2021年11月11日

お客様との距離感とプライバシー

元来、お葬式というのはプライバシーというものは無いものだと

思うのです。お亡くなりになられた方への弔意があればという前提で

弔問客は誰でも受け入れなければならないし、ご自宅が葬儀の会場

であれば、本来プライベートの空間にも他人が土足で入り込んでくる

ことは一定のレベルでは覚悟をしなければなりません。

その上、親族が集まれば親族の情報は表面化するし、皆様から頂く

供花や供物も看板名を見ればどのような人間関係で並び順を見れば

人間関係・お取引先とのパワーバランスまで解ってしまうのです。

そのようなプライバシーを侵害されることに違和感を抱く、お客様の

ニーズが葬儀会館という葬儀専用施設を流行らせ、人間的な付き合い

の煩雑化に対し家族葬という選択を多くのお客様が受け入れています。




葬儀会館内のサービスも、お客様のプライベートの空間である控室

には可能な限り立ち入らないことは現在はとても重要なこと

なのですが、葬儀という特性がゆえプライベートの空間に

弔問のお客様が入りトラブルになることもしばしばあるのです。

お客様との距離感はとても難しいのです。

「離れすぎず近すぎず」

お客様のプライベートを意識しすぎて、お声がけの回数を少なめにした

ところ、「何もしてくれない」「近くにいてくれなくて不安だった」

というお叱りを頂くこともあれば、

「細かいことまで確認されて鬱陶しい」「ちっとも落ちつけない」

というクレームを頂くこともあります。

つまり距離感の数値的な正解はなく、葬儀社の社員の肌感覚に

頼る他がないのです。

お客様が求めている距離感を保つことはサービス業としては

当然のことながら、しかし熟練の技術のいるとても

難しいことなのです。今後ともお客様が快適に思う

距離感を保つ為の技術を磨きをかけて参ります。






  

Posted by フューネ三浦 at 06:18 │お葬式の知識

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2021年10月20日

亡くなっても誕生日はお祝いするべき

お誕生日のお祝いをして貰うことはいくつになっても嬉しいものです。

誕生日は毎年必ず来るものですが、誕生月というものは自分自身に

とってどこか格別なものがあります。

多くの飲食店などで、サプライズ的に誕生日のケーキが登場する

のは若干の恥ずかしさと嬉しさがありますが、全く縁のないただ

その空間を同居する人々からも拍手やお祝いの言葉を頂けるのは

嬉しいことです。


フューネのお葬式ではもう20年以上も前から、サプライズ的に

お誕生日のケーキを用意しています。

お亡くなりになられた方の誕生日がお葬式当日からおよそ一週間

以内のお客さまが対象ではありますが突然のケーキの登場に

多くのお客さまが喜ばれます。

亡くなったことにかかりきりで誕生日のことは忘れていたという

お客様にとってもそしてお亡くなりの方が誕生日ということは認識して

いてもお亡くなりの方の誕生日をお祝いしても良いものなのかどうか

というお客様にもお誕生のお祝いは嬉しいものです。

葬儀という「悲しみ」の感情が先に来るような場面でも「お祝い」が

絶対に必要なのものです。



生きていくことは嬉しいことも悲しいこともたくさんやってきますが、

「悲しみ中の嬉しさ」に気づけることが人生を楽しむには絶対に

必要なことのなのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 10:54 │お葬式の知識

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2021年07月11日

繋がりを感じる

人が人として生きていく為には「孤独」であってはならないのです。

自身が未熟なうちは誰かの力を借りながら、そして誰かの役に

立つことで、自分の存在を確認しながら生きているのです。

「孤独」を好む人もいらっしゃいますが、天涯孤独という境遇の人は

実際には存在しないものなのです。

誰かと何かしら繋がっていることが自然であり、繋がりを意識をして

いくことが豊かな人生を送るコツでもあるのです。




家族葬や病院から火葬場に直行する直葬などは時として孤独葬とも

言っても良いレベルのお葬式がありますが、その現場にいく度に、

お葬式の意義について自問自答をしてしまうのです。

例えば、

「なぜお葬式をするのか?」

「人の一生とは?」  などなど。。。。。




お葬式をする意義はどんな時代になって変わらない不変的なこととして

「繋がりを感じる場所」の提供なのです。

人はお亡くなりになられた方に対する何かしらの「繋がり」を求めて

お葬式に参加するのです。例えお亡くなりになられた方を直接に

知らなくても、喪主やご遺族の誰かとの繋がりの中で参列するという

意思の決定になるのです。

言い換えれば、「繋がり」を感じないお葬式には義理でも弔問は絶対に

しないし、興味も湧いてこないのです。

芸能人やスポーツ選手などの有名人で一度も会ったことの無いような

人のお葬式でもファンであれば、「ファン」という繋がりを確認しに

お葬式に弔問にいく動機になります。実際に会ったとか会ってない

という観点ではなく、「繋がり」が明確に意識できれば訃報に対し、

時として涙も出れば、悼む心も自然に生まれるのです。





























  

Posted by フューネ三浦 at 08:20 │お葬式の知識

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2021年04月10日

コロナ禍での自宅葬の増加

コロナ禍でのお葬式は随分を様変わりをしてきていますが、

過去一年間を振り返ってみますと、自宅でのお葬式が増えています。

もちろん、増えているといっても葬儀会館全盛の時代に増加は微々たる

ものですが、コロナ禍の影響を受けての増加かとを思われるのです。

自宅葬が増えた理由は複数ありますが、一番は感染のリスクを気にした

人が自宅を選ぶケース。同時にコロナ禍の中で、本来は多くの弔問客を

お招きしてお葬式を執り行うべき人が家族のみのお葬式を選択し、

結果的に自宅でキャパシティーが足りてしまうケースも増えてきて

いるからでしょう。

自宅葬が増える根底にお亡くなりになられた方が長い闘病生活の上で

「自宅に帰りたい」

という想いをご遺族の皆様が死後ではありますが叶えることは

一つの孝行なのです。




自宅葬の最大のデメリットは親族を含め、他人がプライバシー空間に

入ってきてしまうことですが、これもコロナ禍の中で親族さえもお葬式

の参列を辞退してしまえば、デメリットが克服出来てしまうことに

繋がります。

葬儀社の立場で言えば、コロナ禍の中で急速に葬儀の規模が

小規模化したことにより、「自宅でお葬式をしたい」という潜在的な

お客様のニーズが物理的に可能になったと分析をしてします。

アフターコロナの世の中になっても、お葬式の小規模化が

進んでいくならば今後も自宅葬は微増で推移していくと思われます。




  

Posted by フューネ三浦 at 11:34 │お葬式の知識

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2021年03月20日

孤独葬

新型コロナウィルスの影響を受け、お葬式の形態が様変わりしてから

もう一年の歳月が過ぎました。これまでに当たり前に出来た葬儀の

数々の行いが「密」対策という名目の下、出来なくなって

しまっています。失われつつある元来の葬送文化をコロナ禍が

収束したならば、取り戻していかなければ脈々と伝えてきた

伝統文化が廃れていくのみです。



葬儀を行う中ででこの一年失われて特に淋しいと思うことは

「ご遺体を囲む」

ということです。もちろん、コロナ禍の中でも近親者が数名で

ご遺体を囲むとことは行われていますが、一般の参列者も含めて

お棺の周りを二重に三重に囲むということがすっかりと

見かけない光景になってしまいました。

「密」をつくらないという新型コロナウィルスの対策上やむを得ない

ことかもしれませんが、淋しさを感じます。

同時に出棺の際、霊柩車のお見送りをする人が激減です。

一方通行の「旅立ち」という場面にお見送りがないということが、

お葬式の淋しさに拍車をかけているように感じるのです。



「孤独死」という言葉が10年位前から社会問題のキーワードとして

多くの人に認知されていますが、コロナ禍の中では「孤独葬」といった

現状です。

孤独という淋しさを和らげることは人が人として生きてきた証として

非常に重要な要素だと考えています。









  

Posted by フューネ三浦 at 08:05 │お葬式の知識

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2021年02月20日

近いから

お客様が葬儀会館を選ぶ理由の中で「近いから」という理由は

今でも多くの方が選択をしますが、昨今のお葬式を見ていると

「近いから」という理由で葬儀会館を選んでしまうことにいささか

損をしているケースが多くみられます。

そもそも「近いから」という理由の基準点は「自宅」です。

何故かというと葬儀に参列するお客様の利便性を考慮すると

自宅から近いほうが、ご近所の皆様の参列は便利です。




昨今では家族葬が主流になり、コロナ禍の中でますます家族葬を

選択されるお客様が増えていることを考慮すると、本当に自宅から

近いからという理由は勿体ないのです。

最近の家族事情では親族だけではなく、家族でさえも複数の

住居の拠点に住んでおり、「近いから」で選ぶのであれば、

集まりやすいところの葬儀会館を選ぶほうが機能的です。

さらに言えば、やはり新しい葬儀会館は施設も綺麗であり、機能的に

作られていることが多いのです。




「近いから」という観点で葬儀会館を選ぶのであれば、

「駅から近い」・「高速道路のインターチェンジから近い」・

「入院していた病院から近い」

といった理由を優先したほうが賢い選択に繋がりやすいです。

また利便性で言えば忘れてならないのが「コンビニから近い」

ということです。

これは数日葬儀会館に滞在するのであれば本当に重宝します。

フューネの葬儀会館もコンビニが徒歩5分以内にある葬儀会館は

お客様の満足度が高いのです。




葬儀のプロから「近いから」という理由で選ぶのであれば、

「火葬場から近い」

という理由で葬儀会館を選ぶことをオススメします。

葬儀会館と火葬場が近いと時間短縮になるばかりではなく、何かしらの

緊急事態が発生しても即座に対応しやすくなります。

そして、コスト的なことでも恩恵を受けやすいのです。


葬儀会館の選び方も時代とともに変わるべきですし、お客様から

選ばれる葬儀会館の運営を今後もしっかりと取り組んでいきます。



















  

Posted by フューネ三浦 at 08:11 │お葬式の知識

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2021年02月10日

病院の逼迫を感じます。

まだまだ先の見通しが立たないコロナ禍の現状で、メディアが報じる

「医療崩壊」という言葉はいささか言葉が過激なように感じますが、

愛知県内の病院において、何とか医療が持ちこたえているのは

多くの皆様の協力があってのことだと思います。本来行われるべき

手術を先送りにしたり、入院できずに自宅療養を強いられている方も

いらっしゃり、当事者の皆様は不安を抱えながら一日一日を過ごして

いるからこそ医療崩壊を免れているのです。

葬儀社という立場は各種の医療機関と密接に関わる仕事です。

葬儀社の立場から見ていても医療現場は今は全く余裕がなく、逼迫を

していることが明らかです。

例えば、お亡くなりになられてから、通常では2時間以内に清拭を終え

霊安室に運ばれ、霊柩車にご遺体を乗せて病院から出発できるという

通常時のリードタイムが大幅に遅れることがしばしばあります。

看護師さんの手が回ってないことが明らかで場合によっては6時間

以上もご遺族の方が病院で待たされることも起きているのです。

また、急患で運ばれてきた患者さんがお亡くなりになられた場合では

新型コロナウィルスに感染しているかどうかの検査を死後にしなくては

ならないので医療関係者の皆様にとっても平常時以上の手間がかかって

おり、結果的に遅れることが多発しているのです。

最近では、通常ではありえないような距離の離れた病院からのご遺体の

搬送の依頼も多くなっています。地元の病院の受け入れが出来ず

やむなく、自宅からずいぶん離れた医療機関への入院を余儀なくされて

いるケースも葬儀社という立場から見えてしまうのです。




間違いなく逼迫している医療機関が少しでも緩和されるように、また

間違っても医療崩壊ということにならないようにする為には緊急事態

宣言の発出ということはやむを得ないと思わずにはいられない現実が

まだまだ続いているのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 08:31 │お葬式の知識日々いろいろ

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2021年01月20日

弔意が示せないことのストレス

フューネがお取引をしているローソク線香の問屋さんの担当者が

話をしていたのは、昨年は過去40年間で3本の指に入るくらい

お線香が売れたとのこと。

フューネのお仏壇店でもお盆の時期と年末に喪中はがきが

届き出してから、過去最高に進物用のお線香が売れました。

しかも、売れたお線香の半数は宅配便を用いた配送でのお届けを

希望されるご注文でした。




コロナ禍の中で、葬儀に参列ができなかったということに加え、

そもそも葬儀のご案内すらなかったということが日本中に発生した

一年でした。

その結果、弔意を示す場が無くなってしまったのです。

お葬式の持つ5つの役割の中に、「社会的なお別れの場」という

役割があります。生まれてこのかた人は一人では生きては行けず、

誰かの支えがなくては人生を全うできないものです。

ですから、おのずと人と人はコミュニケーションを取らなければ

ならない宿命にあるのです。社会を構成する最小単位は「家族」で

ありますが、「家族」以外にも様々な社会と人は繋がっています。

人生の最期にその社会との繋がりを強制的に断ち切ってしまう

ことになったコロナ禍の中で、多くの人が弔意を示すことが出来ない

ストレスを感じていたはずです。

訃報を知ってから、進物用のお線香を贈ることで弔意を表すという

ことがクローズアップされ、多くの人が実施した結果が進物用の

お線香が売れたという結果になったのです。



コロナ禍が収束した後に弔意を示すことの手法として進物用のお線香を

贈ることが習慣化するのかはたまた、コロナ禍の中での一時的なブーム

で終わるのかはまだわかりませんが、

「お葬式に行きたくても行けない」

というお客様のストレスを何とか和らげることが葬儀のプロとしての

新たなミッションになったことだけは間違ありません。









  

Posted by フューネ三浦 at 09:47 │お葬式の知識

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2020年12月10日

笑いの効用

笑うという行為は多くの場合楽しさの感情表現であり、日常生活に

おいて笑う回数が多ければ多いほど、楽しい生活が送れるものです。

お葬式の現場において「笑う」という行為に違和感を感じる方は

多いのですが、その理由は「笑い」は不謹慎であるという

固定観念によるものです。

確かにすすり泣きや嗚咽、はたまた慟哭などをされている方が

いる空間で大声で笑うということはもっての外ですが、

人が亡くなってから火葬場に行くまでずっと泣いて悲しみに

浸っているということばかりではありません。




結論を先に申し上げますと、葬儀には「笑い」は絶対に必要なものだと

考えます。悲しみの中でも笑いの要素は必要です。笑いには緊張を

和ませる要素があり、また悲しみを和らげたり、一時的に忘れさせる

要素があります。ですから、葬儀の施行運営においてお客様を笑わせる

ことはサービスを提供する葬儀のプロとして大切なことです。

しかしながら、悲しみに支配された緊張感たっぷりの中で笑いを

とることはとても難易度の高いことです。

安易に笑いを取りにいくことは大クレームをリスクを孕んでいます。

経験の浅い葬祭ディレクターが笑いを取りにいくことは

はっきり言って無謀です。

それでも、ベテランの葬祭ディレクターや一流の腕の持っている

葬祭ディレクターは実に上手にお客様から笑いを取っています。

お客様の想い出話の中に上手に入り込んで笑いを取ったり、

自分自身の自虐ネタを披露したりと悲しみの中に笑いありという

理想的な空気感を作り出しているのです。




経験の浅い葬祭ディレクターが笑いをとりに行く上で、一番安全な

方法は「何事も真剣に一生懸命にやること」です。

真面目にやっていて偶発的に起きるドジなミスは必ず笑いがとれます。

笑いは取りに行くと難しいですが、笑いが起きる環境を整えることは

さほど難しくないのです。



葬儀のおけるお客様の反応で難しいのは悲しみの感情表現が

泣くなどということではなく「笑ってしまう」という方がいらっしゃる

ことなのです。

悲しすぎて笑っているお客様に間違って同調して笑い返すことは

とんでもない不謹慎なことになります。間違いなく怒りの感情に

変わってしまうのです。

そのような方がいらっしゃるからこそ、ますます難しい悲しみの

空気の中での笑いですが、「感動葬儀。」にはやはり「笑いの効用」は

絶対に必要なことなのです。










  

Posted by フューネ三浦 at 15:15 │お葬式の知識

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2020年11月10日

人を幸せにする嘘

子どもの頃に12月になると「サンタさんが来るよ」と親に言われて

サンタさんが来るのを心待ちにしていたのは遠い昔の記憶ですが、

思い出してみるとなんとも微笑ましい楽しかった記憶です。

父親になり、子供に「サンタさんが来るよ」と親に言われたように

自分の子どもに言い、サンタさんの存在を本気に信じ心待ちにして

いる我が子の姿を見ていることも幸せを感じる瞬間です。




「嘘つきは泥棒の始まり」と小さい頃から教えられ、嘘をつくことは

ダメなことだと基本的に思っていますが、正しくは嘘は嘘でも人を

傷つけたり、不幸にする嘘がいけないのであって人を幸せにする嘘は

ついて良いのです。

世の中には現実的に嘘の情報の方が真実よりも多く溢れていて、

嘘の情報に引っ掛かり、悲しい思いをするからこそ嘘は悪なのです。




葬儀の現場にも「人を幸せにする嘘」はたくさんあります。

そもそも、各種宗教が唱える宗教の教義は科学的な検証で出来ない

状態であれば、嘘とも言えます。

しかしながら、科学で説明できない事象をロジックで表現しているのが

教義であり、まさに信じるものは救われることに通じているのです。

葬儀の役割の中に悲しみを和らげることがあり、悲しみを和らげる為に

つく他人の嘘はとても大切なことです。

悲しみのどん底の中にいる人に「頑張ってね」と安易な言葉をかける

ことで返って相手を傷つけるよりも、幸せになる嘘のほうが重要です。

例えば、お亡くなりになられた方が「お星さまになる」という

嘘がありますが、それはご遺族の皆様にとって嘘でもいいから

いつでも見守ってくれているという願いなのです。

最も嘘をつき続ければ物事は真実ではなくても事実にはなります。

こうした真実ではない事実で世の中は動いていくのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 15:29 │お葬式の知識

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2020年10月22日

お寺様が来ない

お葬式を生業にしていると想定外のハプニングやトラブルの発生は

日常茶飯事のことです。

人と人が交わる以上、様々な事故や誤解、感情の起伏による

トラブルなどなどがありますが、意外に多く、そして葬儀のプロとして

冷や汗をかくのが、「お寺様が来ない」ということです。

葬儀のスケジュールは結構、分刻みで動いており、遅れは

多くのお客様をお待たせすることで多大な迷惑をかけるばかりでなく、

葬儀後に火葬をする場合は火葬場のスケジュールを大きく狂わせる

ことになり、他の火葬を予定しているご葬家様にもご迷惑をおかけ

することになってしまいます。

お寺様が予期しない交通事故で大渋滞に巻き込まれて時間までに

辿りつけないことは不可抗力の部分もあり、仕方の無いことですが、

通夜・葬儀の場所を間違えて別の会場に行ってしまったとか、

そもそも、通夜や葬儀の日取りを勘違いしていたという明らかな

お寺様のヒューマンエラーは苦言の一つも言いたくなるものです。



お寺様が大幅に遅れて来られて通夜のお勤めや葬儀の式典が

出来ずにご弔問のお客様にはご焼香だけをしてお帰り頂いたなんて

いうことはこれまでに何度も経験をさせて頂いていますが、本当に

故人様にとって人生の一回きりのお葬式が台無しになってしまうことは

葬儀社としてはあってはならないことで、冷や汗がとまりません。

お葬式はやり直すことが出来ない人生における大切な儀式です。





お寺様のヒューマンエラーで来られないということもありますが、

体調に変調があったり、人身事故で救急車で運ばれたりして来ることが

出来なくなることもあります。

とにかく葬儀会場までお気をつけてお越し頂きたいと願うのみですが、

それも含めて何があっても対応できるように時間には充分に余裕を持って

行動することはプロとしては絶対に大切なことですね。

















  

Posted by フューネ三浦 at 10:31 │お葬式の知識

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2020年09月20日

葬儀の備え

新型コロナウィルスの影響で目に見えて減っているのが、

葬儀の事前相談の件数です。

3月から減り始め、4月・5月は緊急事態宣言の発出により、

ほぼ事前相談のお客様の来社はゼロになってしまいました。

6月以降は徐々にお客様が増えてきてはいますが、それでも

例年のお客様と比べると3割ダウンの状況です。

フューネではご来場に抵抗のあるお客様や遠隔地からの

ご相談に対応する為に、

24時間葬儀のネット相談サービスをzoomを使用して4月より

開始しました。




くわしくはコチラ↓
https://www.fune.ne.jp/online/online-soudan.html

現在のコロナ禍の中でのお葬式の施行には、通常では考えなくても

よいようなことも気を配らなければなりません。

そのようなアドバイスがお客様に事前に出来ればよかったのにという

ことが多々あるのが現状です。

非常時において、平常時の常識が通用しない現在、葬儀の事前相談の

重要性は非常時よりも増しているのに、実態は希望されるお客様が

減少していることは私たち葬儀社にとっても、お客様自身にとっても、

何も良いことではありません。

弊社調べのアンケートの結果で恐縮ですが、事前に葬儀の相談をして

いたお客様の満足度は94.5%と突出した結果となっています。

葬儀の事前相談は

①ご自身のするべきことを知る
②希望を叶える
③費用を知る
④わからないことを無くす

という効果があり、お客様の安心に直結するのです。



近年では、台風などの災害に備え、計画的に備えをすることで一定の

被害の軽減に成功していますが、葬儀においても「備え」をしておく

ことが後悔しないお葬式を実行する為には絶対に必要不可欠なこと

なのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識

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2020年09月10日

導くことの重要性

元来、お葬式で行われている各種宗教の儀礼は「導くこと」です。

仏教の場合は葬儀式を司る僧侶のことを導師を呼び、文字通り

お浄土へと導く師(先生)の役割を果たしています。

キリスト教式のお葬式においても神父もしくは牧師は言葉を

使い、今世での罪の懺悔と来世での安穏な生活を語っています。

神道のお葬式も神職が「祝詞」を使い神様の前でお祈りをします。




初めて行く場所へはナビゲーターが必要です。

私たちはクルマを運転していてもほとんど方がカーナビの便利さの

恩恵を受けています。

初めて潜る海、初めて登る山など特に大自然の前では誰かの

導きがなければ命の危険に簡単に晒されてしまうのです。




「導く」ということは未来を示すことです。

特に大切な方を無くされた人は未来を見つめることが出来なく

なります。人は過去へは残念ながら進むことが出来ないということは

頭では解っていても、過去の戻りたいという心情に陥ってしまうのが

葬儀中の心情です。

宗教に基づいてあの世まで導くことでご遺族の心の安寧を

担保することが宗教者の役割でありますが、葬儀社の役割は

ご遺族の皆様が悲しみを断ち切って早く、一刻でも早く

日常の生活に戻ることを後押しすることなのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 16:06 │お葬式の知識

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2020年08月22日

食事を共にするということ。

食事というのは人間が生きていく中で、単に栄養を補給するという

行為ではなく、五感を使って楽しむものです。

さらに、会食となると誰と食事をしたかということが一人で食事を

することの何倍も楽しく、共感や連帯感が生まれてくるのです。

大変残念なことに新型コロナウィルスの影響で会食ということに

私たちは多くの制約を受けることとなりました。一度に多くの方と

話しが出来る立食パーティーなんてものは完全に新型コロナウィルス

が収束しない限り難しくなってしまいました。

今、新型コロナウィルスと上手に付き合っていくことを意味する

「withコロナ」というキーワードがささやかれていますが、人と人とが

共に食事をすることにこれまで以上に工夫が必要でしょう。

それでも食事を共にするということは人間の営みの中では必要不可欠な

大切なことだと思うのです。



以前ブログ記事で再三、食に関する様々な角度から書いてきましたが、

やはり冠婚葬祭にとっては「食」というものは切っても切り離せない

ものです。しかしながら、今回の新型コロナウィルスは食を無理やり

切り離そうとしています。

コロナ禍の葬儀の現場では確かに食事の機会は減っていますが、

それでも家族が食事を共にしている時の楽しそうな笑い声はお葬式を

通じて集まった家族や親族の結びつきを再確認させて頂ける確かな

ものです。

食事を共にするということの機会を大切に考える時を今迎えている

のです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:10 │お葬式の知識

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2020年08月11日

葬儀と電話

まだまだ携帯電話が普及する前の時代は公衆電話はとても重要な

道具でした。外出先で電話をするとなれば公衆電話でしたが、

私が一番公衆電話を使っていた時期というのはポケベルに

メッセージが入れることができる機能を備えたポケベルを

持っていた時でしょうか。一日に何回もポケベルにメッセージを

打つために公衆電話を探した思い出があります。

現代ではすっかり公衆電話そのものを見かけなくなってしまいました。

老いも若きもスマートフォンを持っている現代において公衆電話を

使用することは日常ではほとんどないでしょう。しかしながら、

スマートフォンを忘れた時や壊れた時、バッテリーが無くなって

使えない時の非常時にはとても役に立つ公衆電話ですし、

災害時の非常時においてもそのその存在は際立っていました。

さらに、携帯電話が普及してもしばらくは病院内で医療機器が

携帯電話から発せられる電磁波で誤作動を起こす危険性があり、

病院内での使用が禁止をされていた頃は事務所の電話の

ナンバーディスプレイに「コウシュウデンワ」と表示が出るとまず、

病院からの葬儀のご依頼であり、とても緊張したことがとても

懐かしいです。




さて、葬儀が発生した時はネット時代といえども、まだまだ電話の

役割は重要です。

まず、近親の方が亡くなり、葬儀社や宗教者に葬儀を依頼する時は

まず電話で依頼をしますし、メールやLINEでの葬儀依頼はゼロでは

ないのですが、とてもレアなケースなのです。

加えて訃報を関係者に知らせるのも電話がまだまだ主流です。

重要なことは緊急のことは電話が基本です。

しかしながら、LINE・フェースブック等での訃報の連絡に始まり、

最近では葬儀に参列が叶わない方にZOOMなどのテレビ電話の

機能を使った中継をされる方がとても増えてきています。

火葬場においても火葬場に行けない方にリアルタイムでLIVE中継を

するといったこともされる方が増えています。

それに伴い葬儀会館内・火葬場内でおいて撮影の禁止のエリアで

無許可で撮影をしてトラブルに発展するケースが頻発しているのは

今後の対策が急務です。



電話の進化ともに使用の用途が変わってきていますが、そもそも電話

すら普及していなかった時代の訃報の連絡は電報でした。

葬儀において人と人を繋げていく道具は音声から映像にシフトして

いくことだけは間違いのない方向性でしょう。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:34 │お葬式の知識

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2020年06月09日

香典もキャッシュレス

国家は推奨するキャッシュレス化の波は様々なものもキャッシュレスに

していきます。

お葬式の現場でも以前より未来を予測する時に

「香典もキャッシュレス」と思えば随分前から叫ばれていました。

現金を用意する手間だけでなく、のし袋を用意することなどの手間が

一瞬で「手間のかからない」ものに進化するキャッシュレス化は

必ず訪れる近い未来でした。

もうすでに一部の葬儀社でORコード決済を利用したキャッシュレス化

が始まっています。

まだまだ、実験段階のところがほとんどですが、香典の授受における

キャッシュレス化はある日を境に爆発的にヒットをする予感も

するのです。




有史以来、人間は便利さを求めて「手間のかかる」ことを

省略してきたのが歴史であり、進化です。

しかし反面、効率を優先することで大切な何かを

いつも失ってきました。

元来、冠婚葬祭というものは「手間のかかる」ことをあえて

手間をかけることによって成立するものです。

キャッシュレス化は便利ですが、香典を渡す、受けるという

本来の意義をちゃんと継承していかなければ、ただの

お金の寄付行為になってしまうことに非常に危惧のです。

とはいえ、お葬式の現場に新しい感覚が入ってくることは

良いことです。

そして、新型コロナウィルスのおかげで、葬儀に参列する方に

何らかの制限を設ける方が多くなり、ネット環境を利用したライブ動画

で葬儀に参加する方も増えてきました。

このような方が香典をお供えするのにキャッシュレスはとても有効な

手段になっています。




古くからの葬送文化を守りつつ、新しいものを開発していく

姿勢はこれからもフューネが大切にしていきたいことなのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 08:32 │お葬式の知識

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2020年05月18日

ご遺体に触れることの大切な価値観

ついに日本でも交通事故でお亡くなりになられた方が

実は新型コロナウィルスの陽性であったということが起きました。

葬儀社にとって新型コロナウィルスの一番の脅威は陽性でお亡くなり

になられたことが解っている方ではなくて、いわゆる普通の死因で

お亡くなりになられたはずの方が陽性患者であったというケースです。

残念ながら、新型コロナウィルスに罹患し、病院で治療を受けて

亡くなった方の場合は必ず病院から死因の告知があり、

私たち葬儀社の社員も防護服・マスク・ゴーグル・手袋と完全防備で

ご遺体と対峙することになります。

正しい装備の使い方をしていれば、まず感染するリスクはない

のですが、陽性患者であったことがご遺体の接触の後に判明することは

極めて危険な状態です。

なぜかというと、ご遺体を素手で触るからなのです。

公衆衛生の観点からいえば、ご遺体に付随しているあまたの雑菌に

対して素手で触るということは新型コロナウィルスうんぬんに

関わらず、とても危険な行為です。

そこまでわかっていてなぜ葬儀社の社員が基本的に

ご遺体を触れる時に素手なのかというと、死体としてではなく

「生きている人」という観点でいるからなのです。

ご遺族にとってはお亡くなりになられた方は「生きています」。

ですから、人間の尊厳を冒す行為はご法度であり、間違って

私たちが「死体」と呼ぶことはありません。

百歩譲って「ご遺体」という言葉で呼ぶのです。



しかしながら、新型コロナウィルスという未知の命の危険に晒される

ウィルスの前に私たち葬儀社が大切にしてきたご遺体に対する尊厳

さえも脅かすことになってしまっているのです。

従前のように、「生きている」人に触れるのに手袋・マスクの着用は

失礼ではないかということと、自分自身の身の安全を守る為には

着用するべきという観点の葛藤がそこにあるのです。



良くも悪くも、命を危険を晒すウィルスの前にこれまでの常識と

呼ばれる概念や観念は崩壊しました。

同時に新たな価値観が生まれてきます。

ご遺体に触れることの大切な価値観もアフターコロナにおいて

大きく変化する予感がするのです。











  

Posted by フューネ三浦 at 08:18 │お葬式の知識

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2020年05月08日

死を想え!(メメント・モリ)






今年の3月18日に中日新聞で2017年12月から2019年3月までの

長期連載記事であった「メメント・モリ」に加筆されて書籍として

発売されました。本のタイトルは

「死を想え(メメント・モリ)! 多死社会ニッポンの現場を歩く」

であり、フューネの納棺の取り組みを以前、連載記事として取り上げて

頂いた部分がそのまま219・220ページに掲載されています。

よろしければ、現代の終活事情の問題点が解りやすくまとめて

ありますので、興味のある方は是非ともご購入ください。




新型コロナウィルスが猛威をふるっている現況で、「メメント・モリ」

という本のタイトルは本当にタイムリーです。

「メメント・モリ」という言葉は中世のヨーロッパで使われたラテン語

の警句であり、日本語に訳すと「死を想え」とか「死を忘れるな」

という言葉になります。

「メメント・モリ」という言葉が生まれた歴史的な背景には伝染病の

黒死病(ペスト)の猛威により、人命が次々に奪われたという悲劇

の時の警句であったのです。まさに今の新型コロナウィルスと同じ

歴史的共通点があるのでタイムリーという表現を使わせて頂いて

いるのです。

地球上にいるすべての人が命の危険に晒されている現在、

私たちは否応なしに「死」の恐怖と隣合わせの状態です。

平和な時では考えない「死」を真剣に考えられる時なのです。

世界的に経済活動に対して甚大な犠牲を強いても、守って

いるのは人の命であり、命の重さに大小はないのですが、

助かる命と助からない命の選別さえ要求される医療崩壊寸前の

医療現場が世界中にあることを考えると今は非常時であることは

間違いの無い事実です。



非常時は日常時の常識は通用しません。

非常時だからこそ、「死」というテーマから逃げることなく、

向き合って、それぞれの命を大切にする時なのです。









  

Posted by フューネ三浦 at 08:20 │お葬式の知識

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2020年04月19日

加速し始めた少子高齢化社会

厚生労働省が昨年12月24日発表した2019年の人口動態統計の

年間推計で日本人の国内出生数は86万4千人となり前年比で

5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を

下回りました。

出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人と

初めて50万人を超えました。

私の住んでいる愛知県豊田市の人口よりも多い51万人が

たった一年間で日本からいなくなってしまうという現実はなかなか

衝撃的であり、国も放置できない水準であります。

単純に人口が減るということは消費が減るということです。

消費が減るということは経済が衰退するということに繋がりますから、

人口が減るということは実はとても恐ろしいことなのです。




人口が減るのにお亡くなりなられる人が増えていくということは当然に

残された人々の負担が増えていくということです。

このような時代の背景が葬儀の小規模化・簡素化に流れになって

きています。

葬儀社の社長として言わせて貰えるのであれば、葬儀の小規模化は

仕方ないことだとしても、葬儀の簡素化は納得できるもの

ではありません。

お金をかけなくても出来る弔いの方法はたくさんありますが、

葬儀の小規模化という理由にかこつけて、「簡素化」を推進して

しまっているのです。

親をおくるこころは「簡素化」ということばとは相性は悪いはず

なのですが、昨今の葬儀の世情を鑑みるとどこかおかしい方向に

進んでいるような気がしてならないのです。
















  

Posted by フューネ三浦 at 14:07 │お葬式の知識

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2020年04月08日

「備えあれば患いなし」とはいかず。新型コロナウィルスの対応

新型コロナウィルスの猛威は本日現在、先が見えずに不安や恐怖が

日に日に増すばかりです。

国民的コメディアンの志村けんの死は新型コロナウィルスをどことなく

他人事と捉えていた人々に恐ろしさを知らしめる警鐘となり、著名人の

死の影響はとても大きい衝撃でした。

重症化すると死までの期間がとても短く、昨日まで普通に会話を

していた人が翌日には亡くなっているという現実はとても

ショッキングなことであり、遺族の方が恐ろしいのは死ぬことよりも、

発症しても家族にも会えず、亡くなっても顔をみることも叶わず、

本人も家族を孤独を味わって逝くという最期は人生の終わりとして

とつもなく無残なことだと思います。



葬儀社は「死」を扱う以上、新型コロナウィルスに感染しお亡くなりに

なられる方からの葬儀を依頼を想定しなければなりません。

日本国内で初めて新型コロナウィルスに感染した人が発生した

2020年1月中旬にはもしかしたらいう状況を想定しはじめました。

実際にお亡くなりになられる方が発生しても、新型コロナウィルスに

罹患したご遺体の処置の方法を解らない状態でした。

2月末に名古屋市の火葬場が受け入れのガイドラインをリリースし

ご遺体を密封した専用の袋(納体袋)に入っていることが受け入れの

条件であることが解りました。火葬においては死から24時間以内は

火葬をしていけないという法律があるのですが、法定伝染病は

この原則の例外ですぐに火葬をしなければなりません。

新型コロナウィルスは法定伝染病扱いで例外かどうかという情報も

2月の中旬頃に厚生労働省がやっと発信しました。しかしながら、

発信した情報だけでは重要な情報がほとんど反映されておらず、

これだけでは現場が混乱してしまうレベルでした。

足らない重要な情報は地元の保健所や医療機関と確認して

いざという時の対策を練ってきました。




新型コロナウイルス感染症で死亡した人の遺体を医療機関が

葬儀業者に引き渡す際には、感染していたことについて

伝達を徹底するよう求める事務連絡を全国の自治体に通知したのは

志村けんさんが亡くなったというニュースが流れた3月30日です。

葬儀社の立場からいえば「遅い」の一言につきますが、現場の混乱を

考えると仕方がないという側面は理解はしています。

しかしながら、ご遺体の処理の方法という点において

「備えあれば患いなし」とはいきませんでした。

備えがないことで一番被害を受けるのはいつも現場にいるスタッフ

なのです。

それでも新型コロナウィルス発生から3か月以上が経ち、

当初全く無かったマスクや防護服・納体袋もなんとか確保でき、

国や都道府県・医療機関・火葬場との新型コロナウィルスの

ご遺体の取り扱い方の情報の伝達・共有も整ってきました。

備えはやっと整いつつあります。

準備ができた安心感はありますが、準備したものを使うことが

ないことを祈らずにはいられません。

犠牲者を最小限に抑えること、一刻も早い収束を心より願っています。






























  

Posted by フューネ三浦 at 09:19 │お葬式の知識

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