最近の家庭事情では特定の宗教を持たない無宗教の方や、先祖代々は
お寺と付き合ってきたが、特定の寺院とのお付き合いが全くない方は
少なくともフューネにお葬式をご依頼を頂くお客様全体の
約2割の方が
該当します。
その方々にとって、目の前にいざお葬式が発生するとほとんどの場合
無宗教葬を選択するか、私たちがご紹介する寺院にお葬式の執行を
お願いすることになります。
ひと昔前ならばその行為をもってその
お寺の「檀家」になると
いうことでしたが、今はお寺さまをお葬式にご紹介したからといって
檀家になるということとはイコールにならなくなりました。
つまり、お葬式一回いくらだけのお付き合いを望まれるお客様が
圧倒的に多いのです。
しかしながら、本来お寺さまがお葬式を執行するということはそのお寺の檀家に
対して導師となり、宗教儀礼をもってお葬式を執行する訳ですので、
お寺さまの立場からすれば、お客様が「檀家にならない」と
いう選択はないのです。
このような考え方の相違により、私たち葬儀社はしばしお客様とお寺様と
板ばさみになってしまうことになります。
ところで、
「檀家になる」ということはどういうことでしょうか。
江戸時代初期に定められた
「宗門檀那請合之掟 (しゅうもんだんなうけあいのおきて)」
によると以下の4つになります。
①4月8日の釈迦の降誕会、12月8日の成道会、2月15日の涅槃会、各宗開祖の命日、お盆、春秋の彼岸、先祖の命日には必ず寺院に出向いてお参りすること。
②説教や仏法を説く寺院の集会に参加すること
③寺院の建物の建立や修理に協力すること
④葬儀は寺院に必ずお願いすること
つまり、この4つの約束事を守ることが「檀家になる」ということなのです。
もちろん、先祖代々のこの約束事を守ってお寺と密接に関わっている方には
何も問題はないのですが、おそらく仏教徒とだといわれる多くの現代の
日本人は私も含めてこの約束事が出来ていないのです。
この結果、お寺さまとの距離間が生じ
「お寺離れ」が生まれたのです。
ちなみに江戸時代の日本人はこの約束事は
国民の義務でした。
つまり、守らないということは重大な犯罪者として重き罰を受けたのです。
くわしくは2009年8月20日付ブログ記事
「寺請制度」で
説明しています。
ご覧下さい→
http://fune.boo-log.com/e60836.html
現代の檀家の約束事は場合によっては金銭で処理するケースやもはや
約束事すらお寺様が要求しないことが多々あります。
このこと自体は賛否両論があり、簡単な問題ではないのですが、
少なくともこの檀家の約束事の煩わしさがお寺さまの生活を脅かしている
ことだけは事実です。