2015年12月01日

厭離穢土・欣求浄土

今年、徳川家康公徳川家康公がお亡くなりなられてから400年目という

節目の年です。徳川家康が生まれた岡崎市をはじめ、ゆかりのある

浜松市や静岡市も「家康公四百年祭」と称して各種行事を

開催していますが、徳川家康のご先祖発祥の地である豊田市も

商工会議所が中心になって官民一体で「家康公四百年祭」の

各種行事を開催しています。

徳川家康の旗印はご存じ葵のご紋ですが、馬印は

厭離穢土・欣求浄土 おんりえど・ごんぐじょうど」

という言葉を用いていました。

これは桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へ

と逃げ隠れた時、これからの行く末を悲観した家康は松平家の墓前で

自害を試みるが、13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、

切腹を思いとどまらせたと言われています。

言葉の意味は戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをして

いるから、国土が穢れきっている。

その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、

必ず仏の加護を得て事を成すということです。




徳川家康が馬印に使ったこの言葉は歴史上でも大変有名に

なりましたが、そもそも仏教用語であり、浄土教の用語なのです。

この娑婆世界を「穢れた国土」として、それを厭い離れるという意味

であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、

そこへの往生を切望するという意味です。

穢れたこの世からきれいなあの世に行きたいという極楽浄土への

憧れを促す言葉であり、多くの人が自分の死後の平安を願って

浄土教の教えに共感をしたのです。




このことが書いてある書物が源信というお坊さんが書いた

『往生要集』(985年)という書物です。

往生要集という書物は仏教においてとても重要な書物です。

なぜならば、あの世への行き方が明文化された唯一の書物であり、

阿弥陀如来様が支配する浄土にいくには

「南無阿弥陀仏」と唱えること

と言う基本理念を持った浄土宗、そしてさらに進化した浄土真宗

という宗派が生まれて行ったのです。


死の向こうにある世界観が各種宗教であると行っても過言ではない

くらい死後の世界観を表現するのはとても大切なことであり、

理想を求めることが前向きに生きることの活力に繋がっていくのです。




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