2017年09月04日

鹿島神宮のクレジットカード

日本にはコンビニ数よりも多い神社と仏閣があり、これからの時代に

維持をしていくことが非常に難しい時代になっています。

ちなみに神社、仏閣の数は平成26年の文化庁が行なった

「宗教統計調査」によると

神社の数・・・81,342

お寺の数・・・77,254

となり、コンビニがおよそ5万5千店くらいですからいかに多いのか

わかるでしょう。

近年はお布施の減少などで、神職・僧侶の方が専業で出来る仕事

ではなくなっている方々がほとんどであり、専業で宗教者として活躍

している方々は全体からみればごく一部なのです。



さて、先日、茨木県鹿嶋市にある鹿島神宮がクレジットカードを発行

しました。神社のクレジットカードは日本初です。


詳しくはこちらのサイトをご覧ください↓
http://www.micard.co.jp/card/ksm/

鹿島神宮は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」がご神体

であり、古事記にも記載があります。日本で初めて相撲をとった

神様として、武道の神様として有名です。

とても由緒のある神社です。



クレジットカードの特典として、通常は入ることができないところに

入れる特典や宝物館の入場が無料ということですが、

お祓いされたカードが手元に届くことはクレジットカードそのものが

お守りになっていると思います。

たまったポイントは神宮に自動寄付になり、そのお礼に返礼品が届くと

いう特長があります。



神社の氏子。お寺の檀家は神社・仏閣を支えていく上でとても重要な

役割ですが、現代はその役割を担うことを拒絶する方々が増えている

中、とても時代にあった神社の維持方法だと思います。



檀家制度は江戸時代に徳川幕府の国策でできた制度ですが、やはり

時代が古く現代合わないから様々な問題が起きていることが事実。

もう10年以上前になりますが、あるお寺様に檀家制度を廃止して

お寺のファンクラブ的な制度を設けないとこれからの時代は生き残って

いけなくなる時が来ますよと申し上げたらひどく怒られた経験が

ありますが本当に生き残る為にはクレジットカードはとても素晴らしい

発想だと思うのです。

もちろん、鹿島神宮が由緒ある神社であることなどの条件からカードが

さらなる価値を産みだしているのですから、すべての神社・仏閣が

クレジットカードを発行することは無理でしょうが、カードの所持者の

カード利用のポイントが維持費に代わるという仕組みはとても

神社・仏閣の維持のヒントが隠されていると思うのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:22 │日々いろいろ

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2017年09月02日

定年

公務員・企業などは、ほとんど「定年」を定めがあり、多くは65歳での

定年退職を求められているのが現状です。

また企業によっては役職定年というものがあり、優秀な人でも定年

に達すると役を降り、新しい働き方も求められるのです。

一般的に40歳くらいから気力・体力というものは衰え出すといわれて

いますが、統計上、人生90年といわれる現代において、65歳の定年も

まだまだ早すぎますし、40歳で衰えている場合ではないのです。

しかしながら、若い方みれば、衰えは確実に見抜かれますし、

衰えが顕著なのに、以前のような比較的横柄な態度で接するならば

確実に嫌われるものです。




私の著書「感動葬儀。心得箇条」の中でふれさせて

頂きましたが、人生は定年を迎えてから新たな人生を得られること。

「人生を二度生きる」

ことの推奨をさせて頂きましたが、今の時代人生を三度生きるくらいの

心持ちでないと、人生90年時代に充実した一生を貫くことはできないの

ではないでしょうか。




長く生きられるということは本来はありがたいものです。

様々な体験や感動や喜びが待っているからです。

反面、楽しくないこと。嫌なこと。辛いことに遭遇することもある

わけでそのバランスが老齢とともに楽しいことよりも辛いことの

ほうが多くなってしまうような生き方ではいけないのです。




人生を楽しくするには仕事に限らず何事も「定年」を定めて生きていく

ことが良いのです。小学生の定年は12歳ですし、中学生の定年は15歳

20歳や30歳で小学校に通っても面白いことはないですし、仮に通った

としても自分が良くても周りは嫌な訳です。

自分自身が自ら定年を定めることで、目標ができますし、メリハリも

つくはずです。

人生をいかに楽しく生きていくのか。

後悔をしない人生にやはり定年は必要なのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:12 │日々いろいろ終活の教科書

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2017年08月25日

続・遺灰ビジネス

今から8年前の2009年4月22日付けブログ記事「遺灰ビジネス?」

取り上げました火葬場で遺骨を持ち帰らないご遺族が所有権を

放棄をされた遺骨の中から有価金属を回収して換金することは

今でも賛否両論あります。

ブログ記事はコチラ→ http://fune.boo-log.com/e49073.html






ご遺族としては、しかるべきところに埋葬をして欲しいと思って

いても所有権が自治体に移転にした残骨灰は年々増加の一途です。

特に以前に比べて収骨をする骨の量は本当に少なくなっています。

握りこぶし大位の量だけ収骨して残りはは所有権を放棄してくる

といった少量の収骨を希望されるお客様は本当に増えています。

葬儀の簡素化の波の中では今後もますます増えていくはずです。

実際にすべてのお骨を収骨される方というのは全体の1%くらいで

あり、ほとんどケースが一部のご遺骨を収骨するというものです。




8年前にブログに取り上げた時の名古屋市の売却益は1000万円。

これでも当時随分と驚いたのですが、2015年での統計で

名古屋市健康福祉局環境薬務課から「金、銀、プラチナ、

パラジウムを約4880万円で売却した」と発表があったのです。

名古屋市の火葬場は自治体が運営する火葬場としては

国内最大級です。売却額も国内最大級ですが、約5000万円の

収益になることに驚きです。



遺族の感情は複雑でしょうが、遺灰を引き取りを業者に依頼すれば

1円入札になり、業者に大きな利益になってしまうという問題もあり、

それならば、自治体が収益をあげるべきです。

それで年間多額の税金を投入している火葬場の運営が少しは

よくなれば良いのですが。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:09 │日々いろいろ

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2017年08月21日

ロボット導師

ヤフーのトピックスに「Pepper導師」誕生という記事が掲載されて

いろいろと物議を醸しています。

記事は以下の通り
プラスチック成形などを行うニッセイエコが、ITを活用した新しい葬儀を発表しました。特に注目なのが「ロボット導師」で、導師姿のPepperくんが読経をしてくれます。


 このサービスは、菩提寺の無い人や、霊園や納骨堂を求めたい人、檀家制度にとらわれたくない人など、葬儀に関するさまざまなニーズに応えて生まれました。葬儀、法事法要、戒名授与などの場で、希望の宗派に合わせてどんな場所でも読経してくれます。

 また、Pepper導師は、説法もしてくれるとのこと。横にはちゃんと人間の副住職がいるため、何かあった場合でも安心です。

 このように葬儀の常識を変えてくれるかもしれない画期的なアイデアとなっているのですが、やはり導師姿のPepperくんが祭壇の前に佇む姿があまりにも強烈。何も知らずに訪れた葬儀会場でPepper導師の読経が始まったら、“絶対に笑ってはいけない葬式”になりそうなのですが大丈夫でしょうか。説法とか、導師の目を見て話を聞けそうにありません。

 その他にも、芳名帳記入をIT化した「電子芳名帳」や、会場をインターネットを介してライブ配信し参加できない人もスマホなどで疑似参列できる「ネット葬儀サービス」、祭壇の疑似シミュレーションができる「アバター祭壇」などを提案しています。

 葬儀業界のIT化に注目し、葬儀事業にIT事業を融合させたサービスを開発したというこれらのサービス。果たして、受け入れられていくのでしょうか。



「超えてはいけない一線を超えた」

というようなか厳しい意見が寺院関係者・葬儀関係者から沸き起こって

いるのは私も当然の結果だと思うのです。

物質的にみれば、「ロボット導師」はお葬式にCDでお経を流して

いることと相違ない行為だといえるのです。

これまでフューネではたとえお客様からお経はお寺様を呼ぶお金が

無いからCDで流してと言われても絶対に拒否をしてきました。

CDでお経を流すくらいなら流さないほうが良いですし、それを

やるくらいなら、下手でもフューネ葬儀担当者が心を込めてお経を

唱えたほうが絶対に良いことだと思う信念があるからです。

お経を読むことができなければ。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでも良いし、

声を出さずにただ祈ればよい。

つまり、「供養とは心なのです」




これからの時代AI(人工知能)の時代であることは事実ですし、葬儀の

業界にITもAIも導入されていくことは大切なことだと思います。

しかしながら、人間にあってAIに無いものは「倫理」であり、

「心の無い」ものは絶対に冠婚葬祭には不適格なのです。




「導師」とはそもそも、死者をこの世からあの世に導く人であり、同時に

遺された人々に正しい道を説く(導く)人のことをいいます。

ロボットが人を正しい道に導くことが出来るのならば、ロボット導師の

存在は必要と認めるのですが、それが出来ないのならば、前述のとおり

CDプレーヤーと同等の扱いです。




葬儀の簡素化は時代の流れといえども、やはり「弔う心」に対して

違和感を感じるものは受け入れることは出来ないのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │日々いろいろ

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2017年08月11日

お盆と「あの世」の存在

今年も8月のお盆の時期がやってきました。

多くの日本人によって酷暑ともいえるこの時期に故郷に帰省をして、

ご先祖様のお墓参りをするというこの国の風物詩は各種の年中行事

の中でも特別なものでしょう。

加えて、第2次世界大戦の終戦という節目のこの時期は戦争で国を

守ってくれた多くの先人に感謝し、弔うという「戦後」の夏の在り方が

すっかりと定着しているのです。





お盆の行事や先人達への弔いはあくまでも「あの世」があるという

前提で行われています。基本的にこの世に生を受けている人は

「あの世」へは行ったことのない人ばかりですから、「あの世」が

本当に存在をするのかという問いには正確に答えられる人はいない

はずです。それでもあくまでも「あの世」は存在するという前提に

お盆の行事はあるのです。





あの世の存在を否定する人は一定数存在するのですが、近年、

「あの世」があると信じている人は増えてきているようです。

しかしながら、本来は「あの世」のことを解説するのが各種宗教の教え

なのですが、「あの世」の存在と宗教の肯定は別次元の問題と

捉える人が多くなっているようなのです。





自分からみて2世代・3世代前のご先祖様はこの世で交わっていて

言ってみれば近くの存在です。

その人達がいる「あの世」と何世代前のいる「あの世」では感覚的に

違うはずです。

お盆に祈るご先祖様は間違いなく、近くのご先祖様に想いを巡らせて

いる方が圧倒的に多いのです。










  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │日々いろいろ

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2017年08月09日

行列

日本人は基本的に行列が苦にならない民族だとも言えます。

外国人から見ると一時間・二時間と並ぶことに特異さを感じる

ようで、元来日本人の持つ、忍耐力は相当なものでしょう。

しかしながら、ほとんどの日本人は行列が好きな訳ではありません。

現代ではコンビニで数人のレジ待ちの行列に並ぶことさえも

「イラッ」としてしまうのがない現代の日本人のはずです。




多くの店舗で「長い行列」が出来ることが一見流行っているように

見えて良いことだと思うのですが、行列が出来るということは

販売の機会を逸失してしまうことが多く、経営的には絶対に良くない

のです。前述のコンビニのレジでも並んでいるだけで他の店に行こう

ということになってしまいますし、飲食店において行列が出来ている

ことで入店を諦めることは誰もが経験していることでしょう。

行列が出来ることは繁盛店の証みたいなイメージがあるのですが、

本当にお客様を並ばせることは本来は「悪」なのです。

大切な「行列」は見えない行列をいかにして作ることかということに

尽きるのです。

最近の飲食店ではスマホなどで、整理券を取得することが

出来たりして、お店で待っていなくても順番がとれるというサービスも

あり、これこそ見えない行列なのです。



葬儀会館も毎日のようにお葬式を施行することが経営者としては

理想な状態なのですが、毎日葬儀をやっているというイメージが

定着すると

「あそこはいつも混んでいる」

と勝手にお客様に敬遠をしてしまうことがあるのです。

ですから、適度に流行っている状態が理想なのです。

流行りすぎてもダメ。かと言って全く流行らないのはもっとダメと

いうなかで「そこそこ」の状態が一番良い状態なのです。




見えない行列を作り出すことがお客様にとっても経営者にとっても

WINーWINな関係になっていくのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 10:54 │日々いろいろ

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2017年07月25日

飲み物を飲む

最近の講演会や研修会ではお茶やミネラルウォーターを持ち込む人が

多く、また主催者側があらかじめ用意をしていることも多々あります。

特にこの時期はエアコンが効いている室内であっても熱中症にかかる

場合もあり、適量に水分を補給をすることは医学的な見地からみても

とても大切なことです。

私が子供の頃と思うと水分の補給を概念も大きく変わっています。

ペットボトルの誕生でひとりひとりが気軽に飲み物を運べるように

なったことも水分補給をしやすい環境を作ってくれています。



それでも、お葬式の最中に飲み物を飲まれる方はまずいません。

お葬式に限らず、式典というものは基本的に飲食は禁止です。

ですから、始まる前にお茶等のおもてなしがあったりしますが、

水分補給は重要なことです。

フューネの葬儀会館でも開式前にはお茶の接待を参列者の

皆さまに実施しています。

式典中に口の中が乾燥して、咳き込まれる方がいらっしゃいます。

一度出た咳は止まらなくなくケースが多く、厳粛の式典の中では

とても目立ってしまい、本人もとても恥ずかしいものです。

そのような時は水分を補給することを躊躇しないほうが賢明です。

フューネの葬儀会館ではそのような時にそっとお水をお客様に

お持ちをします。大抵の場合はとても喜ばれます。



お客様が遠慮をされるような行為をさりげなく後押ししてあげることが

プロの仕事だと思っています。

「感動葬儀。」
は細かいところまで気を配れてこそなのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:22 │日々いろいろ

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2017年07月23日

読み返し

以前に読んだことのある書籍でも、時が経ちあらためて読み返して

みると以前には気づかなったことが発見できたり、前回とは感じ方

が変わって受け取る私たちの答えが違ってきます。

特に名作と言われる小説は読むごとに様々な発見があったりして

とても楽しいものです。

自分自身の成長や社会的な立場によって感じた答えが違うことが

「生きている」という証なのかもしれません。




葬儀の司会者にお客様から、お手紙を朗読をして欲しいというご要望

を多々頂きます。

お亡くなりの方にあてて書いたお孫さんからのお手紙であったり、

お亡くなりになられた方が生前に書きしたためたお手紙を自身の死後に

遺された人々にメッセージとして読むこともしばしばあります。

数年前から10年以上前に書いた手紙を読んで欲しいというお客様の

ご要望もあります。

手紙を書いた本人にしてみれば、今の考え方では必ずしも無いかも

しれませんが、随分前に書いた手紙を読み返すことで発見する何かが

あるのでしょう。




仏教の経本の中には、弟子たちに方向性を示した文章や手紙が

あります。これを繰りかえして読むことで方向性を間違えずに「教え」

が何百年と伝わってきているのです。大切な伝えは

何度も読み返すこと。

感じ方は人それぞれで、その時その時の気持ちが入り変わるかも

しれませんが、それもまた良いことです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:28 │日々いろいろ

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2017年07月21日

スタンディング

先日、とある立ち食いそば屋さんで食事をしていた時に

3歳くらいの女の子を連れたお母さんが二人で入店してきました。

お店の外で食券を買い、お店に入る仕組みのそば屋でした。

中に入った時に、どうも「立ち食い」だと思わなかったらしく、

お母さんがしばらく固まってました。

しかし、椅子席が無い店内でそばは食べる様子でしたが、

子どもには高いテーブルには届かず、お母さんはお店の人に

「踏み台はありますか」

と聞いていました。残念ながら、お店に踏み台は無く、またそもそも

子どもが来店することをお店側が想定をしていないようでした。

結局のところ、お母さんが器を手に持ち、子供さんの高さに合わせて

しゃがんで食べていました。




スタンディングのバーや喫茶店。そして、スタンディングスタイル

だから、安く提供することが出来る飲食店は今、都会では結構

あちこちで見かけることができます。

「スタンディング」ということで結果的に何かを制約することで、

お客様が望むニーズを満たしていることはお客様とお店側の双方が

WINーWINの関係になることはビジネス上は大切なことです。

但し前述の親子のような想定外を想定する対応はどんなお店を

必要なことでしょう。





葬儀というサービスも格安で提供している葬儀プランも存在します。

安く提供できる代わりに、多くの場合、何らかの制約が伴っているもの

がほとんどです。

葬儀の会場の制約。お花などの飾りや備品の制約などお客様に

一定のご理解を頂く上で安く提供できるのです。

しかしながら、一定のご理解を頂けない一部のお客様からの制約に

対するクレームはなんとも辛いものです。

多くの場合、クレームを頂いたお客様にしっかりと事情を説明すれば

ご納得頂けます。

葬儀という商品においても「スタンディング」的な商品はこれからも

増えてきます。それを提供する側の説明責任とお客様の納得した理解

がなければ、いつまで経っても後味の悪いものになってしまうこと

からは抜け出せません。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:21 │日々いろいろ

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2017年07月19日

自動ブレーキで事故が無くなる

人の死は様々な亡くなり方がありますが、突然にやってくる交通事故

での「死」は誰にでも起こり得る危険性があり、また当事者の悲惨さは

なんとも言葉が見つからないものです。

年々、交通安全に関する各種活動の効果もあり、死亡事故での死者が

減少傾向にあることは喜ばしいことです。

交通事故でのお葬式はこれまでもブログで何度も取り上げましたが、

被害者も悲惨ですが、加害者もまた悲惨な運命にあるものです。

近年は自動ブレーキを装着した自動車が徐々に普及をして、さらに

交通事故が減ってくる可能性があり、被害に遭われる方が一人でも

減ってくることがとても素晴らしいことです。




交通事故が減少することの裏側に安全装置としての自動ブレーキを

装着するコストが新車に上乗せされる反面、接触事故が減って

板金塗装をする修理工場の仕事が減少しています。

世の中のこれまでの常識があるものを境に急激に変化してしまうこと

があることは多々あります。




どんな時代が来てもどんなに科学が発展しても人は「死」からは逃れ

ません。

しかしながら、自分が理想としている死に方が選べるならば、

交通事故死を選ぶ人は誰もいないと思います。

自動ブレーキはそういった意味では本当に素敵な発明品だと

思うのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:57 │日々いろいろ

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2017年07月13日

葬儀の写真撮影

先日、インターネットの記事を見ていたら、火葬場でお棺の中にいる

自分の親の写真をスマホで撮影したら、注意をされトラブルになった

という内容が掲載されていました。

自分の親とはいえ、死者の顔を写真に撮っておくことが果たして良い

のかという議論は昔からあるのですが、そもそも火葬場のルールで

写真撮影が禁止になっているところは全国多々あり、仮に

写真撮影禁止であれば、いくら自分の親の最期の姿と言えども

いけないことになるのでしょう。




お葬式の風景は「悲しい」風景であり、葬儀中の悲しんでいる姿を

写真に収められたくないという方は大勢います。

取り乱している姿や、化粧が落ちてしまっていたり、やつれている

姿は誰も振り返りたくないでしょう。

葬儀の記録として写真を残しておくことは次回の時の為には

非常に役に立つ資料になるのですが、撮影時の配慮は本当に

必要です。




前述の死者の顔を撮影することは、賛否両論あります。

記録として残したくないという方や、最期の姿だから忘れたくない

からといった意見や場合によっては霊魂の存在を気にする方は

写真を撮ることがNGだと言われる方も。

私の立場から言えば、皆さまの意見が違うということ。

まずはご遺族・ご親族の個々の意見をまとめてから撮影をしないと

いけないと思います。

さらに言えば、勝手にSNSを通じてネット上にアップをしないことです。

後からの修正が出来なくなりますから。




お元気で生きていて笑顔いっぱいの写真ならば、何ともないことが

葬儀の際は気を配らなければならないということなのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 08:50 │日々いろいろ

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2017年07月11日

運賃

運賃とは人の移動やモノを運ぶ時にかかる費用のことですが、

基本的にこれらの費用は安く抑えたいという心理が働きます。

人が何かをアクションを起こすことの中で「運賃」は日常的に

かかってコストであり、それを節約することは大切なことです。




葬儀とは非日常の世界であり、非日常であるからこそ発生する

特別なコストというものがあるのです。

食事においては通常の食卓の料理とは違うご馳走であるし、

自家用車を運転をすることを控えて、貸切バスやタクシーを使用する

など、日常の生活では使わないところにお金をかけるものでした。

ところが、葬儀においてもバスやタクシーの使用されるお客様が

大きく減っています。確かに火葬場に行く人の数が30人~50人くらい

であれば、バスも必要ですが、10人以下であれば自家用車に乗り合わせ

で良いということになってしまうものです。

お葬式そのものが昔のように「非日常」の世界という価値観が薄れて

いるのである程度仕方の無いことでしょうか。

それでも、火葬場に行くときは特に近親者の方の運転は絶対に控える

べきだと考えています。

火葬場への道中に万が一、接触等の軽い物損事故でも巻き込まれて

しまったら、火葬場での最期のお別れに立ち会えなくなって

しまいます。

そのようなことになってしまい、後悔をされたお客様をこれまでに

何度も見てきているのです。

近親の方が亡くなったという非日常であるからこそ、ドライバー

としての責任は回避しておかなければならないものです。





葬儀関連でも香典返しなどのギフトの配送に関する運賃も

上がっています。

お客様に送料無料で対応できるものが減っていることも事実であり、

配送に関するコストをお客様が負担しなければならないことが多々

あるのです。



運賃コストの上昇は葬儀においても今後、仕組みが変わってしまう

可能性があるのです。

  

Posted by フューネ三浦 at 10:18 │日々いろいろ

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2017年07月05日

100%の死亡率

人が生きていると様々な事件や事故・病気やケガに遭遇します。

自分自身もそうですが、自分の周りの家族にもいつ災難がくるのかも

しれません。




地震で亡くなった。ガンで亡くなったという現実に対して、私たちは

死亡率○○%と言ったように確率で表現をすることが多々あります。

全体を統括する専門家としてはこの死亡率を少しでも下げることが

使命であり、昼夜努力をして生命の安全を守っていることには大変

頭の下がる思いです。

昔のことを思えば、交通事故で死亡する方の死亡率はクルマの

安全性能や交通行政の成果のおかげで年々減少をしていて

死亡率は数パーセントの低い水準となっていても、当事者の家族に

とってみれば死亡率100%なのです。




当事者にとって死亡率が100%であるということを常に心をして

おかなければ、「運が悪かった」といったようなご遺族を傷つける

軽率な言葉が出てしまうのです。

人の死を扱う私たち葬儀社の社員が絶対にしてはならないこと

であるし、国家のレベルで言えば、大臣クラスが「失言」として大きく

クローズアップされてしまうのです。

後から「ご遺族の心情を思えば・・・」

と取り繕ってももう遅いのです。

「死亡率100%」だからこその「ご遺族の心情」に繋がるのです。





人が死ぬことが必定の戦争においても、ドラマや映画で主人公に

感情移入してしまえば、「死亡率100%」だから悲しくなるのです。

人の死を数値化してしまうことは人として死者に対する尊厳を忘れて

しまいがちになってしまうという危険が孕んでいることを忘れては

なりません。

ご遺族にとって「死亡率100%」であることを前提にしているからこそ

「感動葬儀。」は成立をするのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:54 │日々いろいろ

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2017年06月25日

最愛の人に見守られ

小林麻央さんの逝去の報に多くの人が悲しみを共有しました。

早すぎる彼女の死は私たちに改めて多くのことを教えてくれました。

歌舞伎界の名門に嫁ぎ、梨園の妻として覚悟を決めたその時から

背負っていかなければならなかったプレッシャーも相当なもので

あったはず。しかしながら、ブログで発信される内容は家族の物語

でした。

海老蔵さんが記者会見で公表した最後の言葉が「愛してる」という

言葉であったことも周りの人々をも感動させる言葉であったと

思うのです。




麻央さんは今回は自宅で息を引き取ることができたこと。

そして最愛の人に囲まれて旅立つことができたこと。

長年葬儀の仕事に携わっていてもこのような最期を迎えることが

出来るのは本当に少数です。

エンディングノートにも「自宅で亡くなりたい」「家族に見守られて」

という希望を書いていても現実的になかなか実現しないものです。

このような状況になるにはただ「運が良かった」では片づけられない

家族の努力があるはずです。

まずは、自宅での療養は家族にとって相当に肉体的・精神的そして

金銭的に大変なことでそれを飲み込む努力をすること。

そして、家族のみなさんがいつでも駆けつける環境でなければ

できなかったことでしょう。



「ガン」という宣告を受けた方の葬儀の生前相談をこれまでに何度も

応対してきましたが、こちらが思っている以上に悲観的になっていない

方ばかりです。自分のお葬式の相談を自ら葬儀社にされる方ばかり

ですからそうだと言えるかもしれませんが、限られた残りの自分の命を

いかにして有効に使うのかということを真剣に考えている人たちばかり

です。麻央さんもそのような人でした。葬儀という仕事は限りある命を

有効に使うことの大切さをいつも教えてもらっているのです。




  

Posted by フューネ三浦 at 08:23 │日々いろいろ

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2017年06月23日

弁当

子どもの頃、母親が作ってくれるお弁当はとても楽しみでした。

給食とは違って間違いなく、お弁当の中の食材は冷めているのに、

温かさを感じたのはやはり母親の愛情がつぎ込まれていたから

でしょうか。

弁当の定義は「屋外で食事をとる必要から携行する食物のこと」

ですが、弁当は日々の生活の中でも頻繁に食べるものでしょう。

コンビニなどで購入する弁当はその日のメインディッシュになることも

ありますし、駅弁フェアではおそらく、飲食店で買ったほうが安い

くらいの量と中身ですが、あえて弁当として購入することに美味しさ

以上の楽しみを感じさせてくれます。




お葬式の食事では弁当というものが定番です。

弁当というよりは仕出し料理といったところですが、間違いなく、

その場で調理をするものでなく、どこからか運んできた食材である

ことは間違いのないことです。

食事というものはやはり、一人で食べるよりは複数の方とおしゃべりを

しながら食べることで美味しさも増します。

葬儀の時の食事は故人を偲ぶ意味で非常に重要な会食の場所であるの

ですが、近年、故人を偲ぶ食事会というものを実施する方が

少なくなってきているものです。

「偲ぶ」ということの性質上、食事は大皿に盛りつけてある料理を

小皿に少しずつとって食べる形式のほうが良いのですが、個々の

弁当のスタイルでは無言で自分の料理だけを食べるというスタイルも

取れてしまいます。




「個」を主張することも出来る弁当ですが、気心の知れたメンバーが

集まって同じ弁当を食べれるのも弁当の特長です。

皆で集まって同じものを食すことが冠婚葬祭において結構重要な

ポイントなのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 12:39 │日々いろいろ

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2017年06月21日

傘を大事にすること

私は基本的に出張に出かける時に傘を持っていきません。

もしも、雨が降れば、現地購入です。

持ち歩きが面倒なことと、安価に買えることを思うとこの選択になって

しまうのです。

多くの日本人にとって、傘を大切にしなくなりました。

高価なものであれば、その辺に忘れることはありませんし、もしも

忘れてしまっても、必死で探すのですが、傘においてそのような行動を

とる方は少数です。余程の高価な傘か、思い入れのある傘でなければ

そのようなことはしないのでしょう。




傘という商品は完全に「コモディティー化」しています。

辞書によるとコモディティー化とは競合する商品同士の差別化特性

(機能、品質、ブランド力など)が失われ、価格や買いやすさだけを

理由に選択が行われること。機能や品質面で大差のない製品が

多く流通し、消費者にとって「どの会社のものを買っても同じ」

状態になること。


と定義されています。

どこの会社のものを買っても同じという状態は本当は

よくないことです。




「傘を大切にする」ことが出来る人は、おそらく細かいことに

気を配れる人だと思います。

多くの人がどれも一緒と思う中で、自分自身にあった傘を選ぶことが

できるのなら、それはとても素晴らしいことなのではないでしょうか。




葬儀業界も努力怠ると「コモディティー化」が起きてきます。

消費者にとってどの葬儀社に頼んでも同じだという印象がついて

しまえば、間違いなく「コモディティー化」に進んでしまっています。

傘を大切にしていない私が言うのはおかしいですが、傘を大切に

する心のようなものを葬儀に携わる人が葬儀に持っていなければ、

消費者にとって「どこも同じ」ということになってしまうのです。

葬儀業界の関係者が「心」を持ち、お互いに切磋琢磨していくことが

結局のところ、お客様の利益に繋がるのです。

フューネの「感動葬儀。」はいつの時代も新しい「価値」を

提案していくことが使命なのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:55 │日々いろいろ

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2017年06月11日

暴れるお客様

先日、久しぶりにフューネの葬儀会館で夜中に大暴れをして

備品を壊されたお客様がいらっしゃいました。

これまでに何度かこのブログでも取り上げてきましたが、

悲しみや苦しみの中で、我慢が出来なくなって暴れてしまうという

行為は葬儀という非日常の空間の中では仕方のないことだと

思うのです。




心の奥の「悲しみ」という部分を本当の意味で他人である私たちが

理解をすることは出来ないのではないのかと思います。

物を壊すことは決して褒められたことではありませんが、悲しみや

怒りを表現をすることが出来ているという点においては間違ったこと

ではないでしょう。

一番、危険なことは無反応なことです。

これは他人にはわからないですから、気づいた時には時すでに遅し

という感があるのです。




お葬式の持つ役割の中に「悲しみを和らげる」という役割が

ありますが、昔は悲しみは我慢をするという風潮がありましたが、

今ははっきりと悲しみを全面に出すべきです。

「感動葬儀。」の中にはご遺族の皆さまのストレートの感情を

受け止める役割も含まれているのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:17 │日々いろいろ

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2017年06月01日

カールロス

長年の親しまれてきたスナック菓子「カール」が8月生産分をもって

全国販売を中止し、販売地域を関西地域以西の西日本地域に

限定するというニースはとても衝撃を受けました。

私はカールの大ファンで子供の頃はもちろん、今でも一ヶ月に

1袋~2袋は食べています。

そのカールが私の住む愛知県では販売が無くなることは個人的に

とても残念なことです。




カールは最盛期の1990年代に190億円だった売上高は

2015年に60億円程度までに減少していたという事実を改めて

受け止めてみると、いくらロングセラー商品と言っても継続していく

ことの難しさを感じます。ニュースを見るとポテト系のスナック菓子に

押されてということですが、個人的にはポテト系にはないカールの

やさしい味が好きだったのですが。



先日、フューネのとある葬儀会館の写真を見る機会がありました。

その写真は20年前のもの。

いわゆるスタンダードなお葬式の飾りの祭壇の写真でしたが、

20年前と今とほとんど変わっていないことに危機感を感じました。

変わらないということは何も商品として進歩していない証拠です。

もちろん、この20年の間に様々な新作の葬儀祭壇をお客様に提供を

してきました。結果的にお客様に受け入れられず廃盤になった祭壇も

多いのですが、やはり、商品が生き残っていく為には絶えず、

新しいものに挑戦をしていくことが大切だと思うのです。




古くて懐かしいものはたくさんあります。

フューネでもオーソドックスの葬儀の飾りはお客様からの需要は確かに

減っていますが、大切に残していきたいものです。









  

Posted by フューネ三浦 at 09:11 │日々いろいろ

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2017年05月22日

新たな需要

スマートフォンで、フリーマーケットの利用ができるアプリとして

「メルカリ」が注目されています。

スマートフォン上でのフリーマーケットという気軽さは出品する

ことのハードルを低くし、従来では捨てるしかなかったものでも

「価値」を見出してお金になることは世の中が変わってしまう

ものになっていくでしょう。

例えば、トイレットペーパーの芯やペットボトルのキャップも

少量だとただのゴミですが、100個・1000個という単位で集まれば

工作する材料になり、取引をされてお金になるそうです。

一般の商取引では見出せない価値が生まれて来ることが

楽しくもあり、新しい需要が生まれることに繋がるのです。




法律が変わることで新たな需要が生まれることもあり、また法律が

できたことにより、お客様のニーズが全く無くなってしまい廃業に

追い込まれることもあります。

「葬儀」というサービスも時代ととともに新しい「価値」が生まれ、

提供が出来た葬儀社が大きな成長を遂げてきました。

いつも時代も人が亡くなることとそれを弔うことの本質は変わらない

のですが、それの本質を行う手法が変わっていくのです。



そもそも、お客様の「面倒くさい」「煩わしい」ということを

解消することで新たなサービスを提供してきた葬祭サービスですが、

今までは物的な「面倒くさい」「煩わしい」ということでした。

しかし最近の動向は人と人の関わりの中での「面倒くさい」

「煩わしい」を解消するサービスが主流になってきているように

感じます。

これからの葬儀のお客様の需要はそのようなところがキーポイントに

なってくるのでしょうか。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:22 │日々いろいろ

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2017年05月12日

活字離れ

「活字離れ」ということを聞くようになって久しいですが、

現在の日本は新聞や雑誌、書籍が本格的に売れない時代に

なっています。

特に雑誌の購買率の落ち込みはひどく、タブレットやスマホで

月々固定の利用料金を払えば、多くの雑誌が読み放題というような

サービスを提供しているサイトもあり、雑誌を読んでも紙で読まない

と言ったことが当たり前のような感覚になっています。




以前に、お棺の中に一緒に入れる副葬品に木製で作られた携帯電話

などがあることをこの「感動葬儀。」ブログでご紹介した

ことがありますが、本当にスマートフォンなどを副葬品として入れたい

と多くのお客様からご要望があります。

それと同時に愛読書や新聞紙なども副葬品として入れたいという

要望はとても多いのですが、このまま活字離れが進んでしまえば、

紙の書籍をお棺の中に入れたいというニーズも減少していってしまう

ものでしょう。




活字離れの中、写真や動画は誰でも気軽に撮影し、多くの方と共有の

出来る今日です。

インスタグラムに投稿した写真をお棺の中に入れていきたいと

いうように副葬品にも活字離れは間違いなく起きているのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:31 │日々いろいろ

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