2022年09月20日

同居のほうが珍しい

お葬式のご依頼を頂く必ず確認しなければならないのはお亡くなりの方

の本籍地と現住所、そして喪主の現住所ならびに主要な関係者の皆様

の現住所です。結論を先に申し上げますと、

ほとんど現住所がバラバラです。

昨今の家庭事情は現住所がバラバラになっていることのほうが当たり前

であり、現住所が一致するほうが珍しいことです。

私が葬儀業界に入った約30年前には親と同居のケースは

結構ありましたが、本当に親と現住所が一致していることの希少性が

現在はあるのです。

長い間ずっと親と同居してきたという方でも晩年にいわゆる老人ホーム

に入居する時は現住所を施設の住所に移転をしなければならない

ルールがあるのでこのような場合も現住所がバラバラに

なってしまうのです。



かつては親戚の方も実家の近くに住む傾向にありましたが、

最近ではそのようなことも無く、住んでいる場所もバラバラです。

結果的に、葬儀会館を選ぶ時に誰の家から近いところで選ぶかと

いうこともバラバラです。

もっとも、自宅から近いという理由で葬儀会館を選ぶ必要が家族葬と

いうお葬式の形態が主流の現在ではあまり気にしなくていい選考基準と

なってしまっています。


そもそも、親戚はおろか家族さえも何かあった時に集まれなくなって

しまっている住居が増えており、そうした背景からお葬式が発生した

時は葬儀会館に病院から直接お入りにならなれることを選択する

お客様が今や大半を占めているのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 12:40 │お葬式の知識日々いろいろ

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2021年08月12日

スーツ

コロナ禍の中でスーツが売れないそうです。

よく考えてみれば、テレワークを推奨する世の中で、スーツを着て

出勤をする人も大きく減っていますし、テレビ会議などで人と

会わなければカジュアルすぎない程度の格好でも充分です。

そして、何よりも仕事後の飲み会やレクリエーションが無ければ、

スーツを汚したり、破れてしまうことすら激減してしまって

いるでしょう。

お葬式も家族葬や人数を制限したお葬式がコロナ禍での主流と

なっている現在、お葬式に参列する機会も多くの人が

激減をしており、喪服も略礼服も売れないのは当然の結果でしょう。




世の中がスーツを必要としなくなっていても、毎日スーツを着て

出勤することは葬儀社に勤める者としては宿命でしょうか。

沖縄県では暑さ対策でお葬式用の黒色のかりゆしウェアが

公式の服装として認められていますが、葬儀会館の中で

ほとんどの人がかりゆしウェアであっても葬儀社の社員は

全身ダークスーツを着ているのです。

また、クールビスが推進された時でもネクタイを手放すことが

出来なかったのが葬儀社の社員です。

年中、暑さ寒さも関係なくスーツを着用している以上、

やはり身体にあったもので快適に着用できるものに

こだわりたくなります。特に最近はストレッチの効いた伸縮性の

優れている生地をあり、オシャレと動きやすさの二面性の両方を

満たすことの出来るスーツが増えてきました。

そして、仕事で着るスーツにおいて一番重要なものはポケットです。

とかく、いわゆる7つ道具をスーツに入れますので、ポケットの

大きさやポケットの位置は非常に重要です。

冠婚葬祭において服装のマナーは非常に大切であり、お客様以上に

服装に気を使わなければならないのはその仕事に従事する

私たちなのです。


















  

Posted by フューネ三浦 at 08:30 │日々いろいろ

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2021年07月20日

法事(法要)を省略したいのですが。

お葬式を終えられたお客様からご相談を受けることの中に

法事のご相談はかなり多いのです。

おおよそ、葬儀と同じ日に行うことの多い初七日と言われる

法要から、二七日(ふたなのか) 、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)

五七日(=三十五日)(いつなのか)、六七日(むなのか)

七七日(=四十九日)(なななのか)(しじゅうくにち)

までの49日間の毎週の法要はまずはじめに行わなければならない

法要です。以前のブログでも書きましたが、法要一つ一つにはもちろん

重要な意味合いがあって、特に49日までの法要は閻魔大王の審判が

下り、来世の世界が決まる大事な法要です。

しかしながら、ご遺族の皆様の負担を考えると省略をしたいと

思われる方が大半を占めています。

現在、お寺様の中には忌明けと呼ばれる35日の法要もしくは49日の

法要以外の法要を最初から省いて行うことを提案される方も

いらっしゃいますが、宗教者としては省略は出来ないと頑なに

省略を認めないお寺様もいらっしゃるのです。




ところで、「法要」と「法事」の違いは何かというと「法要」とは

宗教に基づいた儀礼を指し、「法事」とは読経の後の食事を

含めた行事全般を指します。

2020年に起きたコロナ禍の時代に法要(法事)は多くの人が

不要不急の行事に分類し、多くの法要が中止になりました。

結果的にお寺様に限らず、我々葬祭業者・生花店・和菓子店などの

法要に関連する業者は売上が蒸発することになってしまいました。

改めて、法要の需要で売上が確保できていたことを認識させられる

ことになったのです。



不要不急と分類すれば、いくらでも省略することが解ってしまった

現代人はこれからはお寺様の意思に関係なく多くの人が遠慮なく

法要を省略されていくでしょう。

しかしながら、亡くなった人を弔うとという本来の法要の利点に

加えて、亡くなった人を「忘れないでいる」という法要本来の持つ

役割をだけは忘れないで法要を省略する決断をして頂きたいのです。




年忌法要と呼ばれる一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌

二十三回忌・ 二十七回忌・三十三回忌・三十七回忌・四十三回忌

四十七回忌・ 五十回忌・百回忌

すべてを行う方は全体の1%もいないのが現実ですが、どの法要を

省略するのかは自分自身です。

先程から申し上げている通り、法要を省略するということは供養する

その人の存在をこの世から消してしまうことに繋がっていきます。

くれぐれも「忘れない」程度の省略をすることを肝に銘じて頂けると

よろしいのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:33 │日々いろいろ

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2021年06月21日

非接触

コロナ禍の中で、感染予防の観点から「非接触」ということに注目が

集まりました。お買い物の際にコロナ禍以前ではレジにて金銭の授受も

店員さんの手に直接のやり取りをしていたのが、トレーの上での

やり取りに変わり、おつりも直接頂くことが少なくなり、

あくまでもトレーの上でのやり取りになってしまいました。

また、クレジットカードも以前は店員さんに直接にカードを渡していた

のが、カードリーダーに客は自身で通さなくてはならないと

いったことが多くなりました。

非接触にはなったことで何とも寂しさが残る、お買い物でのやりとりに

なってしまいました。



お葬式の現場でご遺族が以前よりも圧倒的に減ったのは

ご遺体への接触です。

これはコロナ禍以前より年々減っていたのですが、コロナ禍で加速して

しまいました。

そもそも、ご遺体を物質的に捉えるならば各種の雑菌の塊であり、

放置しておけばすぐに腐敗が始まってしまうということから決して

衛生管理の観点で言えば、接触することを推奨するような物質では

ないのですが、ご遺族にとっては物質としての「死体」ではなく

「ご遺体」であるということがとても重要なことなのです。

亡骸は「生きている人」と同様に扱うことは葬儀社の社員として

基本中の基本でありもしも「死体」として扱ったならば、死者に対する

冒涜に繋がるのです。

ですから、ご遺体を触ることはとても大切なことで衛星的には

褒められない行為かもしれませんが「素手」で触ることが基本でした。




コロナ禍でご遺体に限らず生きている人でさえ、素手ではなく

手袋をした手でしか触らないような各種の事例が多々ありますが、

コロナ禍が終焉しても「素手」で触ることそのものがいけないこと

であるという観念が残ってしまうことは十分に考えられることです。

非接触は間違いなく、人と人との距離を遠ざけてしまいます。

コロナ禍の今は仕方のないことかもしれませんが、コロナ禍が

終焉したら、「素手」で接触できる人間関係は多くの人と維持して

いきたいものです。

お葬式は元来、「素手」と「素手」を絡めあうことの出来る人々の

人間関係を感じる場であるのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:08 │日々いろいろ

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2021年06月10日

正座

お葬式の仕事をしていると職業柄、正座をすることが多くありました。

「ありました」と過去形の表現になっていますが、最近では本当に

正座をすることが激減しているのです。

通夜・葬儀をお寺や自宅で行う場合は畳の上に式典の間、

正座をしなければならない会場のレイアウトでしたが、近年は

葬儀会館がほとんどですから椅子席がスタンダードであり、

仮にお寺や自宅でお葬式を行っても今では畳の上に座椅子を置き

正座をしなくてよい設備が整っているケースが大半です。




お葬式の打ち合わせの時は一時間から2時間位、お客様のご自宅で

正座をしないといけないケースはまだまだありますが、リビングや

ダイニングを使わせて頂ければ、ソファーやダイニングテーブルにて

お葬式の打ち合わせをさせて頂くことが年々多くなり、本当に

正座をする機会が無くなっているのです。

おかげで若い頃は1時間位の正座は平気であったのが、

いまでは20分もすると限界で足の痺れに耐えなければ

ならなくなっています。

機会が少なくなれば当然足腰が弱くなるのは必然です。

我々葬儀社の社員に限らず、お寺様も今では椅子での

読経をすることが多くなり、正座が年々出来なくなっています。

同時にお客様も正座をするような葬儀会場は極力避けることが

普通になってきました。ライフスタイルの変化もあり、

日本人にとって正座は苦手な座り方になってしまっているはずです。



正座もさることながら、単純に長時間立っていることも苦手に

なってきています。

足腰が弱くなってしまうのも現代病でありますが、足腰が弱くなる

ことで生れてくるおもてなしの変化に対応していくことも、

葬儀社として重要なことになっています。





  

Posted by フューネ三浦 at 13:39 │日々いろいろ

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2021年05月10日

コロナ観の違いから

まだまだ、新型コロナウィルスの猛威が日常生活さえも

脅かしています。他の災害と違い終わりの見えないことと

世界中が被災地であり、疎開先の無いことが精神的にしんどい

ことにつながり、多くの人のストレスに繋がっているのです。

まだまだ長期戦を覚悟しなければならないと思います。

コロナ禍のなかで、露見したのは新型コロナウィルスに対する

価値感の違いです。いわゆる「コロナ観」が違うことで生まれる

争いが多々見受けられます。

特に家族間の間や親族間の間、そして世代の違いによって

新型コロナウィルスに対する恐怖感の違いによって、価値観が

それぞれ違うことで導く答えも違ってくるのです。



お葬式においても、コロナ観の違いによって様々な争いが起きて

います。親族の間で食べる食事を提供するか自粛するか。

一般の弔問客を呼ぶ呼ばないでの諍い。

家族葬で行なうにしてもどこまでの親族を呼ぶか呼ばないか。

火葬場に行く人の人数を制限させているが誰に行ってもらうか。

バスやタクシーの乗り合いもどうするか

この他にも様々な諍いが発生していますが、価値観の違いによって

生まれる齟齬をどうやって一つにまとめていくのかということが

正解が無いだけに難しいのです。

やっと導きだした答えによって親戚の皆様に訃報を通知しても、

コロナ禍をを理由に弔問を辞退される方や弔問をするが

食事を辞退される方に出会ってしまう現実に直面するのです。

非常事態下において平常時の常識が全く通用しないことは

頭では解っているのですが、現実に通用しない時に多くの人が

憤慨とストレスを感じるのです。


コロナ観の違いで生まれる争いを出来るだけ避けることができる

ように多くの人の心に余裕が生まれる世の中に早くなって貰い

たいものです。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │日々いろいろ

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2021年04月20日

制服

会社内で制服を着ることはその組織に属していることを

一目で表すことが出来、お客様に統制の取れていることを

PRすることのできる、とても便利な服装です。

同時に制服は憧れを抱く対象物であり、男子は警察や消防・

自衛隊の制服に憧れる人々も多く、

女子はCA(キャビンアテンダント)さんやレストランのウエイトレス

などのかわいい制服に憧れることがあります。

また、同じ組織でも階級や職種によって制服を変えることで制服が

組織に所属する人にとってステータスになり、やる気やスキルアップを

促す効果もあります。

フューネでも制服は職種や役職、有資格者かどうかということであえて

制服を変えています。

一定レベルに達しないと着ることの出来ない制服はフューネの従業員に

とって目標であり、憧れにもなっているのです。

最も、お客様には気づいて貰えない自己満足かもしれませんが、

制服を着ることの意味をしっかりと理解してこれからもフューネの

従業員として誇りの持てる制服を着させて業務にあたるように

していきます。




昨今では経費削減、個性尊重の名目の下に、制服を廃止する企業が

増えています。私にとってもとても残念なことだと思いますが、

かつて中学校や高校で着用していた制服に思い入れがあるように

フューネの社員がフューネを卒業してもフューネの制服に思いを馳せる

ような誇りと伝統と品格を兼ね備えた制服を今後も維持をしていきたい

と思っています。








  

2021年02月10日

病院の逼迫を感じます。

まだまだ先の見通しが立たないコロナ禍の現状で、メディアが報じる

「医療崩壊」という言葉はいささか言葉が過激なように感じますが、

愛知県内の病院において、何とか医療が持ちこたえているのは

多くの皆様の協力があってのことだと思います。本来行われるべき

手術を先送りにしたり、入院できずに自宅療養を強いられている方も

いらっしゃり、当事者の皆様は不安を抱えながら一日一日を過ごして

いるからこそ医療崩壊を免れているのです。

葬儀社という立場は各種の医療機関と密接に関わる仕事です。

葬儀社の立場から見ていても医療現場は今は全く余裕がなく、逼迫を

していることが明らかです。

例えば、お亡くなりになられてから、通常では2時間以内に清拭を終え

霊安室に運ばれ、霊柩車にご遺体を乗せて病院から出発できるという

通常時のリードタイムが大幅に遅れることがしばしばあります。

看護師さんの手が回ってないことが明らかで場合によっては6時間

以上もご遺族の方が病院で待たされることも起きているのです。

また、急患で運ばれてきた患者さんがお亡くなりになられた場合では

新型コロナウィルスに感染しているかどうかの検査を死後にしなくては

ならないので医療関係者の皆様にとっても平常時以上の手間がかかって

おり、結果的に遅れることが多発しているのです。

最近では、通常ではありえないような距離の離れた病院からのご遺体の

搬送の依頼も多くなっています。地元の病院の受け入れが出来ず

やむなく、自宅からずいぶん離れた医療機関への入院を余儀なくされて

いるケースも葬儀社という立場から見えてしまうのです。




間違いなく逼迫している医療機関が少しでも緩和されるように、また

間違っても医療崩壊ということにならないようにする為には緊急事態

宣言の発出ということはやむを得ないと思わずにはいられない現実が

まだまだ続いているのです。














  

Posted by フューネ三浦 at 08:31 │お葬式の知識日々いろいろ

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2020年10月13日

供養のこころはあるのですが。

先日、ある禅宗系のご住職様とお話ししていた時に

「両鉢のお葬式は今年は一回だけだよ」

とお嘆きの言葉を頂きました。

「両鉢」とは禅宗系の宗派でのお葬式におけるお寺様の

フォーメーションのことで導師さまの左右に「鉢・印金・太鼓」の

鳴り物と呼ばれる仏教で使用する楽器を持った役僧さんを1対で

並べる陣容であり、この場合は導師を含めて7名の僧侶でお葬式で

読経をします。ちなみに「片鉢」と呼ばれるのは両方では無く片方のみ

のフォーメーションになり、この場合お寺様は4名です。

お寺様の人数が多いということは、読経においても見た目においても

迫力が増し、葬送儀礼を荘厳にします。



葬儀の簡素化という名目の下、お寺さまのお布施の事情も大変に

厳しくなっています。

結果的にお葬式に出仕するお寺様の人数が減っているのです。

一般のお客様はお寺様の人数が減ればお布施が安くなると思って

いらっしゃるのですが、それは事実ではありますが、

真実ではありません。

近年の葬儀代のお布施の目安として、お寺様〇名でいくらという

指標をいわゆる相場として使ってきた弊害ともいえます。

しかしながら、本来のそのお寺の檀家ならば、お寺様に〇名でいくら

ということでお布施の額を決めることは間違いです。

なぜならば、お布施は供養のこころで決めるべきだからです。

元来はその家の経済状況によって出せるだけの金額をお包みして、

寺院に寄進するのがお布施です。

ですから、お寺さまの人数に関係なく依頼をする人が思う

「供養のこころ」の対価をお支払いすればよいのですが、

現実はそのようにはなっていません。

お寺様を7人でも4人でも1人でも供養のこころが同じならば、

お布施は同額が正しいのですが、そうならないからこそ、

日本中の寺院様が現代社会において収入減となっているのです。















  

Posted by フューネ三浦 at 09:16 │日々いろいろ

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2020年06月21日

減りゆく花の消費

冠婚葬祭業にとって新型コロナウィルスの影響は甚大です。

特に結婚式は多くの方をお招きし、長時間、お酒の席が続くこと状態で

あり、三密が避けられないことに加えて、葬儀と比べれば不要不急では

ないことからほとんどの挙式の予約がキャンセルになってしまう

事態です。結婚式に限らず、お祝いの行事は軒並み中止もしくは

延期となっています。



冠婚葬祭において生花は切っても切れないアイテムであり、会場の装飾

という役割だけでなく、想いを伝える「カタチ」として無くては

ならないものです。

しかしながら、各種のお祝いの行事が激減していることから、

需要も激減であり、多くのお花が市場に出荷されずに生産者が

廃棄をするという事態であり、生産者・卸・小売りとも大変な打撃を

受けています。

では葬儀はどうなのかというと、昨今では日本のお花の消費の

約4割が葬儀というほど、葬儀におけるお花の消費の割合は

増えていました。

しかし、割合が増えているだけで葬儀におけるお花の消費は昔より

減っています。家族葬に代表される葬儀の小規模の化の波をまともに

受けているからなのです。

そのような現況に加えて新型コロナウィルスの影響でますます、

小規模化してしまい葬儀のお花の需要は急激に細くなって

しまったのです。



花は人の心に癒しや潤いを与えてくれます。

日常生活の空間において、無いより絶対にあったほうが良いものです。

必要なものなのに、重要が減って生産者や卸・小売り店の経営が

大変厳しくなっていることは冠婚葬祭業に携わるものとして

見過ごせない事態です。

コロナ禍の悪影響の無い業種は無いというくらいの現況ですが、

何とか守っていきたい業種なのです。




  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │日々いろいろ

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2020年02月27日

接客業とマスク

新型コロナウィルスの対策として、多くの人々がマスクを着用する

光景は、平時の時の常識では異様に見えるのですが、マスクを

着用しなければ、鉄道やバスの乗車拒否・入店拒否を中国でして

いる現況では「マスクを着用する」ことが常識なのでしょう。



しかしながら、接客業では長年マスクを着用して接客することは

タブーと言われてきました。多少発熱があっても、咳が出来ても

マスクを着用することは認められませんでしたが、今回の新型

コロナウィルスの蔓延では、これまでに「マスク着用」は原則

あり得なかったホテルや百貨店もも従業員にマスクを着用を

解禁しました。

マスクを着用して接客するということはまずは声がこもって

効きにくいということ、そして接客するときに笑顔でのサービスが

できないことが着用しない理由の大きな要因です。

加えて言えば、マスクを着用するということは自分自身をお客様

の前でさらけ出していないということになりお客様が不快に思う

原因となるのです。




葬儀の現場でもこれまではマスクの着用は基本的NGでした。

接客サービス業であるということが一番の理由です。

また、葬儀社の担いとして、時には腐乱状態のとんでもなく

悪臭を放つご遺体を処置するときもマスクを着用することを

許されなった時代もあるのですが、逆にこれからは公衆衛生の

観点からNGになっていくと思います。

「接客業はマスクをしてはならない」

という常識がこれからは変化していくでしょう。








  

Posted by フューネ三浦 at 10:17 │日々いろいろ

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2020年02月03日

新型コロナウィルスの裏で

中国、武漢から発生した新型コロナウィルスの猛威が世界中の人々を

恐怖に落としいれています。

罹患しても、完全に治す方法が解らないということは本当に恐ろしい

ことです。不安と恐怖の違いは対象物が見えるか見えないかと

いうことです。

ここでは治療法が解れば「不安」に変わりますが、現状のままでは

治療法が解っていないので「恐怖」となります。

「恐怖」から「不安」に、そして「安心」を一刻も早く全世界の人々に

提供をして頂きたいものです。



さて、連日報道される新型コロナウィルスの感染者の増大や死亡者の

増大を見ているとそればかりに意識が偏ってしまうのですが、私たちが

生活をしている日常では毎日、多くの方が様々な理由でお亡くなりに

なられています。

特にこの時期はインフルエンザから症状が重篤し、お亡くなりに

なられるというようなケースもあり、注意が必要です。

実際にインフルエンザで毎年日本で約1万人の方が亡くなっています。

連日報道されている武漢市でも新型コロナウィルス以外の原因で

お亡くなりになられる方が毎日多くいるはずですが、お葬式も

ウィルスを警戒して満足に出来ていないということです。

人間にはひとりひとり尊厳があり、その尊厳を守ることが人格を

認めることに繋がりますが、お葬式は人間の尊厳を守る為には絶対に

必要なものです。虫などの動物が死ぬのと人の死は同列に扱うことは

絶対にできないのです。

尊厳の無い葬儀が行われてしまう現況は非常事態です。

尊厳のあるお葬式が出来るということは言い換えれば平和であるとも

いえるのです。

一刻も早く平穏な日々になることを願ってやみません。




  

Posted by フューネ三浦 at 09:31 │お葬式の知識日々いろいろ

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2019年12月18日

助かる命と助からない命



12月18日付中日新聞豊田板に9月30日フューネの紫雲閣で

心肺停止した男性を救助したということで、弊社社員斉藤と

偶然現場に居合わせた弔問のお客様の2名が豊田消防署から

感謝状を授与された様子が記事として掲載されました。

式場の警備をしていた男性でしたので、弊社が手配した協力会社の

社員さんでしたが、心肺停止状態から蘇生して社会復帰されるまで

回復したことは本当によかったです。

「九死に一生を得る」ということはこのようなことだと思うのですが、

たまたま居合わせた3人の連携はプロの救急隊からも完璧な処置と

言われたほどでした。

倒れた場所が少しでも違ったら、この方はもうこの世にはいないという

結果であったと思うのです。




実は私もこの時に通夜の会場にいたのです。

この日の通夜の喪主は弊社の社員。

交通事故で5歳の息子さんが亡くなるというとても言葉にならない

悲しいお通夜でした。

この悲しいお通夜にとても多くの人が集まっていました。

今回表彰された女性のお二人もこども園勤務の看護師さんと亡くなった

5歳の同級生のお母さんでした。

私が外で倒れた人がいることに気づいたのは救急車のサイレンが

聞こえた時でした。

この日は助かる命と助からない命の表裏一体の2つ事象に自分自身の

心がついていかない一日となりました。



とはいえ、急病人が発生した時の弊社社員の的確な行動は社長として

とても誇りに思います。

助かる命を助けていくことは「命の大切さ」を伝える重要な葬儀社と

しての使命です。


  

Posted by フューネ三浦 at 09:47 │日々いろいろ

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2019年11月15日

最高の人生の見つけ方



先日、吉永小百合と天海祐希の主演の映画「最高の人生の見つけ方」を

観てきました。


最高の人生の見つけ方公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/saikonojinsei/



この映画は2007年から公開され世界中で大ヒットした同名ハリウッド

映画を原案に、日本映画としてリメイクしたものです。

末期がんの主役の二人が死ぬまでにやりたいことリストを基に

様々なことにチャレンジするストーリーとなっています。

2007年のハリウッド映画はジャック・ニコルソンと

モーガン・フリーマンが共演した同名映画も私は観ましたが、

「死ぬまでにやりたいことリスト」を

「バケットリスト」と言い、日本語に訳すと「棺おけリスト」

と呼ばれるのです。

人生は終わりよければすべて良しというところがあり、

人生の前半に苦労することと人生の後半に苦労することを比べれば

圧倒的に人生の前半の苦労の方が幸福度は増すという統計も

あるのです。


自分自身の生き方、そして死に方を考えるにはとても意味のある

映画であり、オススメです。


今回主役の吉永小百合さんももクロのライブの映像や

ウエディングドレス姿はとても美しく魅力的でした。

ファンの方にはたまらない一作だと思います。






  

Posted by フューネ三浦 at 14:54 │お葬式の知識日々いろいろ

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2019年08月29日

ドアラ様来店で発売開始

フューネが運営する現代仏壇店

「ギャラリーメモリアイオンモールナゴヤドーム前店」

にドアラ様がご来店頂きました。

店内はドアラ見たさに人・人・人。

瞬間的ではありましたが、オープン以来最高のご来店客数でした。





フューネのキャラクター「ジーンパパ」とも初コラボ。

今回、ドラゴンズグッズとして

日本初中日ドラゴンズ公認「ご遺骨ペンダント」を

イオンモールナゴヤドーム前店のみで限定販売を

することになりました。

このご遺骨ペンダントが購入できるお店は日本でここだけ。





生前ドラゴンズ愛でいっぱいだった大切な人と野球観戦に行ける

ペンダントです。

是非、興味のある方はイオンモールナゴヤドーム前店の

ギャラリーメモリアに足を運んでみてください。

ご来店をお待ちしています。





  

Posted by フューネ三浦 at 12:21 │日々いろいろ

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2019年08月10日

沈黙

戦後最悪と言われる日本と韓国の関係は修復できる可能性は

あるのでしょうか。

「約束」を守るという行為の上で成り立っている信頼関係は

約束を守らなくなった瞬間にすべてのことがうまくいかなくなる

ということの戒めです。

日韓の様々な交渉の中で「沈黙」という行為がしばしば

見受けられます。

「沈黙」には様々な意味合いがありますが、日韓交渉の場面では

「無視」という意味合いが多いのではないしょうか。

日本には「沈黙は金なり」という格言があり、一般的には、

「時には優れた弁論や弁解よりも、黙っていることの方が

大切である」という意味で使われています。

沈黙には余計なことをしゃべらないという危険防止効果だけではなく、

相手の出方を待つという「余裕」をコチラ側に味方に付けるという

効果もあるのです。



葬儀の現場では「沈黙」はとても重要なことです。

どんなにお悔みの言葉を並べるよりも「沈黙」という行為で言葉以上の

弔意が伝わります。

悲しみにくれる人々の前で余計なことを言うことは絶対的な

タブーです。

言葉というものは一見するととても便利な情報伝達のツールですが、

同時に相手を攻撃して傷つけてしまう危険な刃です。

「沈黙」を上手に使うことで、自分自身の想いを相手に正しく伝えたい

ものですね。

  

Posted by フューネ三浦 at 13:32 │日々いろいろ

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2019年04月29日

「命」の大切さを伝えること。

葬儀の仕事はお客様の人生の終わりをいかにして表現をする仕事と

言っても間違いないのですが、このことに囚われていると本当に大切な

本質を見失うことに繋がります。

本質的には「命の終わり」の現実であり、「命」が終わることは本人は

もちろんのこと、その人を知る関係者にとって悲しい現実なのです。



葬儀の現場では100歳を超えてお亡くなりになられるいわゆる大往生

と呼ばれる長寿の命を全うされた方から、この世に生を受けた日が

命日という赤ちゃんまで様々です。

単に時間の短い長いを議論していても命の価値は正しく図ることは

できませんが、100歳超えた方でももっと生きたいという願望は

ほとんどの方が持っており、「100歳だから大往生で良かった」という

自分の感じた価値観は絶対に口にすることはタブーなのです。



葬儀という仕事に従事している人が「命の大切さ」を疎かにすることは

不適格です。もしもそのような人は葬儀業界から退場をして

頂かなければなりません。

アメリカでは葬儀の仕事に従事するには国家資格を取得する

必要があります。命を扱う以上、一定レベル以上の命に対する知識と

技術が必要なのです。



自らの意思で命を絶つ方々は残念ながら、後を絶ちません。

むしろ増加傾向にあるのが悲しい現実です。

命を絶つ決断をした方は冷静さを失っているとはいえ、命の大切さを

忘れてしまっていることも事実です。

「死んでもいい」と思えるくらいな辛いことも悲しいことも起きるのも

この世の現実ですが、それでも生きていくことは神様から与えられた

使命であることは間違いのない事実です。



封建時代は「死んでお詫びをすること」が一つの美学であった

時代です。現代でも重大な犯罪を犯した人が死刑という刑罰を受けて

「死」を強制させられますが、死は償いの行為であることは様々な方が

疑問を呈しています。

どんな極悪な犯罪をした人でも親から貰った命を限りある限り

生きて償うことが、「命の大切さ」を語る時にとても賛否の分かれる

難しい問題です。

そのようなことを含めて忙しい日々を送っていく我々が「命の大切さ」

を考えることは豊かな人生を送る為にはとても重要な事柄です。
















  

Posted by フューネ三浦 at 09:15 │日々いろいろ

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2019年04月10日

平成時代に普及した葬儀会館

いよいよ、4月30日で平成の世も終わり、「令和」という新しい時代

を迎えます。平成時代の30年間は近代の日本において唯一、

戦乱に直接巻き込まれなかった時代であり、戦争の無い時代と

いういうのは文化レベルが発達すると共に豊かさを享受できる時代で

あったはずです。

平成時代に普及したものはたくさんありますが、大きなところでは

電話とカメラでしょうか。持ち運びが出来て映像も画像もストレスなく

受送信できる現在の世情は平成の初期には考えられないことです。

技術の進化はAIや決済も現金を必要としない世の中になる令和の時代

を予見していますが、そのインフラを構築できたのは平成の世で

あったはずです。



さて、葬儀の業界も平成の時代に革命的な変革がありました。

それは「葬儀会館で葬儀を行う」という文化が確立したことです。

弊社の一号店である葬儀会館「葬場殿」が誕生したのは

平成5年のことで豊田市では他社に先駆けて初でしたし、

愛知県内でもかなり初期のことでした。

葬儀会館ができた一年目、葬儀会館のシェア率はわずか3%で

多くの方から「ミウラさんがあんなもの作ったけど、葬儀は自宅

やお寺でやるに決まっとる。潰れれるで」

というお言葉を頂きました。

当時は自宅や寺院でお葬儀をすることが常識であり、民間の会社が

葬儀の専用会館を作る意味が残念ながらお客様には浸透

をしなかったのです。

平成の時代が終わる現代では葬儀会館での葬儀のシェア率はフューネの

場合は98%でいかに普及をしたかは説明するまでもありません。

しかしながら、「お葬式は葬儀会館でするもの」という現代の常識は

昭和の時代には全くなかったということはご理解頂きたいのです。

つまり、葬儀の歴史において「葬儀会館」は平成の時代の象徴的な

ものになのです。



令和という新しい時代には葬儀のあり方も平成の時代に生まれた常識が

覆されそうな予見が表われはじめています。

時代の変化から生まれる新しい常識にフューネという会社は絶えず

チャレンジしていきたものです。








  

Posted by フューネ三浦 at 13:17 │お葬式の知識日々いろいろ

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2018年11月21日

空き家と葬儀

最近、ニュースでしばしば取り上げられている「空き家問題」は

過疎の町でも大都会でも関係なく日本中で起きている問題でしょう。

刑務所や警察から逃亡した犯人の潜伏先も空き家であるし、

空き家があることによって起きる犯罪もあり、また災害時に

建物が倒壊するリスクも高いのです。加えて放火との被害にも

遭いやすいということで「空き家」というものはなかなかやっかいな

ものでしょう。




葬儀が終わった喪主様からご相談頂くことが多くなったのは

誰も住む人がいなくなってしまった家の処分の相談です。

身内の死を境に「空き家」となった家をどうすすのかという悩みは

なかなか切ないものなのです。

なぜならば、その家は実家であり、子供の頃に住んでいた想い出の

いっぱい詰まった場所であるからなのです。

だからと言って、住むことの出来ない家は「空き家」と

なっていくのです。




身内の死以前にも「空き家」となることが多くあります。

老人ホームに入所したり、子供の家に引っ越ししたりしたタイミングで

誰も住むことが無くなってしまった状態になってしまった家が日本中に

存在するのです。

こうした空き家問題を対策する方法は一つだけ。

生前に整理をすることだけです。

空き家になった瞬間もしくはその直前に売却をしなければ、空き家の

状態が続きやがて廃墟になり、誰も買い手はつかなくなり、壊すには

高額な費用がかかり、結果的に放置という状態になってしまうのです。



核家族社会では、住居も一世代で一つであり、親の家を子供が継承する

ケースが少なくなってきています。

これからのお葬式には「空き家問題」の対応も求められる時代に

なっているのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 08:31 │日々いろいろ

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2018年08月24日

同居のほうが珍しい

「核家族」という言葉が誕生して随分な年月が経っていますが、

最近は親と同居をしているという方は本当に少なくなりました。

長年、同居はしていても、お亡くなりなる数年前から施設に入っている

という方も含めれば、親と同居をしている方を探すと10%も満たない

くらいの確率でしょう。

夫婦のカタチも単身赴任をしている方も含めて別居をしている方が

年々多くなり、「核家族」という単位よりも「個」が優先される時代と

なっており、一つ屋根の下に集うという日本的家族の姿はなかなか

希少なものになりつつあるのです。



お葬式は一見するとバラバラな家族を結集する力があります。

どこまでを家族と定義するかよってそこに集う人々は違ってしまい

ますが、家族の有難さを実感できるのも葬儀というもの醍醐味です。

そのことはこれまでに何度もこのブログで指摘をさせて頂いて

いますが、「仏縁」と呼ばれる縁であり、その縁がお正月やお盆に

家族で集まるきっかけを私たちに与えてくれるのです。



家族葬の形式が多くなっているのも、普段がバラバラな家族の大切な

時間を一般の弔問客への応対で損なわれることが嫌だという

ニーズがあるからなのです。

前述の通り、「家族」の範囲をどこまでかということを考えることが

家族葬の成功の秘訣なのです。

家族のという「絆」を再確認することができるのもお葬式の大切な

役目なのです。











  

Posted by フューネ三浦 at 09:51 │日々いろいろ終活の教科書

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