2022年11月20日

青空納棺

フューネが大切にしている納棺の儀式は単にご遺体をお棺を入れる

という行為ではなく、お亡くなりになられた方がこの世からあの世に

旅立ちの出発式でもあり、昔から納棺式のことを三途の川を渡っていく

舟に見立て「舟入りの儀式」とも言います。

「フューネ」という社名変更をする時に、葬儀という意味の英単語で

ある「funeral」からカタカナの「フューネ」とせずに

アルファベットで「FUNE」とあえて読みにくいほうを採用したのも

フューネに「舟」をかけているのです。



さて、本来は納棺は住み慣れたご自宅で行うことが私はベストだと

思っていますが、昨今の住宅事情で自宅にお棺を入れることが

出来ないケースが多々あります。

エレベーターの無い集合住宅とか狭い廊下でお棺が入らない時などは

そのようなケースの代表です。そのような時は担架を使いご遺体を

運び、葬儀会館などの設備が整ったところで納棺をします。

ところが自宅で納棺することが物理的に不可能な場合でもどうしても

現地で納棺をしなければならない場合があります。

多くの場合は死後数日から一か月くらい経過している腐乱状態の

場合です。

この場合は匂いや体液を拡散させないようにすぐの処置が必要です。

自宅内で出来ない場合は自宅の庭や場合によっては路上で納棺を

することがあるのです。

私の経験した一番過酷なところは屋根の上というケースが一度だけ

ありました。

ご自宅の2階でお亡くなりになられたのすが、死後一か月の腐乱状態で

階段が急すぎて担架も使えず、部屋にもお棺が入らず、仕方なく

2時間ほど対応を考え出した結論が屋根の上で納棺をするという

判断でした。

大がかりな納棺に応援を呼び、我々のスタッフは計10人。

屋根の上での納棺に夜中でしたが、近所の人の見物人も

大勢集まってきてしまった現場でした。





私たちは仕方なく野外で納棺することを「青空納棺」と呼んでいます。

青空納棺の現場は通常と比べるとかなり過酷なところが多いのですが、

お亡くなりになられた方の尊厳が損なわれないように最大限の敬意を

もって応対をしているのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:28 │お葬式の知識

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2022年11月10日

火屋葬




先日、生前より親交が深かった西尾市のお寺の住職が

お亡くなりになりました。

本来はフューネの施行エリアでは無い西尾市ですが、

遺言で葬儀はフューネにという大変ありがたいご指名を頂いて

おり、この度の住職の寺院葬はフューネが担当することになりました。

住職の葬儀の希望は「火屋葬」でやって欲しいということでした。

おろらくこのブログの読者も「火屋葬」って???

となっていると思うので解説をしますと葬儀が終わり、火葬をするまで

仮設の建物のご遺体安置所の「火屋」を建てそこでお経を唱え、

お亡くなりになられた方との最後のお別れをする場なのです。

「火屋」という言葉自体が火葬場という意味もあり、昔は仮設の

建物である火屋に火を放ち、火葬をしていたこともあるのです。

今回は山門を火屋に見立てての火屋葬でした。

西尾市近辺でもでも15年ぶりの火屋葬だったそうです。

その為に式次を担当する僧侶の皆様も古い資料を確認しながら

四苦八苦であり、葬儀社ある私たちも含め手探り状態でなんとか

儀礼式を行うことができました。



もっとも、江戸時代に行われていた本来の火屋葬からは違うやり方で

あったかもしれません。

しかしながら、令和の時代に江戸時代に行っていた葬儀の仕方が

蘇ることが日本の伝統文化の継承に繋がり、日本の葬送文化を

守ることに繋がるのです。お亡くなりになられた住職が私に託して

頂いた「火屋」という文化遺産を今回、蘇らすことができたのは

本当に有難いことです。

これからも葬送文化を後世に守り抜く重たい責務を頂いたのです。











  

Posted by フューネ三浦 at 14:43 │お葬式の知識

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2022年10月20日

火葬場も選べるほうがいい。

お葬式は民間の葬儀社各社の努力により、現在は様々な葬儀会館が

余程の田舎や離島を除けば、数件の葬儀会館の中から自分自身が

気に入った葬儀会館を選ぶことができる環境が全国的に

整備されました。

やはり競争原理は必要で、葬儀社各社がお客様からお依頼を頂く為に

より良いサービスを追求することはお客様にとって利益になります。

フューネでもお客様からのご依頼を頂く為に日々、葬儀のクオリティー

を磨く努力をしています。刻一刻変わるお客様のニーズに対応していく

ことはもちろんのこと、お客様が安心してご利用頂けるように葬儀会館

のメンテナンスにも費用をかけています。



葬儀会館をお客様が自由に選べることができる反面、火葬場を選ぶこと

は多くの地域では難しいのは今も昔も変わっていません。

東京都内の一部の民間が経営をしている火葬場を除けば、日本中の

火葬場は地方公共団体が運営する火葬場です。

住民サービスが充実しているところは非常に格安で利用できる反面、

その地域に一つしか無いところが多く、火葬場をお客様自身が

選ぶことが出来ない場合がほとんどです。

火葬場によって設備や職員のサービスの品質は当然違う訳で、より良い

サービスが提供できる施設が人気になるのが世の中の倣いだと思うの

ですが、お客様が選択する余地の無い場合は、サービスや職員の対応が

悪くても仕方なく利用をするしか無いのです。

いってみればエリア内独占の事業な訳で、競争原理の無い所では

どうしてもサービスの品質の向上が見込めないのが残念なことです。

少なくとも大都市圏においては2か所以上の火葬場が選べる環境に

なければ民間の葬儀会館のような品質向上は難しいのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 12:11 │お葬式の知識

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2022年10月10日

お線香を買い取って

フューネが運営するお仏壇店では様々なお線香をご用意しています。

お線香の香りは本当に様々で、白檀・沈香・伽羅といった天然の原木

を使用したいわゆる本物のお線香は資源の希少性から非常に高価な

お線香です。香木の原木は金1gよりも香木1gのほうが高価であり、

香木の含有率によって価格は違ってきます。

その他、薔薇やラベンダーなどの花の香りやコーヒーやお酒の香りを

楽しむことの出来る香りなどもあります。

反対に無香料のお線香や、煙の少ないお線香など、匂いが苦手な方に

配慮したお線香もあります。

本当にお線香の種類は様々であり、自分自身のお気に入りのお線香を

探すことはとても楽しいことです。

日本には古くから香りを楽しむ「香道」という文化があり、香りを

変えることで日常生活に変化をもたらす効果や、リラックス効果が

得られるのです。




さて、様々なお客様がいらっしゃいますが、時として理解不能なことを

要求されるお客様もいらっしゃいます。

お葬式の時に多くの皆様から頂いた進物用のお線香ですが、大量に

あって使いきれないから新品なので、引き取ってくれないかという類の

ことを要求されるお客様がいらっしゃいます。

いくら新品だからといって、故人様へのお供えにと弔意をカタチに

されたものですので、当然のことながら引き取りはしません。

もしも、引き取る業者がいたらいわゆるバッタ屋さんかもしかしたら

質屋さんでしょうが、間違っても販売価格で引き取ることは

絶対にあり得ないのですが、このようなことを要求される

お客様に限って、

「使っていないから定価でひきとって」

と言われるのです。

商品の返品と同一の感覚であり大いなる勘違いなのですが

全くもって理解不能な要求なのです。




確かに使いきれないくらいのお線香をそのまま捨てるのは

勿体ないのですから、是非、お付き合いのある寺院様に寄付を

されるとか、友人・知人の皆様におすそ分けをされると

よろしいかを思います。

頂いたお線香は有難く頂戴されるはずですがいかかでしょうか。











  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識日々いろいろ

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2022年09月20日

同居のほうが珍しい

お葬式のご依頼を頂く必ず確認しなければならないのはお亡くなりの方

の本籍地と現住所、そして喪主の現住所ならびに主要な関係者の皆様

の現住所です。結論を先に申し上げますと、

ほとんど現住所がバラバラです。

昨今の家庭事情は現住所がバラバラになっていることのほうが当たり前

であり、現住所が一致するほうが珍しいことです。

私が葬儀業界に入った約30年前には親と同居のケースは

結構ありましたが、本当に親と現住所が一致していることの希少性が

現在はあるのです。

長い間ずっと親と同居してきたという方でも晩年にいわゆる老人ホーム

に入居する時は現住所を施設の住所に移転をしなければならない

ルールがあるのでこのような場合も現住所がバラバラに

なってしまうのです。



かつては親戚の方も実家の近くに住む傾向にありましたが、

最近ではそのようなことも無く、住んでいる場所もバラバラです。

結果的に、葬儀会館を選ぶ時に誰の家から近いところで選ぶかと

いうこともバラバラです。

もっとも、自宅から近いという理由で葬儀会館を選ぶ必要が家族葬と

いうお葬式の形態が主流の現在ではあまり気にしなくていい選考基準と

なってしまっています。


そもそも、親戚はおろか家族さえも何かあった時に集まれなくなって

しまっている住居が増えており、そうした背景からお葬式が発生した

時は葬儀会館に病院から直接お入りにならなれることを選択する

お客様が今や大半を占めているのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 12:40 │お葬式の知識日々いろいろ

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2022年09月11日

「死」が軽くなる

最近のお葬儀事情を見ていると「死」というものが以前と比べると

随分軽くなってしまったように思うのです。

家族葬というものはお亡くなりの方をはじめ、ご遺族の皆様の

「社会的な繋がりを断ち切って行うお葬式」とも言い換えることが

できますが、社会的なお別れの場を提供するという使命は果たす

ことができません。

同時に宗教者も大人数を呼ぶことが少なりなり、葬儀の式典に

荘厳さが無い式典が増えていることは間違いの無い事実です。



そしてご親戚の皆様も以前ならば、孫やひ孫まで参列した

お葬式でしたが、現在では中々親族大集合というケースが

希少な存在になりました。

人は生まれて来る時も死んでいく時もひとりです。

孤独なのです。この孤独感を少しでも和らげることがとても大切な

ことで、古来より私たちのご先祖様が大切にしてきた人の繋がりで

あり、「絆」という言葉に置き換えても良いでしょう。

人と人が結び合っている「絆」が見えないお葬式はどうしても

軽く見えてしまうのです。

私は人の命がこの世から消える死は重いものだと認識をしています。

おそらく多くの方々が人の命は重いものだと認識しているはずですが、

それを表現する葬送の儀礼式の省略化は思っていることと実際に

やっていることの乖離を感じてしまい人一人の死が軽く見えて

しまうのです。















  

Posted by フューネ三浦 at 10:38 │お葬式の知識

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2022年08月20日

病院から抜け出して

長い間、病院に入院をしていると誰しもが一度は住み慣れた自宅に帰り

たくなるものです。病院からの許可を得て一時帰宅のできることは

家族の皆様にとっても嬉しいことです。

フューネでお葬式を担当させて頂いたお客様がよくおっしゃるのは

「亡くなったのは悲しくて残念なことだけど、亡くなる前に

自宅に帰ることが出来て良かった」ということです。

自宅は安らぎを与えてくれる場所と同時に様々な想い出が最も詰まった

場所であり、「自宅に帰る」ことは人間にとって重要なことです。




葬儀会館で葬儀の参列をされるお身内の方で病院からお越しなられる

ケースが多々あります。

身内の不幸に参列をする為に病院を抜け出してお越しになられます。

やはり、近親の方が亡くなった場合は多少の無理をしてでも葬儀には

参列をしたいものです。

私も医者が許可を出してくれるならば、可能な限り葬儀には参加して

頂きたいと考えています。



昨今のコロナ禍の中で、陽性者並びに濃厚接触者が自宅などの

療養場所から勝手に抜け出してお葬式の会場に来てしまうケースも

ありました。葬儀に参加できないことに同情はいたしますが、勝手に

抜け出して多くの方にご迷惑をおかけすることはやはり

絶対にNGな行為です。

とはいえ、近親者のお別れですから、なんとか参列することを叶えて

あげたいものです。

なんとかならないものでしょうか。
















  

Posted by フューネ三浦 at 11:29 │お葬式の知識

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2022年08月11日

お棺を手運びで。

最近のお葬式では、ご遺族の皆様がお棺を手で運ぶことが

減ってきています。葬儀会館にしても火葬場においても、

お棺用のストレッチャーが大方配備されており、葬儀社の社員が

ストレッチャーに乗せ換えることを請け負ってしまえば、

病院の霊安室から葬儀会館・火葬場まで一度もご遺体を運ぶと

いうことをご遺族の皆様が体験をすることなく葬儀が

完遂してしまうのです。




昔からフューネの「感動葬儀。」ではお客様自身がお棺を

手運びで運ぶことを推奨しています。

元来、火葬場まで古式に則り、葬列を組むことが日本の

葬送文化であり、お棺を持つことは近親・有縁の皆様にとって

重要な役割であるのです。

成人男性のご遺体の入ったお棺は150kg位の重量に

なることもあります。とっても重たいのですが、重いお棺を

大勢の皆様で運ぶことは遺されたご遺族の皆様にとっても、

「お棺が重たかった」と記憶にちゃんと残るのです。

供養の本質はお亡くなりの方のことのいつまでも忘れないで

あげることです。人の記憶にインプットすることは

脳みそに汗をかかなければなりません。





最近では葬儀の参列する人数も5名以下のお葬式も増えています。

物理的にお棺を運ぶことの出来る人数が葬儀の場所にいないケースが

多々あります。そのような時は本当にストレッチャーが重宝しますが、

私としてはやはり、多少無理しても、本当に短い距離であっても

お客様自身が手運びでお棺は運んで頂きたいのです。










  

Posted by フューネ三浦 at 10:12 │お葬式の知識

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2022年07月20日

集会所のお葬式

多くの団地には住民の利便向上の為に住民が集まることの出来る

「集会所」が設けられています。

各種の会議だけでなく、子供会の行事や趣味のサークル活動などで

使用できる集会所の存在は住民によってはありがたいものです。

多くの集会所の規約の中では冠婚葬祭での使用が許されています。

結婚式やお葬式で使うことを想定した使用規約はほとんどの集会所で

存在するのですが、令和の時代では利用を希望される方はほぼ存在

しなくなりました。

結婚式で使用する人が少なくなったのも、お葬式で使用する人が少なく

なったのも、理由は民間の専用式場が普及してきたのが

一番の理由です。

専用式場というものはやはり、「専用」に作られているだけあって

圧倒的に利便性が良いのです。

もちろん、民間の専用式場は公営の式場と比べて何百倍も利用料が

高くても使用するだけの魅力があるのです。



集会所利用のお葬式が敬遠されていった理由のひとつに夜間の

セキュリティーの問題があります。場所によってはカーテンすら

無い集会所もあり、外から丸見えのところもあります。

そして、多くの集会所ではシャワーやお風呂が無いのです。

民間の専用式場ではもはや当たり前の設備ですが、これが無いのは

やはり不便なのです。

そして、集会所のお葬式が敬遠されていった一番の理由は

「綺麗で無いこと」。

クリンネスは現代社会において当たり前のサービスであり、

これに難がある施設はたとえ格安でも敬遠されるのです。



とはいえ、集会所でお葬式を行うことにメリットもたくさんあります。

特に家族葬が当たり前の現代では集会所でのお葬式はメリットが

多いといえます。

一番のメリットは「自宅から近くで行なえること」

そして、今までなら手狭だった場所が家族葬ならちょうど良い大きさ

になってきたことなのです。

おそらく、クリンネスが保たれている集会所ならば、葬儀会場としては

これからの時代は魅力な会場になるはずです。












  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識

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2022年07月10日

痛みに耐える

年齢を重ねていくと、身体のどこかが痛くなり、それが一か所に限らず

複数箇所起きることが常態化してしまっている方が数多くいらっしゃる

でしょう。生きていくということは痛みとの闘いです。

「痛み」は私たちに身体の不調を教えてくれる大切なメッセージです。

本来ならば、ひとつひとつの痛みに正面から向き合っていくことが

健康の秘訣でしょう。しかしながら、いつしか痛みを放置したり、痛み

に耐える耐性を持ってしまい、身体からの大事なメッセージを蔑ろに

してしまうものです。

思えば子供の頃は少しの痛みでも「痛い痛い」と親に言っていました。

「痛いの痛いの飛んで行け~」

というおまじないは親の愛情を直球で頂いていた頃の微笑ましい

思い出です。




大人になると身体の痛みだけで無く、「心の痛み」があることに気づか

されます。しかも、身体の痛みよりも場合によっては重症化しやすく

簡単に治らないことにも気づかされます。

現代社会の中で心の病に苦しむ方が増えているのも不必要なほど

痛みに耐えることが良しとされてしまっていることの弊害でしょう。



元来、お葬式を行うということは大切な人が亡くなってしまったときに

心の痛みを少しでも和らげる効果があります。

お亡くなりになられた方にとってこの世での卒業式であるお葬式は

しっかりと行うことで本人だけでなく、遺されたご遺族の皆様にとって

心の整理をする上で絶対に必要なものです。

もちろん、お葬式を行ったからといって心の痛みがすべて無くなって

しまうことはあり得ないでしょう。

残った心の痛みは痛みに耐えるのではなく、心の痛みに逃げずに

正面から向き合っていく必要があるのです。



コロナ禍の中でお葬式の簡略化が起きている葬儀事情ではありますが、

心の痛みが取れない程の簡略化したお葬式は出来れば選択しない

ほうが良いはずです。









  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │お葬式の知識

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2022年06月20日

自ら命を絶つことが減らないのは

ここのところ、有名人・芸能人の自殺の報道が後は絶ちません。

誰もが知っている人の自殺での死はやはり影響力が大きく

尊い命を守る立場からすると本当に止めて頂きたいと思うばかりです。

フューネのお客様でもテレビドラマから影響を受け、小学生が複数で

一緒になって命を絶ったという痛ましいお葬式を過去に担当させて

頂いたこともあり、本当にメディアの影響力は馬鹿に出来ないのです。

そのような影響力はメディアも理解をしており、テレビの報道も昔と

比べてソフトになり、また命を守る為の相談窓口の案内を報道と

併せて実施するようになってきましたが、果たしてどこまで効果が

あるのでしょうか。



残念ながら命を絶つ人はゼロにはなりませんが、実は最近では

平成15年の34000人台から20000人台まで徐々に減ってきて

いたのです。自殺者が減少に転じたのは心のケアをする活動が

機能している証です。そして命の大切さを啓蒙する活動が

社会全体で行われてきたという時代背景にあります。

ところが、せっかく減少傾向にあった自殺者数の推移がコロナ禍に

入り、やや増加に転じているのです。

時代の閉塞感からくる経済の打撃や孤独感、先の見えない世の中で

精神的に参ってしまう方が増えていることは間違いのない現実です。



自ら命を絶つ方は何らかの精神的な疾患を抱えています。

私の私見ですが、正常の精神状態では自らの手で命を絶つ恐怖には

勝てないと思いますが、精神の病気が命を絶たせることは

フューネが葬儀を担当するお客様の動向をみていても間違いのない

事実です。そして、自ら命を絶たれた方の死に顔は誰もが

「苦しそう」な表情をしています。

誰もが必ず迎える「死」はせめて、安らかなお顔であの世に

旅だって欲しいと葬儀の仕事を通じて数えきれないほどの

自殺者の死に顔を見てきた私の想いなのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:34 │お葬式の知識

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2022年05月10日

喧嘩に巻き込まれて

意見の相違や感情の不一致から来る人と人のコミュニケーション

の悪化は時として喧嘩に繋がります。

喧嘩というものは何かしらの方法で相手を攻撃することになり、

心理的には無傷ではいられない状態になります。

なるべくなら喧嘩は避けたいものですね。

争いごとは国家と国家であれば戦争にも繋がりかねないのですから。





実は葬儀を通じての喧嘩は頻繁に起きます。

夫婦間、兄弟間、親戚の間などなど・・・。

主に葬儀の考え方が個々に違ったり、それを合わせて方向性を

決めるときにおきます。葬儀とは、おもてなしとは、寺院様に

対する考え方等々と意見の相違から始まる喧嘩がやがて普段の

不平や不満まで発展してしまうこともよくあります。

お亡くなりの方の看病などで疲れていて精神的にも肉体的にも

余裕の無い状態では怒りの沸点はどうしても低くなりがちになり、

喧嘩の口火は簡単に切られてしまうことも多々あります。




葬儀社の社員は担当するお客様の喧嘩に残念なことに

巻き込まれてしまうことが多々あります。

巻き込まれる巻き込まれないと論ずる前に目の前で突然発生する

喧嘩は仲裁をしなければならないこともあります。

そして、小さな喧嘩が大きな喧嘩に発展するとも葬儀社の担当員

としてはもうどうにも出来ないことになってしまいます。

また、相続を控えている中でちょっとした口喧嘩がドロドロの

相続争いに繋がってしまうことにもなりかねないのです。




喧嘩に巻き込まれて一番困るのは争っている双方から

「葬儀屋さんどう思う?」

という意見や同意を求めてくることです。

立場上どっちの味方もできないことが多いのですが、味方にしようと

意見を求められるのは本当に厄介です。




頻繫に目の前で起きるお客様の喧嘩を対処することも葬儀の現場では

葬儀社の社員としてやはり重要なことなのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:47 │お葬式の知識

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2022年04月20日

ペットのお仏壇



フューネのお仏壇店は各店ともペット供養の各種商品を

取り揃えています。

年々お客様からペットに関する供養商品のお問合せが

増えてきてペットの供養に関するコーナーが各店とも

拡大してきました。

ペットのお仏壇だけでなく、ペットの位牌やペット専用のロウソクや

線香まで様々な商品があります。



ご来店頂けるお客様は気に入られた商品に巡り合えると

「こういうのを探していた」

と、とても喜ばれます。

ペットの供養を考える方々は人間の供養と同レベルのことを

考えられます。

家族の一員であり、亡くなった後でも忘れないように弔いを

していきたいという想いをお持ちなのです。

そして、お亡くなりになられたペットとの思い出を涙ながらに

私たち販売員に語ってくれることが多々あります。

私たちはお仏壇や仏具を販売する販売員ですが、お客様の

こうしたペットとの想い出話を聴くだけしかできませんが、

それでも多くのお客様が話を聞いてくれてありがとうと

清々しいお顔でお店からお帰りになられるのがとても

嬉しいのです。



仏壇店は葬儀の現場と違い、生死を当事者が客観的に

観ることが出来る場所だと思っていましたが、お客様の

想いに触れると葬儀の現場と何も変わらないのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 10:48 │お葬式の知識終活の教科書

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2022年03月10日

道を変える

普段何気ない通勤・通学路を少し遠回りして普段とは違う道を使う

と意外に多くの発見があります。家からは近いところでも知らずに

新しいお店などが随分前からオープンしていても気づかなかった

ことに気づいたり、普段見ている大きな建物も見る角度が違えば

建物に対する印象も感じ方も変わるものです。

普段の日常では時間に追われ、移動距離はどうしても最短の

ルートを選びがちですが、何気ない日常の生活も通る道を変える

だけで気づきや出会いがあり、刺激を頂けるのです。



お葬式において昔からの迷信ではありますが、

「火葬場への往きと復路の道を変える」

というものがあります。

なぜかと言うと

「亡くなった人に帰り道をわからなくさせるため」です。

この火葬場への往きと復路の道を変える習俗は、もともと

土葬だった頃の”お墓からの帰り道”のことを言っていました。

帰り道をわからなくさせて自分の家に帰って来られないように

するというのは可哀想な気もしますが、言い換えれば

「家に帰らずにあの世へ安らかに旅立ってくださいね」という

思いが込められています。



最近のお客様は火葬場からの帰り道を変えることをあまり

気にしなくなりました。

そもそも、この迷信をしっている方が少なくなったのと、

カーナビに頼って走ることが多くなったので、ナビ通りに走ることを

第一にしているのでしょうか。

もっともフューネでご依頼を頂く火葬場までのマイクロバスは

行きと帰りの道を一部変えています。火葬場からの帰り道は

変えなければいけないと信じていらっしゃるお客様が少数でも

いらっしゃる以上はプロとして必要な対応です。




お葬式には昔から伝わる様々な迷信があります。

科学的な根拠は全くないのですが、どれも古くから故人を弔う為の

生活で知恵であり、遺された人々の悲しみを和らげる為の

知恵なのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 09:12 │お葬式の知識

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2022年02月20日

「一式」は悪のイメージ。しかし「葬儀プラン」OK

10年くらい前まではテレビ・雑誌が葬儀のことを取りあげると

「価格が不明瞭」「見積もりより実際の請求書が高かった」などと

いわゆる「悪徳」という冠を葬儀社にわざとつけさせたいような

番組や記事が横行していました。

昔から使用している「葬儀一式」というセットプランは悪徳葬儀社の

象徴のように扱われ、弊社でも一時期「葬儀一式」という表現を止めた

こともあるのです。確かにある程度の葬儀の知識をお持ちのお客様なら

自身の葬儀に対し、必要なものと不要なものが選別することが出来る

のです。その上で必要な物品を単品で購入することは出来るのですが、

ほとんどのお客様はこうした葬儀の知識をお持ちでないので、

必要なもの・不要なものをひっくるめて「葬儀一式」のプランを

申し込んだほうが安心なのです。

ですから、ほとんどの優良な葬儀社の「葬儀一式」は安心ですし、

多くの葬儀社はお客様が一式の中で使わないものが数点あることも

想定して、単品でご注文されるよりも若干割安に価格を設定して

あることが普通なのです。


最近は「葬儀一式」というプラン表示ではなく、全国一律な価格設定の

ネット上のセットプランが多数発売をされていますし、お客様も

セットプランを安心して選ばれる方がほとんどです。

結局のところ、ご自身にあったセットプランを選ばれることが

消費者としては一番賢いお買い物だと断言できるのです。

以前と比べて、価格の比較はネット上で誰でも簡単にできるように

なりましたが、残念なことに葬儀社の実力を判定できるだけの知識を

お持ちのお客様が激減しています。

例えば、A店・B店・C店の三店舗が同じ1000円のカレーライスを

販売しているなら、どのお店が良いかは味の違いを見分けなければ、

満足は得られないのですが葬儀社の場合、飲食店の味の部分である

葬儀社としての技術やおもてなしの品質で判断頂きたいのですが、

価格でしか判断できないだけの商品知識しかお持ちでない方が

続出しています。

特にコロナ禍において葬儀が家族葬ばかりになり、葬儀の参列回数が

激減しているからこのようなことになっているのです。

ご自身にとって正しく比較検討をされ葬儀社を選ばれることを切に

願っていますが生きた情報はやはり実店舗にしか存在しないのです。

お客様の葬儀の知識を未熟さをセットプランが補っていることに

ちょっとだけ気づいて欲しいのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 16:19 │お葬式の知識

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2022年02月10日

濃厚接触者とお葬式

濃厚接触者に認定されると以前は最大で14日間、最近は10日間は

自宅もしくは隔離施設で待機を求められるようになって早2年の歳月が

経ちました。もっとも濃厚接触者でも無症状であれば、身体上の心配は

何もありませんが、逆に元気であるのに仕事や学校にもいけない状況

というのは経験者にとって苦痛以外の何物でもないという状況です。

私たちは少しでも不自由であれば何らかの苦痛が伴います。行動の

制限が無く、自由に行きたいことややりたいことがやれる環境と

いうのはどれだけ有難いことなのかということをコロナ禍の現在での

一番の学びのことではないでしょうか。



コロナ禍でのお葬式は大きく変容しました。

いわゆる三密を避けるために葬儀の規模は小規模になり、誰でも弔意を

示すことが難しくなり、葬儀の参列する方に対し、何かしらの制限が

設けられることが多くなりました。

このような中で、しばしば起きる悲劇が「濃厚接触者の身内」です。

親が亡くなったのに自分自身が濃厚接触者であり外出が出来ず、

葬儀の参列はおろか、臨終の時にさえ、対面も出来ないといった悲劇が

日本中で起きています。

自分自身が濃厚接触者であるばかりに自分にとって大切な人のお葬式に

参加できないのはとても悔しいことです。

新型コロナウィルスが恨めしいと思います。



フューネではお身内の中に濃厚接触者がいらっしゃる場合は無症状で

あるという条件付きでありますが、他のお客様と交わない深夜や早朝に

何とか最後をお別れをして頂けるように可能な限り配慮しています。

状況は毎回違いますので、一概には言えませんが、感染対策を充分に

した上で時には屋外に柩を移動してでも最後のご対面を叶えるように

しています。

当事者にとって決して満足がいくお別れのカタチでは無いとは

思いますが、濃厚接触者としての待機中にすべての葬儀に関連する

ことが終わってしまわないようにという心配りが

この非常時には大切だと考えています。
























  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │お葬式の知識

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2022年01月10日

自宅で葬儀がじわりと増えてきています。

コロナ禍でのお葬式は従前のお葬式の形態から大きく変化して

しまいました。密を避けるという名目の下、弔問の意思のある方なら

誰でも参列の出来るお葬式が大きく減少し、親族も含めて会葬者を

何らかの制限をかけたお葬式が大半を占めるようになって

しまいました。

結果的にお葬式の規模がコンパクトになってしまっており、

お葬式を行う会場も大規模なところが人気が無くなりました。



「家消費」・「巣ごもり需要」という言葉もメディアが頻繁に

取り上げる昨今ではお葬式の会場も自宅を選ばれる方が

実はじわじわと増えているのです。

葬儀会館でのお葬式が人気になったのは、自宅の

キャパシティーを超えるお客様の対応をしなくて良いということや

手間いらずといった理由もあるのですが、「プライバシーの確保」と

いう観点から葬儀会館を選ばれる方は潜在的にも

顕在的にも多いのです。

自宅でのお葬式が増えてきた理由としてこれまではプライバシーを

気にしていた方々がコロナ禍でお葬式にお客様を呼ばないので、

自宅でお葬式をやっても構わないと思われる方が増えている

と思われます。

元来、入院生活が長い患者さんは特に自宅に帰りたいと思いながら

お亡くなりになるということも前提としてあり、ご遺族の感情としても

出来れば自宅に連れて帰りたいと願望があるのです。



今後はコロナ禍での一過性のブームなのか、トレンドなのかは

見極めて行かなければなりませんが、葬儀が小規模化していく

中では一定レベルは今後もご自宅で葬儀を希望されるお客様は

増えていくと考えています。









  

Posted by フューネ三浦 at 13:34 │お葬式の知識

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2021年12月20日

鉄板焼

鉄板焼と称される、ステーキや焼肉、お好み焼きや焼きそば

などは熱々のうちに食べることでさらに美味しさを味わうことが

できます。また小さな鉄板の上に提供されるナポリタンスパゲティーや

ハンバーグなどは、熱々の鉄板により、時間とともに味が変化して

いきそれを味わうことのできる楽しさを感じる料理となります。

反面、鉄板であるが故に美味しいものを頬張っている時はあまり

感じないのですが、衣服に臭いが付いてしまうというデメリットも

あります。焼肉屋さんやお好み焼屋さんに行くときはあまり

良い服を着ている時には入りにくいものです。



フューネではステーキハウス等で使用している鉄板を用意して

います。お亡くなりになられた方が好物であったお肉やお好み焼など

を熱々の鉄板の上にのせてお供えとして祭壇の前にご遺族の皆様の

手によって捧げます。

葬儀会館においてまさかの鉄板料理の提供かと思いますが、

お客様はとても喜んで頂けます。

そして、通夜、葬儀の間に鉄板にやけた美味しい匂いが式場内に

漂うことも。

匂いの管理という観点からは服に臭いが付いてしまう以上、時として

不適切なことかもしれませんが、熱々の鉄板料理が好きな方は

たくさんいらっしゃいます。

「熱いものは熱いうちに。冷たいものは冷たく」が

料理をお客様に提供するときの基本ですが、そのことをお葬式の

空間で実践をすることで人の心に感動を与えることもあるのです。

非常識というラインを超えることはいけませんが、常識・非常識の

壁のギリギリまで挑戦しなければ、お客様に感動を与えることは

難しいのです。

皆様からの鉄板焼のリクエストをお待ち申し上げております。














  

Posted by フューネ三浦 at 09:16 │お葬式の知識

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2021年12月10日

子を看取る

自分の子供が亡くなるという現実は親にとってとても受け入れがたい

ことです。特に幼い子供を失うことは耐え難い悲劇です。

ある日突然、事件や事故でお亡くなりなることは昨日までの元気な

姿からのあまりにも変わり果てた姿に只々、悲しみしかありません。

葬儀という仕事を通じて悲しみの現場に何度も立ち会ってきましたが、

あのなんともいえない重苦しい空気は決して慣れることの無い、

独特の緊張感が張り詰めているのです。



長い闘病生活の上に子供を看取るというケースもたくさん存在します。

白血病やガンなどで数年の闘病生活の上に死を迎えるケースや

10年、20年という長きに渡っての闘病生活の上で死を迎えるケース

も存在します。

事件や事故で突然に命を落とすことの衝撃がない代わりに、

子供の死を受け入れるという覚悟の上の死はどこか死を俯瞰的に

見ている親の姿が悲しみの中にあり、「看取る」という行為に

親の愛情がたっぷりと入っているという通常の死とはどこか違う

空気に支配されるのです。




子を亡くした親が放つ独特の空気感は参列する周りの人たちも

感じ、普段のお葬式ではあたり前の雑談や笑いも全く出ない状態

になるのです。だからこそ独特の緊張感が生まれ重苦しい空気に

なるのです。




子供にとって最大の親孝行は「親より先に死なないこと」。

このことは長年葬儀という仕事を通じて多くの「さかさごと」に

立ち会って気づいた絶対的な方程式です。

親を看取るのは元来子の役割であり、願わくば決して子を看取るという

ことにならないようにしたいのです。











  

Posted by フューネ三浦 at 13:43 │お葬式の知識

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2021年11月20日

サインとハンコ

公文書に押印が必要が無くなった書類がこの一年間に

数多くなりました。公的な機関の書類ももちろんですが、

民間の会社の書類もハンコを必要としないものが増え、

ハンコを押す手間は大きく減っています。

しかしながら、銀行から借り入れする時などの重要な契約においては

まだまだハンコを押印することは通常のことであり、ハンコの重要性は

かわりません。

お葬式を施行する為には役所に「死亡届」を提出しなければならず、

今のところハンコは必要です。

必要ではありますが実印ではなく認印で良いので誰でも判子さえ

作成すれば提出が可能です。ハンコが手元になくて大騒ぎをすることも

多々ありますが、近年ではハンコを作る機械も安価でありますので、

手元に無いときは作ることもあるのです。

ただ、この作業は確かに本人確認という観点から考えると全く

無駄であり、省略になっていくことは良いことだと思いますし、

まだまだハンコの押印を廃止して頂きたい書類は多々あります。




ハンコが無ければサインのみということになりますが、サインのみは

それはそれで不便なことがあります。

まずは代筆が不可能ということで高齢者や身体に不具合のある方

のなかで、自筆が難しいときはハンコの有難さを感じます。

しかしながら、サインは本人の意思をはっきりと示すことが

できるという点とハンコを持ち歩く必要が無いという点において

やはり便利だと思います。

時代とともに簡略化できることは賛成ですが、ハンコの文化が

全く無くなるのは淋しい気が致します。


  

Posted by フューネ三浦 at 12:28 │お葬式の知識

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