2014年05月30日

教員のお葬式

最近は立て続けに、小学校・中学校・高校のときの恩師の先生に

出会う機会があり、懐かしいひとときの時間を過ごしました。

学生の時から20年~30年近く経っているのに、お互いに覚えている

恩師と教え子の関係は本当に貴重な人間関係だと思います。




さて、フューネでは学校の先生をされていた方のお葬式をよく

お手伝いをさせて頂きます。家族葬の場合は例外ですが、

先生のお葬式の特徴としては比較的参列者が多いことが挙げられます。

一つの理由としては先生を退職後に町内会長など地域の役職に就かれる

方が多くその関係者が参列にお越しなられるケースが多いこと。

そして、最大の特徴は教え子の参列があるということ

なのです。

先生が現役で亡くなったケースなどは参列者が父兄を含め、教え子が

大挙して参列されますから、300人規模、500人規模に膨れあがる

ことはしばしあります。このようなお葬式を見るといかに先生という

職業にとって教え子が宝物だと思うのです。

では90歳前後の先生が亡くなった場合は教え子が来ないかというと

そんなことはありません。そのような場合、70代・80代の教え子達が

いらっしゃいます。教え子と先生の関係が半世紀以上繋がっている

ことに驚嘆するとともに本当に素晴らしいことなのです。



フューネの「感動葬儀。」では教え子のみなさんに

「仰げば尊し」に代表される卒業式に歌う歌をお葬式に合唱して

みてはというご提案をします。

教え子たちも懐かしい歌ですが、おそらくお亡くなりの先生も

懐かしいはず。

先生のお葬式は先生と教え子にとって本当の卒業式なのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 10:10 │お葬式の知識

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2014年05月28日

ベッド難民

厚生労働省の試算では団塊世代の高齢化に伴い2025年には病院の

ベッドが足りずに45万人の死に場所が亡くなってしまうと予測を

しています。私の著書「感動葬儀。心得箇条」の中でも

病院で亡くなることがステータスになる

という提言をしていますが、まさにこの数字が根拠です。

これからの10年は病院で亡くなることを望んでも病院にいられなく

なっていくことを徐々に周りの人々の死を持って体験をすることに

なるのです。



かといって、自宅で亡くなるのはほとんどの場合、非常に困難です。

なぜかというと少子化で在宅介護を支える「家族力」が不足

しているからです。日本人の八割の人が自宅で死を迎えることを

望んでいるのにも関わらず、現実は自宅で亡くなることを受け入れる

家族の力が不足しているのです。

理想と現実のギャップを埋めることが近い将来のベッド難民に対処する

ことになりますし、心の平穏のまま最期を迎えることができるのです。

今、自宅での看取りを支援する「看取り士」と呼ばれる方が

誕生しました。まだまだ、「看取り士」としてビジネス的に

成り立たない為に、介護士や看護師との兼業ですが、今後、自宅での

看取りを支援してくれる「看取り士」の存在は社会的に重要になって

くるはずです。




自分自身の「死」について死に場所さえも自分自身で用意しなければ

ならないという未来がもうそこまできているのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │お葬式の知識

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2014年05月26日

嫉妬

人間がこの世に生を受けて一番最初に生まれる感情は嫉妬です。

生まれて間もない赤ちゃんが他の子供に自分のお母さんを取られた

と思い嫉妬することがおそらく人生初の嫉妬という感情でしょう。

人を羨み、嫉妬する。

おそらく、死ぬまで続く感情です。

時として人は嫉妬で歯車を狂わせられます。多くの離婚の理由は

嫉妬という感情に起因していますし、殺人事件なども嫉妬による

犯行動機の多いこと。

嫉妬という感情をうまくコントロールしていく技こそ、人生を生き抜く

上で必要なことです。



人は亡くなると多くの場合柔和なお顔をされています。

ストレスも悩みもそして、嫉妬からも解放された状態。

言い換えればそれが「死」というものなんだとお客様の死に顔を

拝見する度に最近思うのです。



人が亡くなり、残った者がしなければいけないのが「相続」です。

ひどい場合は通夜や葬儀の最中から兄弟姉妹の間で始まっている

争いですが、争いの原因の真因を探ればそこに嫉妬という感情が

必ず隠れています。お客様から相続の相談を受ける度にこじれた

兄弟姉妹間の人間関係を改善するには嫉妬の原因を取り除かなければ

解決しないことを知っています。

解決しなければ、嫉妬心がさらに増幅して争いが激しくなるだけです。



嫉妬心をコントロールすることは私自身も含めて重要でかつ、とても

難しい人生の命題です。



















  

Posted by フューネ三浦 at 09:05 │お葬式の知識

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2014年05月24日

リフレーミング

今年のフューネの社員教育において全社員必須の科目は

「リフレーミング」です。

リフレーミングとはリフレーミングとは、出来事の枠組み(フレーム)

を変えることです。


これよりNLP-JAPANラーニングセンターより引用

かの有名なウィリアム・シェークスピアは、「良いも悪いも本人の考え方次第」という言葉を残しています。
有名なたとえ話ですが、コップに水が半分入っている時、「半分しか入っていない」というフレームと「半分も入っている」というフレームでは物事の感じ方が異なってきます。

事実としては、単に「コップに水が半分入っている」ということですが、「砂漠で喉の渇きを癒やしたい」というフレームでみれば不足と感じたり、 「薬を飲む水が必要」というフレームでみれば十分だと感じたりします。

つまり、状況や考え方によって捉え方が変わってくるのです。



考え方をいつもポジティブにすることがリフレーミングの基本です。

どんなネガティブの言葉も「リフレーミング辞典」

でマイナスをプラスに転じさせることができるのです。



お葬式はある意味究極のマイナス言葉が集まる場面です。

昔から「続く」「かさねがさね」「たびたび」「しばしば」

「ふたたび」「くれぐれ」「返す返す」
といった言葉が

忌み言葉として使うのを避けてきました。

リフレーミングは単に忌み言葉のように使わなければ良いというのでは

なく、言葉の価値をすべてプラスに変えて使うことに

意味があるのです。

葬儀社の社員にとって言葉は貴重なスキルです。

お客様のマイナスをプラスに変えることを、葬儀の現場においては

「立ち直り」と言っても良いはずです。

フューネのお客様が一日も早く、悲嘆から立ち直っていただくために

私たちは日々やるべきことがあるのです。










  

Posted by フューネ三浦 at 09:02 │フューネ(会社)のこと

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2014年05月22日

香典袋

葬儀会館では弔問にお越しお客様からよく

「香典袋をわけてください」

というご要望を頂きます。理由は様々だと思いますが、

ご自宅や会社で用意した香典袋を忘れてきた時や突然の訃報に対し

慌てて駆けつけてきて香典のことまで気が回らなかったケースなどが

多いです。

そのような時も私たち日本人は葬儀の受付で現金を直接相手に

渡すことをまずはしません。

なぜわざわざ袋に入れて渡すのかという理由をさかのぼると

「ケガレ」に辿りつきます。

※ケガレについて詳しくは
2008年3月8日付ブログ記事「ハレとケ」をご覧ください。


江戸時代に士農工商という身分制度があったことに象徴されるように

モノとモノを動かして「商売」をする商人というのは卑しい職業と

されてきました。その結果、商人は士農工商という身分制度の中では

一番下におかれたのです。何かを生産してそれを対価として金銭に

換えることはよいけれど、何も生産をしないで単にモノを動かして

利益を稼ぐことは「ケガレ」ているという考え方です。そしてそれに

関わる金銭は卑しいのです。

これは日本に限らず、ユダヤ人の迫害の歴史をみても同様です。

さらに天皇のいる宮中では元来、

お金は「ケガレ」と考えます。

祝儀袋やポチ袋、そして香典袋は現金をそのまま渡すのは

「はしたない」という発想から生まれた習慣です。

外国ではボーイにチップを渡す時はわざわざポチ袋を使いません。

外国人はお金がケガレているとか「はしたない」という感覚は

持ち合わせてはいないのです。

今の日本人はお金がケガレているという感覚を持っている人は

まずいないと思いますが、お金を直接渡すことは恥ずかしいという

美意識はここが原点です。




さて、葬儀の新商品の企画をしていると香典を

「電子マネーで支払いが出来たら」

とか「銀行振込で支払う」とかいった議論になってくる

ことがあります。一見合理的で良さそうな企画ですが、新商品として

世に出ることは今のところありません。「香典袋」にわざわざお金を

入れるといった不合理を合理的にする前にお金を袋に入れることの

意義を忘れてはいけないのです。

もしも葬儀の現場から香典袋が無くなったたら・・・

それは日本人の根底にある情緒が一つ破壊されたことに

なるのです。









  

Posted by フューネ三浦 at 09:05 │お葬式の知識

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2014年05月20日

6月1日 そうそうの森浄水内覧会を開催します。




6月1日(日曜日)に、豊田市浄水町にあります

「そうそうの森フューネ浄水」にて内覧会を

開催いたします。

当日は内覧会に併せて『お葬式セミナー』を同時開催。

お葬式だけに限らず、相続・保険などのご相談も承ります。

お葬式の前からその後のことまでどんなことでも ご相談下さい。

今回は私も久しぶりに「終活をはじめましょう。」というタイトルで

30分のセミナーでお話しします。

是非、無料セミナーにお越しください。

10時~ 家族葬セミナー
10時30分~終活を始めましょう。
11時~ お骨のゆくえ


セミナーの内容は 詳しくは下記をクリック↓





当日はフューネの会員システム

「ミウラキャッスル倶楽部」はイベント当日に限り

通常5万円の入会金を1万円で入会でき、さらに入会特典として

豊田産のお米2kgをプレゼントします。




是非、内覧会並びにセミナーにお越しください。


  

2014年05月17日

お客様の声

商売をする上でお客様の声を聞くことはとても大事なことです。

どんなに優れている商品でもお客様のニーズやウォンツから

外れていれば、お客様からの支持は得られず、場合によっては

会社そのものの存続さえも危ぶまれます。



フューネにおいても様々なお客様の声を頂きます。

お客様からのお褒めの言葉もあるのですが、お叱りの言葉も

多々あります。時としてクレームとしてお客様から厳しい叱責を頂く

こともあります。クレームを頂くことは企業にとってはとてもありがたい

ことです。お客様の叱責はフューネという会社に愛情がなければできない

ことであり、お客様の声を真摯に受け止め改善することが会社のさらなる

成長に繋がるのです。




さて、葬儀業界においてもお客様に飽きられないように毎年様々な新商品が

誕生します。葬儀の備品メーカーからの新商品もありますが、サービスという

仕事の性質上、主な新商品は自社開発が基本です。

お客様が望む商品の開発にやはりお客様の声が不可欠です。

しかも、クレームではなく、お褒めの言葉でもない

何気ないお客様の声

これがまさにフューネにとって「金言」なのです。

このような声はお客様からのアンケートや電話では決して得られない声です。

ここような声を拾うには葬儀の現場しかありません。

そういった意味で現場の声は宝物なのです。

そうはいっても私がすべての現場に行くことは不可能な訳で、結局何気ない

お客様の声を拾うことができるのは現場の社員なのです。

その為には社員ひとりひとりのアンテナの感度が良くなければなりません。

これからのフューネの新商品の成否は社員の感度にかかっているのです。




















  

2014年05月15日

岩手県へ

先日、所属している青年会議所の行事で岩手県へ行ってきました。

目的地は陸前高田市。

3.11の東日本大震災の際、津波で壊滅的な被害を受けたところです。



町はまだまだ更地で何もないところでした。

奇跡の一本松がぽつり海岸沿いにあったのは印象的でした。

実際に被災地を見てると想像以上に広範囲で被害があり、これでは

逃げるにも逃げられないことを肌で感じました。



会場となったホテルは津波に流され高台に移転しオープンしたばかり。

まわりには何もまだまだありません。

早い復興を願ってやみません。


翌日は飛行機までの待ち時間を利用して平泉の中尊寺

行ってきました。



前から、一度行きたかったところでしたが、遠くてなかなか行けなった

ところでした。念願かない今回はいきました。

金色の金色堂はやはり、必見の価値があり、芭蕉の俳句の風景を

彷彿させる場所でした。




中尊寺から少し離れた場所にある源義経の終焉の地である

高舘義経堂へ行ってきました。





歴史上、翻弄された人生を送った義経はとても人気があり、

その終焉の地で芭蕉が

「夏草や  兵共が 夢の跡」

と詠んだことはとても有名です。

高舘義経堂から観る風景は芭蕉が歴史を肌で感じるように

歴史とロマンを感じる場所でした。





さて、飛行機に乗る直前に名物「わんこそば」

花巻市のやぶ屋へ食べに行ってきました。



ここは花巻出身の宮澤賢治が常連だった有名なそば屋さん。



てんぷらそばとサイダーが宮澤賢治の好物メニューで、

この店で出していたサイダーが三ツ矢サイダーのルーツだそうです。


わんこそば、60杯食べました。

食事中は写真を撮っている余裕はありませんでしたので、

食べたお椀のみ。



ふつうのかけそば1杯がわんこそば10杯分だそうですので

かけそば6杯の分量をわずか10分で完食。

生涯でこんなにおそばを食べた経験はありません。

晩御飯も食べれないくらいのお腹がいっぱいでした。

次回はふつうのそばで充分です。



  

Posted by フューネ三浦 at 12:37 │社長のプライベート

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2014年05月13日

合意

辞書によると合意とは当事者双方の意思が一致すること。

さらに、ステークホルダー(多様な利害関係者)の意見の

一致を図ることをコンセンサスといいます。

ビジネスにおいて、コンセンサスを取ることは非常に重要であり、日本語で

あえて表現すれば「根回し」という言葉に言い換えて良いのかと

思います。



我が家にて幼い我が子や甥っ子、姪っ子が遊んでいるのを見ていると

おもちゃの取り合いをしている時に大人が勝手におもちゃを貸し出すと

所有権のある子供は泣き叫んで怒りだします。

「○○ちゃん。
○○ちゃんにおもちゃ貸してあげて」


という合意をとれば、子供は素直におもちゃを貸します。

「いや」と言っている間に貸すとこれまた大変なことに。

子供とはいえ、意思を持った利害関係者である限り、利害関係者の合意を

取らなければお遊びも円滑に進みません。




お葬式で発生するトラブルはほとんどの場合コンセンサスを取ることに

失敗しているからこそ起きています。

近所の方の食事の有無。焼香の順番。火葬場へ行く人の人数。

家族葬でするかしないか。


こんなことでの揉め事はまあ葬儀の現場では毎日起きているのです。

人ひとりが亡くなった時にその人から見て利害関係にある人はびっくり

するほど多いものです。特に社会的に地位が高い人は簡単に

利害関係者が1000人を超えます。

この利害関係者全員の合意を得ることは亡くなって数日で得ることは

不可能なことですが、一人でも多くの合意を得る努力は葬儀を執行する上で

絶対に必要なことです。




社葬やお別れ会を実施する時は通常、お亡くなりなられてから2週間から

1か月の期間は準備に必要です。

物品の準備をするのも重要ですが、一番大切なものはコンセンサスを得る

ことです。言い換えれば、会社の看板を背負ってするようなお葬式は

コンセンサスが取れるまで執行できません。

すべての利害関係者が納得するお葬式が一番レベルの高い

お葬式なのです。





昨今のお葬式はあまりにもコンセンサスが取っていないケースが

多くなりました。ほんの些細なことでも関係者に合意を得ることが、

葬儀に限らず物事を円滑に進める為の究極の秘訣です。










  

Posted by フューネ三浦 at 12:17 │お葬式の知識

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2014年05月11日

カーナビ

今や高級車に限らず大衆車や軽自動車にもほぼ搭載されている

カーナビゲーション。

知らない場所に行く時には大変役に立ちます。

また、同時に普段通っている道の沿線でも初めて行く目的の場所を

検索するのも非常に役に立ちます。さらに、カーナビの代わりを

スマートフォンの機能で代用できるほど、現代は気軽に使用できる

道具になりました。




葬儀会館というのはカーナビの恩恵を充分に感じることができる施設です。

普段の生活の中で繰り返し訪れることはあまりないが、いざという時に

目的を持って訪れなければならない施設です。そのため、場所が分らない

けれど、とにかく指定の場所に行かなければならない。だからこそ、

多くのお客様は弔問に行く葬儀会館をカーナビにセットしてお越しに

なられます。

お客様からのお問い合わせのお電話はカーナビの普及とともに

激減した項目があります。それは

「葬儀会館までの経路のお問い合わせ」です。

これまではお電話口で口頭で、またはFAXでお答えしていました。

本当にこう言ったお問い合わせは少なくなっています。




カーナビがいくら便利でも最後に目標物を認識するのは私たちのです。

実際に「目的地周辺です。」というアナウンスの後に周辺を

キョロキョロして目的地を探すことがあります。

最後の繊細な部分はカーナビは万全ではありません。

時には目的地の裏手に案内されたり、建物が見えるのに道路が寸断されて

いたりとあとちょっとのところでバタバタしてしまいます。

フューネの葬儀会館「そうそうの森」シリーズの会館にはよく、

お客様からお問い合わせの電話がかかってきます。

「近くにいるはずだけど場所がわからない」

大方、そのようなお問い合わせです。






よくよくお客様のいる場所を聞いてみるとほとんど場合、葬儀会館の

入り口付近にいらしゃいます。

「レストランか喫茶店はあるのだけど・・・」

あるいは

「美容院みたいな建物の前にいるのだけど・・・」

すべてそれは「そうそうの森」なのです。

おそらく、お客様の「葬儀会館とはこうだ」と勝手に思って

しまっている固定観念がカーナビの指定した目的地にある建物を

葬儀会館と判別しないのでしょう。

このような時「してやったり」という気持ちがますます増長します。

お客様の固定観念を破ることが

新しい葬儀文化の創造なのですから。

































  

Posted by フューネ三浦 at 09:17 │フューネ(会社)のこと

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2014年05月09日

ゆたか牛しぐれ煮

発売以来、好評を頂いている地元の若手農業集団

「夢農人(ゆめのーと)」さんとフューネがコラボして作った

豊田・みよし産の農産物を集めたカタログギフト「風音」に新たに

新商品が加わりました。


カタログギフト「風音」について詳しくはコチラ↓
2011年8月9日
http://fune.boo-log.com/e151595.html

2012年7月16日
http://fune.boo-log.com/e196877.html


今回新しく加わったのは待望の豊田市初のブランド牛「ゆたか牛」

しぐれ煮です。




豊田市枡塚西町の谷澤牧場で飼育された黒毛和牛を

名鉄トヨタホテルの林総料理長が独自の製法で調理をしたしぐれ煮です。

今回は豊田市初の和牛ブランドということで、もう既にテレビ・

新聞に大きく取り上げられ、先日のテレビ放送に合わせた限定予約

販売では30個以上の注文が入りました。



メディアの記事はこちらから

3/11 中日新聞に「ゆたか牛しぐれ煮」が掲載
http://yume-note.com/media/entry-609.html

3月27日(木) 16:50~19:00放送の
CBC「イッポウ - 走る!機動力報道」で約10分間ほど
http://yume-note.com/media/entry-605.html

3/28 読売新聞に「ゆたか牛 しぐれ煮」が掲載
http://yume-note.com/media/entry-606.html


今回もジェラートに続き、豊田市農産物ブランド化推進協議会から承認を

頂き『豊田農産物ブランドマーク』が商品に

付けられています。




豊田市農産物ブランド化推進協議会とは
行政、農協、商工会議所、消費者団体、女性団体、市場関係者、生産者団体等で構成されています。
豊田市において生産される農林水産物の消費拡大及び地産地食を図り、合わせて本市の農林水産業振興に資するため、様々な行事や広報活動をおこなっています



豊田市初の和牛ブランド「ゆたか牛」というニュース性が

抜群の今回の新商品は当然味も絶品です。

フューネの香典返しとしてますます人気な商品になりそうな予感です。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │フューネ(会社)のこと

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2014年05月07日

豊かな葬儀

戦後の混乱期から高度成長期を経て先進国の仲間入りをした時代、

人々は豊かな時代を常に求めてきました。

戦中、戦後の混乱期には食糧が不足していただけでなく、物資はあらゆる

物が不足していました。人が亡くなることに対しても「弔う」という表現は

物資の不足で思うようにできませんでした。端的に言えばお葬式をする

ことが出来ず、火葬さえも出来ずに道端に放置されていた屍の数々は

人々の心を痛ませていたでしょう。

いつか豊かな時代になったら「豊かな葬儀」をしたいという願望は

知らず知らずの間に大きなニーズとして形成されていったのです。

高度成長期において「物質的に豊かな葬儀」は日本の

経済成長とともに一気に花開いていきました。

それに連動するように昭和28年頃から祭壇・葬具のメーカーが次々と

誕生しました。これにより、葬儀社が自社で祭壇を制作をする必要が

無くなり、高度成長と共に祭壇が豪華になっていき「葬儀=祭壇」

いわれる程になったのです。




現代のお葬式は「物質的に豊かな葬儀」の否定

主流です。もちろん、今でも「祭壇は立派に」というお考えのお客様に

支えられて葬儀社の経営は成り立っているのですが。

ではいわゆる小規模な葬儀というのは「質素」かということ

そうでもありません。

必要以上に華美にする必要はないが、お客様のニーズの根底には

「物質的には豊かな葬儀」を望まれています。

その上で今日のお客様は「物質的」より「心の豊かさ」を求めます。

現代の豊かな葬儀とは「心の豊かな葬儀」なのです。




いつの時代の人間も「豊かさ」と求めます。

これからの葬儀は「物質的な豊かさ」と「心の豊かさ」の両方を兼ね備えた

商品でなければ、お客様から支持をされないでしょう。

フューネの「感動葬儀。」という商品は、このような時代の

先駆け的な商品なのです。



















  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │お葬式の知識

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2014年05月05日

戦う

辞書によると「戦う」とは「戦争をする」という意味であり、

語源をたどると「叩く」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」

の付いたものと解説しています。

平和な世の中の中で、意味合いからすれば「戦う」という言葉は

物騒な感じを連想しますが、私たちの身の周りには「戦う」という

動詞を用いなければならない出来事が多数あります。




単純にスポーツとして「戦い」をゲームに出来ることは良いのですが、

学校の成績や仕事上の競争が「戦い」になってしまう現代社会です。

「戦い」には必ず勝敗が付き物で「勝つ」「負ける」といった

結果が私たちを歓喜させてくれますし、時として再起不能まで消沈させて

くれます。

葬儀業界においても「お客様によりよい葬祭サービスを提供する」為に

業界内における「戦い」は益々激しさを増しています

お互いが切磋琢磨して、サービスの質の向上に繋がる戦いなら、結果的に

お客様が得をしますが、単純に価格の競争になってしまうと結果的に

サービスの質が粗悪な商品が世に出てしまうのがなんとも淋しいことです。





葬儀が発生するということはお亡くなりになられた方は大抵の場合、

病気と戦って負けた方です。

負けたという言うより、力尽きた結果です。

それほど、病気と戦うということは「闘う」という漢字の通り、

病気との一騎打ちの壮絶な戦いです。

ちなみに「戦う」と「闘う」の違いは「戦う」という漢字は不特定多数や

特定多数の何かと戦うときに使用し、「闘う」という漢字を使う時は

相手が限定できる時に使うのです。

しかしながら、お葬式には「負け」はありません。

病気には「負けた」かもしれないのですが、その人の人生や人格に負けは

ありません。ですから、お葬式は「勝ち」が大前提なのです。

ですが、最近のお葬式は人生の「勝ち」なのかと疑うような淋しい

お葬式が多くなってきています。

もちろん、小規模がすべて「負け」ではないのですが、

葬儀を執行する喪主は例え小規模なお葬式でも「勝ち」を意識したしつらえに

しなければ絶対にいけません。

お葬式は人の一生の中で様々な戦いに勝ってきたことをお祝いする

祝勝会なのですから。










  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │役立つ雑でない雑学

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2014年05月03日

葬式は疲れる

大方の会社の慶弔規定では自分の両親のお葬式には一週間位の

忌引休暇が与えられています。加えて有給休暇や通常の休みを

組み合わせることにより、10日以上の休みを取得することが可能です。

本来であれば、心の疲れと身体の疲れを充分に癒してから職場復帰を

するのが望ましいのですが、最近のお客様の動向を見ていると一週間

どころか、葬儀の翌日には早くも職場復帰をされている方がいらっしゃい

ます。自営業者なら休むことが出来ないのは昔からの宿命でしたが、今は

サラリーマンも仕事が待ってくれないのです。

最も、お葬式は突然に発生する訳ですから、お葬式を行うにあたり様々な

用事をキャンセルした為、穴埋めに走るということが必要なのです。



さて、お葬式を一件行うということは非常に疲れることです。

特に連日の病院での看病から、夜中に起こされて臨終、通夜、葬儀と

いうケースになると3~4日ほとんど寝れないといった状態になります。

体力的にハードなのに、精神的も非常時で相当な心労が溜まります。

このような場合、お葬式が終わってからがとても危険です。

しっかりとした休息を取らないと倒れられて入院といったケースに

発展してしまうことも。

これまでに「葬式疲れ」が原因で入院をされたお客様も何人も

いらっしゃいます。

中には、喪主様がお葬式の後に体調を崩され、そのままご自身のお葬式に

なってしまったケースもありました。



私たち葬儀社の社員も一件のお葬式を受注から集金まで担当すると

本当に疲れます。しかしながら、お客様の心労はそれ以上。

少しでもお客様の精神的・体力的な部分の負担を和らげることが

私たちの使命です。




  

Posted by フューネ三浦 at 09:16 │お葬式の知識

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2014年05月01日

光と音(光のはなし)

前回のブログ記事「光と音(音のはなし)」に続いて

フューネの「感動葬儀。」で他の葬儀社と比べて特に

こだわっている「光と音」の光について書かせて頂きます。


今は専門の葬儀会館で夜でも明るいライトの下で通夜を行うのが、

一般的ですが、昔は自宅で通夜・葬儀をするのが当たり前でした。

本来の自宅で行われている明るさと比べれば現在の葬儀会館の明るさは

明るすぎるように思います。

このことは2011年5月13日付ブログ記事「明るいことは良いことか」

でも取り上げています。

厳粛な儀式の空間を醸し出すにはあえて式場内を暗くする演出が大切

なのだとフューネは考えています。理想的な暗さというのは

ロウソクの灯の「ゆらぎ」が一番美しくみえる暗さだと

思います。このことは2010年10月12日付ブログ記事「ゆらぎ」にて

くわしく書いています。

フューネのお葬式では光もお供え物の一つとして考え、ロウソクや

キャンドルを多数使います。

また、式場の明るさは開式時、焼香時、喪主挨拶時などと明るさを

あえて変えているのです。




暗くすることは厳粛な儀式をするという理由の他にもう一つ実用的な

理由があります。開式前のカヤガヤした弔問者同士のおしゃべりも

会場を暗くすることで一瞬に静かになるのです。

光は上手に使うことで、私たちにとって安らぎも刺激も与えてくれる

貴重な道具になり得るのです。




  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │お葬式の知識

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