2014年08月31日

サービスとは?社員のレポートより

フューネの若手営業担当のレポートをそのまま引用させて頂きます。



故人様=生後半年ほどのお子様(二女)、喪主様=父。故人様はお昼寝の最中に、寝返りを打ち、その際、タオルケットが首に絡み窒息死。予期せぬ不慮の事故により何よりも大切な我が子を喪ったご家族(ご両親)の葬儀の担当。
25歳で独身の私にとって、一番神経を遣わなくてはいけない相手(お客様)が、T様のように、子どもを送る親、所謂「逆縁」となってしまった方です。親や祖父母は私自身も亡くしているので、家族関係、状況は違えど「悲しみ、辛さ」を理解することができます。ただ、子どもを亡くす心情は、「本当の意味での理解」と考えると、難しく想像の範疇を超えるものだと思います。その為、一つ一つの発言、行動には細心の注意を払うと共に、責任を持たなくてはいけないと考えています。
夜中、T様より葬儀の依頼の連絡をいただき、ご自宅へ伺いました。到着し、部屋の中へ上がらせていただくと、眠っているかのような故人様、そして、何とも表現し難い雰囲気に包まれた部屋。話すタイミング、早さ、言葉、全てを選びながら打ち合わせを開始。ご両親は様々な感情が一度に押し寄せてきているような様子で、まともにお話しが出来る状態ではなく、私は、少しでも心を落ち着かせていただいた方が良いと判断し、時間を置いて朝方に再度打ち合わせと提案しました。すると、少しホッとされたようで「そう言って下さるのなら、朝方にお願いします。」と再打ち合わせを選んでいただきました。
朝方、再びご自宅へ伺うと、少し落ち着かれたようで、打ち合わせが始まりました。ご両親の思いの中で一番強く感じられた部分が、「今日通夜、明日葬儀」という日程の部分でした。「日にちが延びるにつれ、悲しみがどんどん深くなってしまうから」とお話しをされていました。T様はキリスト教徒で、教会で送りたいとおっしゃっていましたが、ここで、自宅で執り行うことを勧めました。日程、時間的な部分、小さなお子様であること、そして何より、故人様と一緒に居られる時間が多く取れること。日程を延ばすことは辛いけど、最期の時間を、より近くでよりゆっくりと過ごせることは、ご両親も喜ばれ、自宅で送ることになりました。
そして、その日に通夜を執り行い、翌日に葬儀。
葬儀当日、自宅へ伺うと故人様のお母様より、「お陰様で、少し心が落ち着いて、何だかスッキリしています、ありがとうございます。」とお言葉をいただきました。
葬儀は近親者のみでしめやかに営まれ、そして出棺の直前。お車に乗る喪主様に御挨拶をしたところ、喪主様がスッと右手を出され、私も思わず無意識に右手を出し、固く握り返しました。私にとって初めての、心のこもった握手でした。
この二日間を通して、私が常に思い、行動や言葉にしていたことは、「お父さん、お母さんは、出来るだけゆっくり長く、のぞみさん(故人様)の近くに居てあげてください」ということでした。「その為の準備は、私が全て整えます」という気持ちでいた二日間でした。
この施行を通じて、改めて「サービス」とは何なのかということを考えることとなりました。モノを付ける(売る)、金額を安くする(値引き)、これらはサービスではなく、あくまでも方法や手段でしかなく、本当のサービス(商品)とは、「私自身(ヒト)」なんだと思いました。
T様に、私は特別なモノは売ってもいませんし、値引きなどもしていません。必要な準備をして、必要な対応をしただけです。格好よく言うならば、それに「心」を付け足しただけです。ただその部分が、相手の心を動かせたのだと思っています。人の感情を動かす(感動)ことが出来るのは、やはり人の思いやりなんだと思います。
日本人は握手やハグなどの、所謂ボディランゲージはよほどのことがない限り取りません。そんな「握手」を、喪主様と私が、お互いに自然にしたということは、お互いに「感動」したという一つの証だと思っています。
その後も、相談がある時は、他の人ではなく、私に来てほしいとお話しを頂きます。担当者にとっては、何よりもありがたいお言葉です。


本当のサービス(商品)とは、

「私自身(ヒト)」なんだ


このレポートはフューネの商品である

「感動葬儀。」

の本質が非常によく表れている事例です。

  

2014年08月29日

昔の夏とは違う

連日、35℃以上の猛暑に見舞われ体もお疲れ気味です。

今年も暑い暑い夏から逃げることはできませんでした。

一昔前ならば、盛夏でも気温が30℃を超える程度でしたが、今は

そのような気候ではすっかりなくなりました。また突然のゲリラ豪雨が

日本列島の各地を襲い、長野県、広島県では多くの死者が出るほど、

被害が拡大しています。

本当に昔の夏とは何かが変わってきているのです。

最近、蚊に刺されることが以前よりも減ったと感じている方も多い

のではないでしょうか。35℃以上の気温では蚊が生命を維持するのが

困難な状態になっているそうです。加えて卵を産む水辺も水が

干上がって卵さえ産めないような状態になるのだとか。

蚊に刺されなくなるのは良いことだとは思いますが、生態系の変化は

目に見える形で表れてきているのです。




さて、先日久しぶりに炎天下の中、出棺に立ち会っていました。

当然、恰好は上下ともスーツでネクタイをしめた状態です。

昔は葬儀会館でないお葬式がほとんどでこのような場面はよくある

ことでしたが、今は逆にほとんど無くなってしまいました。

私たち葬儀社の社員も慣れていないので本当に生命の危険さえ感じる

暑さです。もちろんお客様もすっかりクールビズに慣れて普段、真夏に

ネクタイをする方はほとんどいなくなってしまったので、昔以上に

体感温度は暑いのです。結果的にですが、もはや夏に葬儀会館以外で

お葬式をするということはありえない状態です。



今は子供でも炎天下の日中に外で遊ばせない時代。

私たちが子供の頃に感じた暑くてもさわやかな夏の気候はもう

手に入らないのでしょうか。








  

Posted by フューネ三浦 at 09:04 │四季を愛でる

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2014年08月27日

やっとかめ

名古屋の方言で「やっとかめ」という方言があります。

「久しぶり」という意味で使われる方言ですが、漢字では

「八十日目」と書きます。

やっとかめとは八十日目という意味で、人の噂も75日というように

噂が一周し、さらに少し5日過ぎて「噂も聞かなくなった」ぐらい

会ってない、と言う事から転じて「お久しぶりです」という意味に

なったそうですが、最近まったくと言っていいほど、「やっとかめ」

という言葉を発する人に会っていないものです。

愛知県民と言えども、若い世代はほとんど使うことはなく、そうかと

言って余程の高齢者でなければ使わない言葉になっています。




「久しぶり」という表現を「八十日目」と解釈する、時間的なセンスは

抜群なものだと思います。こうした先人達の教えには人間の心理を

実にうまくついたものが多いのです。

忌明けと言われる四十九日も表向きは仏教では、死者があの世

に行くと、七日目ごとに閻魔大王を筆頭にした十王によって、

生前の善行、悪行を問い審判が行われると考えられています。

このうち、七人の審判で一区切りとなるのです。

この七人の十王によって七日目ごとに審判が行われるので、

7×7=49が49日となった理由とされていますが、

実際には今まで暮らしを共にし、生を共有してきた人がいなくなって

深い悲しみに陥るのは人間としてあたりまえのことです。
 

今までいた生の同伴者がいない生活を心の中で再構築していく

ために、心の葛藤と戦う為に必要な絶妙な時間が49日間だと

いえるのです。おそらく仏教上の教えは後付けでつけた理屈でしょう。

わかりやく考えれば昔の人は悲しみに暮れる人をそっとしておいた

時間が49日間だったのです。しかも、7日間毎に合法的に様子を

見ることが出来るように7日事のお参りの日を定めたのです。

先人の知恵の中で数字的な根拠は実に人間の心理に基づいていて

面白いのです。



ところで、最近80日以上合っていない「やっとかめ」の人と会っても

「久しぶり」という感情があまり湧かないのです。

原因はブログ・メール・LINE・facebook・twitter等

の文明の利器の活用でしょう。

一年近く会っていない人でも今日も何をしているのか

情報がリアルタイムで入ってくるのですから。

これでは「やっとかめ」という言葉がますます死語になっていくことだけ

は間違いないようです。











  

Posted by フューネ三浦 at 09:30 │日々いろいろ

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2014年08月25日

預骨の浸透

フューネが2009年にサービスを開始したお骨を一時預けるという

「預骨」サービスが順調に推移しています。

サービス開始当初は全国的にまだ珍しく、なかなかお客様に浸透

しませんでしたが、あれから5年経った今は、

「まずは預けよう」

という気軽さも受け、預骨サービスをご利用いただくお客様が

増えています。とりあえず49日の忌明けまでという短期の方から

しばらく、お墓を建てるまで預かってというお客様。

散骨するまでしばし預かって欲しいというお客様。

さらに、私が死んだら、亡くなった主人と一緒にお墓に入るから

それまでお願いといういつまでか不確定なお客様まで・・・

本当にお骨に対するお客様のニーズは様々です。




上の表の通り、やがてお墓や手元供養を考えている方がすぐに

できない場合、長いこと自宅で保管しておくよりも精神的にゆとり

ができるということが預骨の一番のメリットだと言えます。


●自宅に遺骨とともに生活する「家庭霊園」が長過ぎた
●いま霊園に収めることは、経済的・精神的に無理だ

このような悩みを解決をしてくれる「預骨」というサービスは

今後ますますニーズが高まっていくはずです。


預骨についてくわしくは下のバナークリックしてください。




  

Posted by フューネ三浦 at 08:27 │お葬式の知識

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2014年08月22日

来賓焼香

お葬式の来賓とは誰でしょうか。いや来賓とは単に社会的に地位の高い

方のみなのでしょうか。改めて考えてみると非常に難しい問題です。

本来、来賓としてお招きするというのは主催者側が「この人」に

来てほしいというお客様を遠別した上で出席を促すというものです。

お葬式では喪主が来て欲しいお客様を選別をしてお葬式の出席を

促せば良いのですが、従来のお葬式ではこのような形でお客様を

お招きするということはまずありえません。

通常は関係各位の皆様に訃報という形でお知らせをして、基本的に

弔意を示す方の弔問を拒まないというスタイルです。

つまり、従来のお葬式は来てほしい人が来なくても文句も言えない

ばかりか、来てほしくない人を拒絶することもできないのです。




お別れの会、社葬、団体葬の場合の来賓は基本的に招待状を

発送し、あらかじめ、出席の有無を確認します。これができるのは

臨終の日から最低でも2週間程、スケジュールを空けてから行うから

です。今日亡くなって明日お葬式ではこのようなことはできません。

ですから、来賓としてもてなす色の濃いお葬式をお客様が希望される

時は、密葬を行ってから改めて本葬を行うことをお勧めして

いるのです。




地域によって、昔からのしきたりの中でおよその来賓焼香の順番という

ものが決まっています。豊田市では区長と呼ばれる町内会長が必ず、

一番で、次いで市長、国会議員・県会議員・市会議員・老人会会長と

続き故人の会社関係、喪主の会社関係と続きます。

地域のしきたりですので、この順番で来賓焼香を行うことが一番、

スムースに行き、波風も立ちませんがお客様の中には

「なんで?」とあからさまに不満を言われる方がいます。

「亡くなったお父さんの親友を一番最初に

焼香させたい」


このようなお考えをはっきり言われる方います。

「形だけの来賓の順番に何の意味があるの」

という不満が喪主が本当にお招きしたいお葬式が出来る家族葬が

人気になって行くのはしかたのないことでしょう。




葬儀社の社員というものは喪主様と通常、来賓と呼ばれる方々の

板挟みになることは日常茶飯事です。

町内会長様に

「今日はなぜ名前を呼んでくれなかった」

とお叱りを受けることは昔からあるのですが、残念ながらあなたを

喪主側が来賓と認識していませんよとは間違っても言えないのです。

お葬式の来賓はあくまでも喪主側が決めることであって、形式だけの

来賓扱いはもはや時代が否定をしているとしか思えないのです。




























  

Posted by フューネ三浦 at 09:04 │お葬式の知識

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2014年08月20日

大往生の価値観

自動車産業が集積している地元豊田市は昔から「若者の街」と言われて

きました。他の地方に比べて労働者世代の人口が多いのが特徴です。

しかしながら、その豊田市においても来年、再来年あたりで

超高齢化社会に突入します。

超高齢化社会とは65歳以上の高齢者の占める割合が全人口の21%を

超えた社会の状態のことで5人に1人以上が高齢者という状態です。

人生50年といわれた時代からでは想像もつかないくらい、多くの方が

高齢者になる時代です。

一昔前では80歳でお亡くなりなると長寿にあやかって近所のお年寄りが

お葬式に集まってきたという光景は今は全く見ることができません。

昔ならば、80歳まで生きてこられた方に対して「大往生だったね」

と声をかけたのですが、今は間違っても言ってはいけない言葉です。

では100歳でお亡くなりなられた方にかけて良いかと言えば、これも

いけないのです。家族や近親者にとって何歳になっても生きていて

欲しいと思うものです。「大往生」という言葉が「もう亡くなっても

良い年齢だった」という意味に受け取られると何とも気まずい関係に

なります。



大往生の価値観は人によっても違いますし、国にも、時代によっても

違うのです。ただ、ひとつ確実に言えるのは一昔前よりも大往生の

価値観は大幅な年齢アップをしているのです。

辞書によると大往生とは「少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。

また、りっぱな死に方であること。」
とあります。

自分自身が亡くなる時に大往生でありたいと思うほど、素敵な

言葉の意味を持っているのです。























  

Posted by フューネ三浦 at 08:46 │お葬式の知識

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2014年08月18日

お盆の渋滞

今年もお盆休みが終わりました。葬儀社にとってはお盆休みという

概念すらありませんが、今年も全国各地で帰省をする人々で

交通集中による渋滞が起きました。

8月14日付中日新聞のコラム「中日春秋」を引用させて頂きます。

駅、空港の混雑、高速道路の渋滞にお疲れの方もいらっしゃるだろうが、帰省ラッシュが毎年毎年ちゃんと起きることに、ほっとする▼親が首を長くして待っている生家へ子が帰っていく。帰る場所がある。迎えてくれる親がいる。それはやっぱり幸せで、どんなに素晴らしい宝であることか。世の中、ずいぶんへんてこな具合になってきたが、帰省ラッシュという「幸福の渋滞」は続いている▼<夕闇に母をとらへし帰省かな>。佐藤林太呂。夕暮れに待つ親もいない身としては「親孝行でござい」の声にやはり「あいよ」と小銭を出したかもしれない。

 2014・8・14


帰省ラッシュという「幸福の渋滞」は
続いている


という一文にはっとさせられました。

お盆休みの無い私にとって、お盆の「渋滞」は迷惑そのもの。

実際に今年もお盆の渋滞にはまり、フューネの関連車両が遅延

をする結果になっています。お盆の渋滞に20km・30kmはまる

のが解っているのに、わざわざ出かける人の気持ちが今ひとつ

理解できなかったのですが、あれは「幸福の渋滞」だったのだという

気づきを頂きました。日常生活の中での渋滞は苦痛でも非日常の

渋滞は耐えれてしまうということでしょう。



古くから日本はお盆にはご先祖様の霊も里帰りをすると考えられて

います。だからこそ、帰ってくるべき家を守り、生家へ子が帰っていく

いくのでしょう。お盆はこの世にいる親類もあの世にいる親類も

帰るべき家に帰って来れる家族にとってとても大切な時間なのです。

帰るべき場所があるということは人間にとってとても幸せなことだと

思うのです。



宗教観が薄れてきた現代においても帰省ラッシュが毎年起きること

はやはり、良いことであるし、もしもそれが無くなってしまう事態に

なれば日本人の心の根が落ち着かなくなってしまうはずです。




















  

Posted by フューネ三浦 at 09:06 │日々いろいろ

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2014年08月16日

はじめての喪主

お客さまから

「初めて喪主をするけれど、何をしていいか

わからない」

というご質問をお受けしました。

何事も初めて何かをするということは、ドキドキ不安がよぎる

ものです。フューネでは初めて喪主を務められるお客様に不安を

解消して頂くことも大切な仕事です。

初めて喪主をされる方にとって一番の不安はまず、何から準備したら

よいかわからないということです。

これは正直、ケースバイケースでこちらとしてもアドバイスする内容が

変わってくるので一概にいえませんが、まずは漠然とで結構ですので、

お葬式規模、内容、お客様の数をイメージして見ることです。

そうすれば、何が足らないかは経験者なら見えてきますが、未経験者

には必要なものさえ見分けがつかないのが通例です。

フューネに限らず葬儀社の立場から言えるのは、これ以上あれこれ

考えずにまずは、葬儀のプロにご相談して欲しいのです。

フューネでは葬儀の相談は無料です。

初めての喪主に不安な方にとってはいち早く信頼できる葬儀の

アドバイザーに就いて貰うことです。つまり、

「私たちにお任せください」ということなのです。

しかしながら、昔は葬儀社が葬儀のアドバイザーになるということは

ほとんどありませんでした。近所の長老と呼ばれる葬儀の経験が豊かな

年長者が必ずいましたし、お付き合いのある宗教者が葬儀のアドバイス

をしてくれました。ところが、近年では近所のお付き合いも宗教者との

お付き合いも普段の日常の生活の中で全く行っていない方のほうが

多くなっています。

結果的に喪主を務められる皆様にとって一番身近にいる存在というのが

葬儀社の社員なのです。



よく考えてください。葬儀の喪主という役目は多い人でも一生のうちに

4回

一生の内に喪主をしない人のほうが大半なのです。

自分の両親、配偶者の両親が亡くなった時しか基本的にありません。

しかも兄弟姉妹の中で長男・長女で無い限り、その役目はなかなか

回ってこないのです。つまり、「喪主」という役目を慣れている人は

誰もいないのです。

もしも慣れている人がいるのならば、不幸な方だと思います。

逆説的に言えば、初めて喪主をするということは生まれて今までの

人生は幸せであった証なのです。

















  

Posted by フューネ三浦 at 08:38 │お葬式の知識

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2014年08月14日

安売りの果てに。

いわゆるブラック企業と言われている企業から過重労働や

法令違反の実態が明らかになってきています。

牛丼チェーン「すき家」の実態は目を覆うばかりで、

深夜にワンオペと呼ばれる注文を受けるのも、全メニューの仕込み・

調理も、代金を受け取り釣りを返すのも、食器の後片付けと食器洗い

や掃除もこなす過酷な労働をすべて一人でこなすというもの。

すき家のお客様が同情してしまうほど過酷な労働環境は明らかに

行き過ぎでしょう。



ブラック企業といわれる企業には共通点があります。

それは「安売り」を強みとしている点です。

お客様に安く商品を提供する為にはコストを可能な限り削減する

努力が必要です。物品や電気水道光熱費の削減はもちろんですが、

なんだかんだと言っても一番コストがかかるのは人件費です。

「安売り」を実現するにはどうしても「人」の削減をしてしまうのは

経営的にみればしかたのないことでしょう。



お葬式という商品も「安売り」を標榜している葬儀社やサービスが

あります。フューネにおいても「安売り」できる商品のラインナップも

ご用意しています。「安売り」の商品と正規品の商品の違いの差は

結局のところ、人の数です。葬儀の一報を頂いて動き出すところから

通夜・葬儀・初七日終了までどれだけの葬儀スタッフでサービスを

するかということは葬祭サービスの品質を計る一つのバロメーター

であるのです。

フューネでは一件のお葬式に対し、業界平均以上の人員を投入して

います。もちろん、単に人員を投入すればよいという比較だけで

葬儀の質を計ることはできませんが、駐車場のガードマンや

夜間の葬儀会館の警備員など、削れば削るこのできる人員をあえて

配置することでお客様に「安心」「安全」なお葬式を提供することに

繋がるのです。お葬式の演出にもやはり、良いお葬式を提供するには

葬儀の担当者以外にも企画もする人員も必要なのです。

「感動葬儀。」という葬儀の商品には多くの人の手と

手間がかかっていることは事実です。




「一円でも安く」ということを望むお客様にとって安売り合戦は

必要なことでしょう。しかしながら、過度な安売りはお客様に

とっても葬儀社の社員にとっても何も利益は生まないのです。

行き過ぎた安売りは結果的にお客様に提供するサービスの

レベルの低下とサービスを提供する側の待遇の低下が起きます。

安売りの果てに「ご遺体を大切にする気持ち」

どこかへ置き忘れられたらこの国の文化が一つ崩壊したことに

なるのです。




















  

Posted by フューネ三浦 at 09:33 │お葬式の知識

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2014年08月12日

生まれて来てくれてありがとう。

「お父さんとお母さんの子供に生まれてきて

くれてありがとう」


この気持ちは親ならば、少なくとも一度や二度口にするわが子に

対する感情ではないでしょうか。

しかしながら、この言葉を喪主の挨拶の中で聞くととても胸は締め付け

られる想いがします。

人は誰もが必ず死にます。

これだけは人が人で生まれてきた以上避けては通ることのできない

宿命です。しかし、通常逆縁といいますが、死ぬ順序が逆になると

親が子のお葬式を出すことになります。

これがなんとも辛いのです。




先ほどご紹介した言葉は成人していない子を持つ親や子に対して

感謝の気持ちを述べた言葉です。号泣というか慟哭というか、

とにかく悲しみのどん底にいる方を表現する言葉さえも見つからない

ような深い深い悲しみの中で発した言葉は参列していた方すべての

方の心に響いたでしょう。

私の著書「感動葬儀。心得箇条」の中でも触れて

いますが、親孝行というのは絶対に親より一分一秒でも

長く生きること。逆に親不孝というのは親より一分一秒でも

早く亡くなることに尽きるのです。

葬儀の現場では今日も亡くなる順序の違うお葬式が日本は

もとより世界中で行われているのです。

「生まれて来てくれてありがとう」

という言葉はお葬式の現場では聞きたくない

親や子に感謝する究極の言葉なのです。
  

Posted by フューネ三浦 at 09:07 │お葬式の知識

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2014年08月10日

お墓の相談会

台風の影響が心配された8月9日にフューネ主催のお墓の相談会

を開催しました。毎年この時期に開催している相談会ですが、今年で

3回目を迎えることができました。なぜこの時期というと豊田市の

公営墓地である古瀬間霊園の販売抽選を控えているから。

公営の墓地は民間の墓地と比べると非常に安い値段で墓地の区画が

手に入るということで非常に人気です。毎年、人気の区画は抽選に

なるのですが、どうしたら当たりやすくなるのか、どんな場所が本当は

良い区画かなどをお墓の専門家である小野田石材店の小野田剛太氏に

ご講演頂きました。







今回ご参加頂いたお客様はフューネでお葬式のお手伝いをさせて頂いた

会員様限定でした。みなさま非常に興味をもたれセミナーの終わった

後も質問を多数受けることになり、その場で抽選の申し込みを

された方もいらっしゃいます。





一年に一度しかない古瀬間霊園の抽選ですが、今年の分は

まだ間に合います。興味のある方は是非、お電話または

メールフォームでフューネまでお問いあわせください。











  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │イベント&ニュース

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2014年08月08日

ピラニア

一匹のピラニアのお話はご存じの方も多い思います。

観賞用として海外でも人気の高い錦鯉を、ブラジルに空輸すると

24時間以上の行程になります。人間でもかなりハードな移動で

ある訳ですが、当然錦鯉にとっても、狭い水槽の中で過酷な移動

にななります。結果、ブラジルに到着時に鯉が全滅していたという

ことがよくあったのですが、実験的に、錦鯉を30~40匹入れた

水槽に数匹のピラニアを一緒に入れて空輸したところ、長い飛行時間

や、過酷な環境にも関わらず、コイ達はすべてピンピンしていた

という話です。

いつ食べられるかもという緊張が鯉にとって良い結果をもたらして

くれるというこの話はぬるま湯に浸かっているような状態というのは

私たちにとって何も良い結果をもたらさないという表れなのです。

緊張しすぎることは決して良いことではありませんが、程よい緊張感

というものは絶対に忘れてはいけない良いものだということなのです。




今年フューネでは先月から年末にかけて入れ替わりで複数の他の企業

からの研修生を受け入れます。自分自身の慣れた職場から研修に

こられる方が緊張するのは当然ですが、受け入れるフューネの社員に

とっても程よい緊張感が発生します。

研修生を受け入れるということは良くも悪くもフューネの素顔を見せる

ことになるのですから。

フューネにとって研修生を受け入れることはピラニアを一匹入れるの

と同じ効果があるのです。

研修生にとってもWIN。フューネにとってもWINの

「WIN-WIN」の関係は今後も積極的に継続して行きたい

ことです。



人間にとっても組織にとっても程よい緊張感を持続させる

ことがとてもとても大切なことです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:34 │フューネ(会社)のこと

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2014年08月06日

ポケベルと公衆電話

今から約20年前、携帯電話がまだまだ普及していなかった頃、

ポケットベル(ポケベル)が爆発的にヒットしていたことを覚えて

いるでしょうか。その当時、私は20歳前後の学生であり、

高校を卒業してすぐポケベルを購入し、当時、数字のみの

メッセージを送れる機能しかなかったポケベルで

0840(おはよー)・0906(遅れる)・114106(あいしてる)という

メッセージを送っていました。

私の世代は若いころの懐かしい思い出ですが、平成生まれの

今の若者たちにはまず「ポケットベルとは?」というところから

解説しなければいけない理解度です。彼らが物心ついた時には

すでに携帯電話が普及しており、そもそもポケベルの存在価値は

無くなってしまってしまっていたのです。




今ではほとんど使っていないポケベルですが、当時は大変貴重な

道具でした。ポケットベルは通称名であって正式は

「無線呼び出し」という名前です。その名の通り無線で

小型受信機に合図を送るシステムは携帯電話を持っていなかった頃に

外にいる人と連絡をとるにはこの方法が一番便利でした。

葬儀社にとってもポケベルは必須のアイテムでした。

本社事務所からお客様のところに行っている営業員に連絡を取る

時に使用するばかりでなく、昼夜を問わず、突然発生する葬儀の依頼に

対し、待機している社員を呼び出すのに絶対に必要な機能でした。

ポケベルがあったおかげで葬儀社の社員はいつ来るかわからない仕事

を事務所で待つことなく、自由に外で待っていることができたのです。




ポケベルを受信した人のやることは皆共通していました。

「電話を探すこと」

すなわち、公衆電話を探すことでした。

幸い当時は公衆電話は町中に溢れていましたので、簡単に見つける

ことが出来ましたが、急いでいる時に限って電話待ちの行列があったり

してイライラしていたものでした。



現代は人と連絡を取るときに音声である電話さえもあまり使わなく

なっています。メール・ツイッター・Facebook・LINEなど

が連絡の主流であり、これらのおかげで相手の都合も関係なく、

連絡が取れることはとても便利です。しかしながら、ポケベルで

メッセ-ジを受信して返信をするのに公衆電話にダッシュしていた頃の

時間の流れのほうが好きです。

電車に乗っていても会議中でもすぐに返信出来てしまう今は少々時間の

流れが速すぎるように感じるのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │日々いろいろ

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2014年08月04日

岡崎花火大会2014

今年も友人である永田や仏壇店さんの永田社長のお招きにより、

岡崎市の花火大会に行って参りました。

毎年恒例と言っても良いのですが、毎回超特等席の桟敷での

花火鑑賞です。

気がつけば毎年必ず、お誘い頂き今年で7年連続です。











今年は縁あって岡崎花火大会までに3回も花火大会に

参加することがありましたが、やはり、2万発の花火大会は

スケールもデカイ。

また、岡崎ならではの菅生川と矢作川の2か所からの打ち上げや

金魚花火・地面で破裂させる地割り花火もあり、

終始、楽しむことができました。



子供の頃から慣れ親しんでいる岡崎の夏の変わらぬ風景は

ずっと変わって欲しくない郷土の誇りです。

  

Posted by フューネ三浦 at 10:07 │社長のプライベート

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2014年08月02日

団欒(だんらん)

団欒(だんらん)とは車座に集まって、なごやかに楽しむことです。

よく使う言葉に一家団欒という言葉がありますが、これは家族全員が

同じ場所に集まって、なごやかな楽しい時間を過ごすこと。

という意味になります。

同じ屋根の下で生活をしていても平日はなかなか家族揃って食事を

することがままならない世の中です。日曜日の一家団欒の時間に

一家団欒の象徴の家庭であるサザエさんを見て過ごす。

なんとなく、誰もが憧れる幸せの家族像ではないでしょうか。




元来、通夜の後の食事は団欒の時間を強制的に取ることが出来る

時間です。遠方に住む親戚や兄弟姉妹が集まって久方ぶりの

団欒の時間を共有できる仏縁がもたらしてくれる宝だと

思うのですが・・・

しかしながら、現実は久しぶりの兄弟姉妹であっても一緒に食事を

されないケースが多いのです。

しかも、家族葬を希望されるお客様ほど団欒の時間を無下に扱って

いるように思うのです。

家族葬だから通夜や葬儀に遅刻してくる。

家族葬だから香典袋の中身を少なくしてくる。

家族葬だから、親戚もいないので食事会に参加せず帰ってしまう。

もちろん、一部のお客様のことですが、本来家族葬だから大切に

しなければいけない家族の絆を滅茶苦茶にしているのです。

なぜこのようなことになるのかということですが、端的に解釈する

ならば「気合がはいっていない」のです。

家族葬だからという「甘え」がお葬式にあるのです。




元来、家族葬だから大切にしなければいけない団欒を粗末にはしないで

頂きたいものです。結果的に多くの弔問客がいらっしゃる従来のお葬式

のほうが、家族の決まり事をしっかりやっているのは何とも皮肉です。

「お葬式に気合を抜かないでほしい」

なぜならば、お葬式は最後の親孝行です。

お客様には絶対に後で後悔するようなお葬式にして欲しくないのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 09:05 │お葬式の知識

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