自殺の悲しみ

フューネ三浦

2013年01月21日 09:03

大阪市で体罰が原因で高校生が亡くなったニュースは衝撃的でした。

教師が生徒に対する体罰は法律で禁止されているのにも関わらず、

実際の教育の現場において常体化しているという事実とスポーツの

強豪校において「愛のムチ」と名目で行われる体罰は強くなる為には

「必要なこと」だという認識をお持ちの方は多かったのではないかと思います。

今回の死で改めて考えさせられたことはその人にとって絶対的に

権力を持った人から受ける暴力は逃げることが出来ず、今回のように

死を選んでしまうということが起こり得るのだということです。





私が駆け出しの頃の体験です。

あるお客様から葬儀のご依頼がありました。

それも父と母の2人を失った息子さんからのお電話でした。

はじめは交通事故かなと思い確認してみると、どうやら自殺をされた

とのことでした。

しかも、自殺の場所は自宅から50km離れた三重県のとある町でした。

私は三重県の管轄の警察署まで霊柩車2台と共にお迎えに行きました。

警察署の霊安室では突然の変わり果てた両親の姿に呆然としている

子供さんが3人いました。

しかも、当時の私は22歳。そして喪主を務められた長男さんも22歳

だったのです。

このケースに限らず同世代の方が喪主を務められるお葬式はどうしても

自分のことのように感情移入してしまいがちですがその時は本当に

自分の親が自殺をしたような気持ちになりました。

実は自殺をした場所はある自宅の玄関でした。

その家は自殺した2人を土地の件で騙していた加害者の家

だというのです。おそらく、騙されて土地を取り上げられた2人が

大きな借金を抱えくやしくて死を決断した時考えたせめての抵抗でしょう。

なんともいえない死に方でした。

亡くなった2人にとって加害者は絶対的に権力を持った人であり、

詐欺という暴力を受けたのです。




残された子供にとってはどんなことがあっても生きていて欲しかった

はずです。そして今回、体罰を受けた両親も同じ気持ちなはずです。

自殺の悲しみは自殺を選んだ人も残された人にも多くのしかかるのです。


















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