない以上、せめて、順番だけは守って欲しいと

神様に願わずにはいられない、葬儀が現実は数多くあるのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:11 │お葬式の知識

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2018年05月26日

おなかいっぱい。

日本人の多くの人が忘れかけていますが、地球上において、

食べ物が満足に食べられない人の多いという現実があります。

実は近年日本の国においても、貧富の差が拡大しており、

7人に一人は貧困という数値が出ています。

家庭が貧しく充分にゴハンが食べられない子供たちへ無料または

安価でゴハンを食べさせる「こども食堂」の活動も全国的に広がって

きています。「おなかをいっぱい」食べれることは幸せなことであり、

愛する人たちに「おなかいっぱいご飯を食べさせてあげたい」という

欲望は働くことの原動力にも繋がる世界共通の観念です。




この世に生きている人のおなかを満たすことはもちろんですが、

神様、仏様、ご先祖様のおなかを満たすことも重要です。

「供養」の原点は亡き人の魂を鎮めることですが、鎮める為に

必要なことは「おなかをいっぱい」にさせてあげることです。

神棚に仏壇に食べ物をお供えすることはとても大切な祈りの行為

ですし、お葬式においてもお亡くなりになられた人を

「おなかいっぱい」にする為にご飯はてんこ盛りにお供えしますし、

籠盛のフルーツは食べきれないほどたくさんお供えをします。




「おなかをいっぱい」にご飯を食べられる環境を「当たり前」と

思わず、また、他人に対し「おなかいっぱい」にしてあげることが

おもてなしの心です。

「おなかいっぱい」にゴハンを食べられることを感謝するとともに

幸せを感じなければ、人は幸せにはなれないのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 17:30 │お葬式の知識日々いろいろ

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2018年05月17日

ライフイベント

冠婚葬祭というものは人が人である限り必要不可欠な行事です。

冠婚葬祭業を営む企業のサービスの範囲は必然的に

「ゆりかごから墓場まで」

となっていきます。

フューネにおいても、お葬式だけを販売している企業では最早なく、

出産に関する各種お祝いから結婚・還暦などのお祝いまでお客様の

ご要望に応じてサービスを提供しています。



近年、冠婚葬祭のことを各種メディアが「ライフイベント」と表現する

ことが多くなってきました。単純に英訳をすれば、「ライフイベント」

となるのですが、結婚式にしてもお葬式にしても「ライフイベント」

と呼ばれるようになってから衰退をしているのです。

私からみれば「ライフイベント」と葬儀を表現されることはとても

違和感を感じるのです。

なぜならば、この呼び方をすることによって多くの方から意識を

われるのが「宗教観」なのです。元来、洋の東西を問わず、

結婚式もお葬式も各種宗教の考え方に基づいて厳かに

執り行われてきました。

結婚式にしても、お葬式にしても「宗教」というものを軽視するように

なってからは自由度は高くなってきましたが、厳粛さは無くなって

きてしまっているのです。



突然ですが、「儀礼」と「式典」の違いはご存知ですか。

式典は宗教に基づかない式のことで、反対に儀礼は宗教に

基づく式のことです。

「葬儀」は「葬送儀礼」の略語であり、宗教に基づく式であることは

言葉の語源からも明白な事実なのですが、多くの方がが宗教を

軽視しているのが現状でしょうか。

宗教そのものを否定される方はまだまだごくごく少数ですが、

「ライフイベント」という言葉が普及してくると葬儀が宗教観に

基づかない単なるイベントになってしまう恐れがあるのです。



つまり、葬儀はイベントではないし、イベントにしてしまうことで、

悠久の時を経て受け継いできた葬送文化の伝えが

途切れてしまうのです。

「感動葬儀。」という商品には「儀礼」の要素がしっかりと

含まれています。

これからも日本の葬送文化を守りつつ時代にあった新しい葬儀の

あり方を追求していくことがフューネの使命なのです。



  

2018年04月26日

無感動と無反応

人間には喜怒哀楽という感情がありますが、葬儀には

「哀しい」という感情が多くの場合に支配します。

悲しみを和らげることも葬儀社の仕事であり、役割であり、

もっと言えば、葬儀社が葬儀社である為のノウハウであると言える

のです。

悲しいと人は多く場合、泣くなどの行為をするのですが、以前の

ブログ記事でも指摘したように「笑いだす人」「怒りだす人」もおり、

根底に哀しみのプロセスの中で「怒っている」、「笑っている」と

解釈をしなければお客様の心に近づくことは絶対に出来ないのです。



最近は若い人達に見受けられる悲しみの表現として

「無感動」「無反応」という表現をされる方が増えています。

表現をされると書きましたが、これらの場合、実際は表現が無い

状態ですから、「悲しみの表現」だと判別するのがとても難易度が

高いのです。



ほとんど方の知識は悲しみの表現は泣くという行為だと思っている

方が多いですから、無反応、無感動の方を葬儀の現場で見ると

心が無いと勘違いをされる原因の一つであり、この誤解は時として

取り返しのつかない暴言などを引き起こす恐れがあるのです。



フューネの「感動葬儀。」はお客様の悲しみの表現をストレートに

表面化して頂く為の悲しみを和らげる為の究極のノウハウだと

思っています。

悲しみを表面化させることが出来たほうが悲しみからの脱却は

早いからです。



「悲しい」という状態が悪化すると寝れない・食べれないという状態

やめまいや吐き気の症状を引き起こすことにも繋がります。

無感動や無反応という悲しみの表現をされる方の支えになること

はこうした体調不良の原因からお客様を救いだすことのできる

葬儀社としての役目なのです。

  

Posted by フューネ三浦 at 09:42 │お葬式の知識

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2018年04月02日

祖父のお葬式

先月23日に私の祖父が他界し、26日に通夜、翌27日に葬儀を

執り行いました。

祖父は花屋として2代目であり、亡くなったその日までフューネの

取締役でありましたので、あくまで葬儀の形態は三浦家との個人葬

ですが、葬儀社であるフューネのお葬式であるという側面が強い

お葬式になりました。







葬儀社のお葬式は葬儀のプロである人間が喪主であり、遺族である為に

周りの皆さまもどんな葬儀を行うのかということにとても興味を

抱かれるのです。

今回の喪主である3代目の父(現名誉会長)の下した決断は

葬儀の原点というべき、クラシカルの設(しつら)えのお葬式です。

昔は当たり前にように行っていた葬送文化も現代は家族葬などで

省略のカタチに何も違和感を持たなくなっている方々が多くなっている

昨今の実情に「原点」と葬儀社の持つアイデンティティーを再確認

できるお葬式でした。



「故きを温ねて新しきを知る」

「温故知新」という言葉がぴったりのお葬式のカタチ。

古いものも知らない方々からすれば新しく見えるものです。

フューネの「感動葬儀。」の原点は基本に忠実であること。

古くから伝わる伝統的なルールを理解し現代風のアレンジすること。

そのようなことを大切にしているのです。




今回のお葬式の祭壇の花の色は「白」

皆さまから頂いた外まで並んでいる供花のお花の色もすべて

白い花で統一をさせて頂きました。

日本人の本来の「弔い」を表す色は「白色」です。

葬儀の原点を守りつつ、どこか懐かしくも新しい葬儀の演出が

出来て、孫としては良き孝行ができたように思っているのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識日々いろいろ

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2018年03月08日

火を使わない生活

ライターの製造メーカーの経営が苦境に陥っています。

タバコを吸う人の数が年々減っていくのに加えて、加熱式のタバコ

のヒットにより、火を使わないタバコの消費が増え続けており、

ライターの出番が大幅に減っています。

私たちの日常の生活は「火」を直接使うことがほとんど無くなって

しまいました。

自宅はIHの調理器で賄い、ガスの炎も見ることが無く、マッチや

ライターの点ける方法も知らない子供が多くなっています。

お葬式の打ち合わせでご自宅に訪問し、ご遺体の周りの飾りを行い

ロウソクと線香に火を灯そうと思いライターやマッチをお借りしようと

しても、ご自宅に全くないといったご家庭が増えています。

無ければ、キッチンでガスの火をお借りするのですが、それもIHの

調理器であれば、お借りすることができません。




人間が他の動物と決定的に違うのは「火」を使いこなせることでした。

火を使うことによって寒さをしのいだり、生で食べれない食材を食べる

ことが出来るようになったり、他の動物から襲われないように身を守る

ことができてきたのです。

現在も生活も「火」の重要性は変わらないのですが、直接火を使う

必要性は無くなってきています。



葬儀の現場でも、LEDのロウソクや線香、火を使わないお香などを

使うことが多くなりました。

火を使うことでの副作用として煙の被害、火事の危険性のリスクの

回避です。



火を直接使わない生活はクリーンで安全ですが、火を使うこなすこと

が出来なくなることは人間としての退化に繋がってしまうのです。
  

Posted by フューネ三浦 at 09:17 │お葬式の知識日々いろいろ

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2018年02月11日

事後報告

本来、報告や案内というものは事前にしなければならないものですが、

やむを得ない事情などで事後になってしまうケースがあり、一般的に

事後報告と言われています。

近年、葬儀においては事後報告が本当に増えてきているのです。

有名人著名人が亡くなった時にも死後にすぐに告知をせずに近親者で

葬儀をしてからマスコミを通じて発表するといったケースは本当に多く

なりました。葬儀の場面を中継することのほうが少なくなったように

思います。

そして、家族葬で行うから会社や友人・知人に事後報告するという

ケースがとても多くなっているのです。

事後報告は本来はするものではありません。

例え家族葬であってもそれは同じです。

「家族葬で行うので、弔問はお控えください。」

というアナウンスをするべきです。

そうはいっても内緒にしておかないと葬儀で来てしまうとお考えの

方が多く結果的に訃報を事後に送るケースは後を絶ちません。



原理原則でいけば、重要な事項においてはやはり事後報告は

望ましくありません。受け手である相手方が重要だと思えば

思うほど、事後報告は時として人間関係もこじらせてしまうのです。

人が一人亡くなっているという事実において重要と捉える人が多い

ことは理解をして頂きたいのです。

その上で事後報告にするならば、それはご葬家の都合で良いと

思うのですが、安易に家族葬だから事後報告で良いのだとという

考えは葬儀後に大きな混乱を生み出すのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 14:07 │お葬式の知識日々いろいろ

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2017年12月22日

生前葬を執り行う

先日、生前葬を開催したコマツ元社長の安崎暁さんに多くの反響が

起こってます。

下の記事は日経電子版より引用です。

末期がんで余命を宣告されたら、仕事でお世話になった人たちとどうお別れしたらいいのか――。コマツ元社長の安崎暁さん(80)が悩んだ末に決めたのは、元気なうちに感謝の気持ちを伝える、一種の「生前葬」を開くことだった。前代未聞の試みに、駆けつけた関係者は約1000人。かつて大企業を率いたリーダーの選択は、自分らしい人生の最期を探る「終活」のあり方に一石を投じている。

■無駄な延命治療はやらない

 安崎さんが社長を務めていたときにコマツを担当していた筆者に、本人から相談があったのは11月上旬のこと。「がんがあちこちに転移してしまったが、無駄な延命治療はやらないと決め、余命が意外に短い可能性があるので、自分主催で感謝の会を生前告別式風にやることにした。記者としてどう思うか」などとあった。何度かメールでやりとりをした末、12月11日午前11時半、コマツ本社からほど近いANAインターコンチネンタルホテル東京(東京・港)で開かれた「感謝の会」に招かれた。

 会場に一歩足を踏み入れるやいなや、目を疑った。しめやかな雰囲気かと思いきや、会に駆けつけた会社や母校の一橋大学の関係者らが皆、あちこちで談笑していたからだ。正面のステージの大型スクリーンには海外メディアのインタビューを受ける安崎さんの動画が流れ、壁や柱にはこれまで親交があった人たちとの思い出の写真が多数展示されていた。

笑顔の安崎暁さん
 安崎さんは車いすを押されながら、訪れた一人ひとりと握手を交わし、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えながら会場内をゆっくりまわっていた。ステージでは安崎さんの出身地、徳島県の阿波踊りも披露された。会場を一巡して一息ついた安崎さんは周囲の友人らに「(米ハーバード大学名誉教授の)エズラ・ボーゲルさんが書いた鄧小平の本はお薦めだ」などと楽しそうに話していた。

 「自分が余命を宣告されたら、仕事でお世話になった人たちとどんな風にお別れするか、考えさせられる会だった」。会に参加したゴルフ仲間の男性(69)はこう言って会場を後にした。一橋大学の後輩の女性(69)は「かっこよくて潔い安崎さんらしい終活だと思った」と話す。また、仕事で親交のあった女性(58)は「大企業の元トップの生前葬に出席したのは初めて。元気なうちに言葉を交わせてよかった」と満足そうだった。

 住友商事時代は中国や旧ソ連を中心とした海外事業に一緒に取り組み、安崎さんらとの共著「日本型ハイブリッド経営」もある西藤輝さん(79)は、「人とのつながりを大切にしている安崎さんらしい会だった」と感慨深げに話していた。

■日中の草の根交流に力

 安崎さんは1995年から2001年までコマツ社長を務めた。その後、会長、相談役などを歴任し、引退後は日中草の根交流として中国で講演活動などを行っていたが、17年10月上旬に胆のうがんが見つかり、肝臓や肺などに転移していて手術はできないと診断された。

 日本経済新聞朝刊などに「感謝の会開催のご案内」と題した広告が掲載されたのは11月20日。安崎さんはそのなかで、「残された時間をQuality of Life(生活の質)優先にしたく、副作用にみまわれる可能性のある治療は受けないことにした」と明かした。

 感謝の会はこれまで交流のあった人たちに文字通りの「感謝の気持ち」を伝える場にしたいといい、「ご都合のつく方々にご参加いただき、お会いできましたら私の最大の喜び」と呼びかけた。安崎さんによると、今回の広告掲載と感謝の会はいずれも安崎さん自身が決め、主催した。

 末期がんで延命治療を行わないことや感謝の会を開催することを公表して以来、インターネットなどでは「理想的な終活」「まねできない」「潔い生き方」といった書き込みが相次ぎ、話題となっていた。

■人生楽しかった

 感謝の会を終え、記者会見した安崎さんは「残された時間を充実させ、『人生楽しかった』と思いながら棺おけに入りたい」と話した。個人で会を企画した理由については「会社に頼んだら私の希望とは関係なく儀礼風になる。せっかく来てもらうなら、楽しく帰ってもらおうと考えた」と明かした。

ステージの大きなスクリーンには映像が流れていた
 コマツ時代の安崎さんは冷静に決断するが、温かいタイプのリーダーとして部下からも慕われた。「ひるまず臆せず」の信念。信条は「忘己利他」。我を忘れて他を利するは慈悲の極みなりという意味だ。

 人生の幕の引き方については「個人個人それぞれの考え方がある。私は自分の健康状態とちょうど80歳という年齢を考慮して、私個人の好みでやらせていただいた。終活は人それぞれ」。記者会見でこんな言葉を残し、安崎さんは明るい表情で会場のホテルを後にした。

(阿部奈美)


「理想的な終活」「真似できない」とインタネット上で高い評価を

得ていますが、本当に生前葬は言葉で語るのは簡単ですが、

実際に実行をすることはとてもとても難しいものです。



フューネでも多くのお客様から「生前葬」についてお問合せを

頂きます。しかしながら、ほとんどの場合は興味本位なもので

真剣に自身の生前葬を企画したいという方はほとんどいません。

生前葬を行うにあたって本人の勇気や「まだ生きている」という

葬儀にたいする世間に皆さまが抱く「常識」を覆すことが成功する

為にとても重要です。



医師から余命宣告を受けた時に残された時間をどう生きるのか

ということは人生において、とても重要な決断です。

これまでの人生でお世話になった方に感謝の気持ちを伝えることに

時間をかけることができるのは、終活の中でも「理想的」と言える行為

なのです。

命の定義は様々ありますが、「自由に使える時間」という定義が私は

一番好きです。

限りある自由に使える時間を自分の意思で決めていることが「生きる」

ということであり、自由に使える時間の最後を自分自身で演出できる

ということはとても贅沢な時間の使い方であると思うのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 10:57 │お葬式の知識

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2017年12月12日

悲しみをリセット

これまでに何度もブログに書いてきましたが、葬儀の持つ役割の中に

「悲しみを断ち切る」

という重要な役割があります。

「なぜ葬儀をするの?」

というそもそもの質問をお客様から受けた時にこのことを答えられたら

模範解答と私自身は思っています。

しかしながら葬儀の経験が少ないお客様ほど、この答えでは納得を

されないのです。

他に葬儀の持つ役割は

「社会的処置」「遺体の処置」「霊魂の処理」

の3つがあり、

「社会的なお別れをする場ですよ。」

「ご遺体を衛生上の問題をクリアして適切に処置をすることですよ」

「亡くなれた方があの世に行く為にお参りをすることですよ」

と説明をすれば多くの方は理解をしてくれます。




繰り返しますが、私は葬儀は「悲しみを断ち切る」ことが葬儀の一番の

醍醐味だと思います。

実際に「悲しみ」から立ち直った経験のある方でないとこのことを

本当に理解して頂けないと思いますが、悲しみを引きずらない為には

葬儀は絶対に必要なのです。




葬儀は不要という考え方のお客様もいらっしゃいます。

予算上の都合で仕方の無い方も中にはいらっしゃいますが、

「葬儀は不要」

だと言われる方は比較的所得層が高い方が多いのです。

もっとも形式上での葬儀は不要だと言われる方はよろしいのですが、

悲しみを断ち切るという効果を知らないで葬儀は不要と言われる

お客様は「失敗」をしてしまうことが多いのです。




葬儀は悲しみを断ち切るもの。

それを多くの方が理解をして頂けること。実感をして頂けることで

この国の葬送文化は守られていくはずです。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:34 │お葬式の知識日々いろいろ

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