大手のスーパーマーケットの台頭により、今ではすっかり少なくなった
いわゆる町の八百屋さんというものが無くなっています。
もっとも、地方都市を中心として駅前はシャッター通りになっているところも
多数あります。
八百屋さんに限らず、いわゆる町の葬儀社さんという存在も今ではすっかり
少数派になっているのです。
町の葬儀屋さんには近所に住む人の「もしも・・・」の時に対応してくれる
安心感を併せ持つ存在価値があるのです。
お葬式が発生すると商店街で必要な物品を調達しているのも町の葬儀屋さん
の特徴です。
お花は生花店で。篭盛は果物屋さんで。貸衣装は呉服店で。
貸布団は布団屋さんで。料理は和食店やお寿司屋さんで。
お酒は酒屋さんが持ってきてくれます。
つまり、町の葬儀屋さんにお葬式の依頼が入ると商店街の各店が
一斉に潤うという効用がありました。
しかし、商店街から八百屋さんが無くなって行ったように町の葬儀屋さんの
存在も少数になっています。仮に存在したとしても、地元の商店街で
必要な物品を手配することが少なくなっています。
ある程度の規模の葬儀社になるとコストを削減するために仕入れコストの
安い仕入れ先とお付き合いをしていきますし、自社で内製化を模索して
いきます。
結果的に地域の企業や商店に落ちるお金が少なくなっていくのです。
フューネにおいても事情は前述の通りであるのですが、仕入先としては
可能な限り地元の企業を使うようにしています。
市外の仕入れ先よりも1割・2割高い値段が高い仕入れ先もありますが、
地元の企業から仕入れることもあります。
なぜならば、フューネのお客様は90%が豊田市・みよし市にお住まいの
お客様です。すなわち、地元の皆さまの支えがあってはじめて企業として
成り立っているのです。
コストカットも企業としてとても大切なことですが、地元を大切にしない
葬儀社の存在はただ、本質を忘れて暴走しているだけなのです。
葬儀屋さんは商店街とともに発展してきた歴史は忘れてはいけない
教訓です。