遠慮

フューネ三浦

2013年08月06日 09:08

遠慮とは辞書を調べると

「人に対して、言葉や行動を慎み控えること」

とあります。自分が思っていることを実行しないで慎み控える行為は

通常の人間関係の中では至極「あたりまえ」の行為であり、これが

出来なければ一人の大人として社会人として世間が認めないでしょう。





子供は「遠慮」という行為が基本的にできません。

静かにしなければならないところで泣いたり騒いだり、飲食店で

店員さんの前で平気で「これまずい」と言って、周りの大人と慌てさせたり、

およそ周りの大人が誰しも思っていることを「遠慮なし」に行ってしまいます。

子供は次第に大人になるにつれて周囲に遠慮をすることを覚えます。

産まれたての赤ちゃんには利他の心(他人を思いやる気持ち)は

全くありませんが、社会の中で人間同士の触れあいの中で他人を

思いやる気持ちが芽生えてきて、時としてそれが遠慮という手段を

選ぶようになるのです。



日々の暮らしの中で特に日本人は高等な遠慮のスキルが要求されます。

例えば、友人・知人などから引っ越しして転居の通知を頂いた時、

決まって文章の結びに

「お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください」

と書いてあります。しかし、これを真に受けて本当に近くに行った

時に立ち寄るでしょうか。これは一種の社交辞令なのですから、

多くの日本人ならば「遠慮しなけれなならない」と思うのですが、

外国人はそうは思わないみたいです。

当然、いきなりアポなしで来られても、家主は不機嫌になるのですが

外国人はそれがわからない。文化の違いとはいえ、「遠慮」という

行為自体、日本人の得意とする気配りです。





さて、昨今のお葬式では「遠慮」の加減が非常に難しくなっています。

基本的死者を悼む気持ちがあれば誰でも参列が可能なはずのお葬式が

主催者側から

「会葬を遠慮してほしい」

「香典を遠慮してほしい」

「供物を遠慮してほしい」

「黒い服でくるのは遠慮してほしい」


と先に遠慮して欲しいことを通告されることが多くなりました。

前述の辞書の定義からすると遠慮はそもそも自分が相手に自発的にする

行為なのですが、相手が制約をかけてしまうようになってしまっているのです。

フューネではこのような遠慮依頼にどのように対処してよいのか解らない

お客様から多数お問い合わせを頂きます。

難しいのはケースバイケースですので、明確な答えが無いということです。

明確な答えが無い以上、最もベストの対応は遠慮を依頼された方に直

真意を伺うことになります。

そこは遠慮なしに質問したほうが良いのです。




遠慮と遠慮。

お互いの相手を思いやる慎み控える行動が悪影響を生み出します。

遠慮の加減を間違えないように何事を行っていきたいものです。
 









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