「死」が軽くなる
最近のお葬儀事情を見ていると「死」というものが以前と比べると
随分軽くなってしまったように思うのです。
家族葬というものはお亡くなりの方をはじめ、ご遺族の皆様の
「社会的な繋がりを断ち切って行うお葬式」とも言い換えることが
できますが、社会的なお別れの場を提供するという使命は果たす
ことができません。
同時に宗教者も大人数を呼ぶことが少なりなり、葬儀の式典に
荘厳さが無い式典が増えていることは間違いの無い事実です。
そしてご親戚の皆様も以前ならば、孫やひ孫まで参列した
お葬式でしたが、現在では中々親族大集合というケースが
希少な存在になりました。
人は生まれて来る時も死んでいく時もひとりです。
孤独なのです。この孤独感を少しでも和らげることがとても大切な
ことで、古来より私たちのご先祖様が大切にしてきた人の繋がりで
あり、「絆」という言葉に置き換えても良いでしょう。
人と人が結び合っている「絆」が見えないお葬式はどうしても
軽く見えてしまうのです。
私は人の命がこの世から消える死は重いものだと認識をしています。
おそらく多くの方々が人の命は重いものだと認識しているはずですが、
それを表現する葬送の儀礼式の省略化は思っていることと実際に
やっていることの乖離を感じてしまい人一人の死が軽く見えて
しまうのです。
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