一つのお葬式に関わる人々というのは本当に多くの人がいます。
関係者を区分すると喪主、遺族、親族、会社関係、所属する諸団体、
町内、友人といった感じです。
関係者にとって様々な考えあり、思惑があり、その人にとって葬儀の
進行上、意向とは違うことは毎回のことです。
結果として我々葬儀社に対して「こうしてほしい」「ああしてほしい」
という要望をこの関係者達が直接言ってこられます。
大局に影響しないことならば、すぐにリクエストをお受けできますが、
この意見を取り入れてしまうという事に対し、やんわりと拒否すること
が出来る魔法の言葉があります。それは
「喪主様の意向でございます。」
この一言の前には批判的なご意見に対しても叶わないのです。
もっとも私たち葬儀社も何でもかんでもこの言葉が使える訳でもなく
あくまでも喪主様のご意向を伺って、ご意向に沿っていないことに
対して喪主様に代り使うことができるのです。
現在のお葬式では喪主様の意向が通用するお葬式が圧倒的に
多いのですが、ひと昔前には喪主の意向は通用ほとんど通用しません
でした。隣近所はじめ町内の方は葬儀委員長になり、お葬式を取り
仕切り喪主の意向よりも葬儀委員長の意向の方が優先されるのが
一般的なお葬式でした。今でも社葬・お別れの会などは喪主の意向
よりも実行委員長の意向が優先されます。
都市部を中心に家族葬が持てはやされているのは、町内の方の
葬儀の参画が無くなったというよりは、参画を阻止したことのほうが
強いのです。家族葬が多くなっていけば行くほど、喪主の意向は強く
なりました。その代り、何でも喪主が決断しなければならなくなって
きたのです。近年の喪主とはある意味、悲しみに暮れる時間が持てなく
なっています。そして、意向が強くなると喪主の判断が間違っている
場合でも誰も止めることが出来なくなってしまっているのです。
判断を間違えれば必ず失敗します。失敗しないお葬式をしない為には
プロの意見や関係者の皆様の意見に耳を傾けるだけの喪主さまの
度量は必要なのです。