ブーログ › フューネ三浦直樹の「感動葬儀。」ブログ
2021年07月11日

繋がりを感じる

人が人として生きていく為には「孤独」であってはならないのです。

自身が未熟なうちは誰かの力を借りながら、そして誰かの役に

立つことで、自分の存在を確認しながら生きているのです。

「孤独」を好む人もいらっしゃいますが、天涯孤独という境遇の人は

実際には存在しないものなのです。

誰かと何かしら繋がっていることが自然であり、繋がりを意識をして

いくことが豊かな人生を送るコツでもあるのです。




家族葬や病院から火葬場に直行する直葬などは時として孤独葬とも

言っても良いレベルのお葬式がありますが、その現場にいく度に、

お葬式の意義について自問自答をしてしまうのです。

例えば、

「なぜお葬式をするのか?」

「人の一生とは?」  などなど。。。。。




お葬式をする意義はどんな時代になって変わらない不変的なこととして

「繋がりを感じる場所」の提供なのです。

人はお亡くなりになられた方に対する何かしらの「繋がり」を求めて

お葬式に参加するのです。例えお亡くなりになられた方を直接に

知らなくても、喪主やご遺族の誰かとの繋がりの中で参列するという

意思の決定になるのです。

言い換えれば、「繋がり」を感じないお葬式には義理でも弔問は絶対に

しないし、興味も湧いてこないのです。

芸能人やスポーツ選手などの有名人で一度も会ったことの無いような

人のお葬式でもファンであれば、「ファン」という繋がりを確認しに

お葬式に弔問にいく動機になります。実際に会ったとか会ってない

という観点ではなく、「繋がり」が明確に意識できれば訃報に対し、

時として涙も出れば、悼む心も自然に生まれるのです。





























  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:20 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2021年06月21日

非接触

コロナ禍の中で、感染予防の観点から「非接触」ということに注目が

集まりました。お買い物の際にコロナ禍以前ではレジにて金銭の授受も

店員さんの手に直接のやり取りをしていたのが、トレーの上での

やり取りに変わり、おつりも直接頂くことが少なくなり、

あくまでもトレーの上でのやり取りになってしまいました。

また、クレジットカードも以前は店員さんに直接にカードを渡していた

のが、カードリーダーに客は自身で通さなくてはならないと

いったことが多くなりました。

非接触にはなったことで何とも寂しさが残る、お買い物でのやりとりに

なってしまいました。



お葬式の現場でご遺族が以前よりも圧倒的に減ったのは

ご遺体への接触です。

これはコロナ禍以前より年々減っていたのですが、コロナ禍で加速して

しまいました。

そもそも、ご遺体を物質的に捉えるならば各種の雑菌の塊であり、

放置しておけばすぐに腐敗が始まってしまうということから決して

衛生管理の観点で言えば、接触することを推奨するような物質では

ないのですが、ご遺族にとっては物質としての「死体」ではなく

「ご遺体」であるということがとても重要なことなのです。

亡骸は「生きている人」と同様に扱うことは葬儀社の社員として

基本中の基本でありもしも「死体」として扱ったならば、死者に対する

冒涜に繋がるのです。

ですから、ご遺体を触ることはとても大切なことで衛星的には

褒められない行為かもしれませんが「素手」で触ることが基本でした。




コロナ禍でご遺体に限らず生きている人でさえ、素手ではなく

手袋をした手でしか触らないような各種の事例が多々ありますが、

コロナ禍が終焉しても「素手」で触ることそのものがいけないこと

であるという観念が残ってしまうことは十分に考えられることです。

非接触は間違いなく、人と人との距離を遠ざけてしまいます。

コロナ禍の今は仕方のないことかもしれませんが、コロナ禍が

終焉したら、「素手」で接触できる人間関係は多くの人と維持して

いきたいものです。

お葬式は元来、「素手」と「素手」を絡めあうことの出来る人々の

人間関係を感じる場であるのです。







  

「日々いろいろ」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:08 │日々いろいろ

コメントをする・見る(0)

2021年06月10日

正座

お葬式の仕事をしていると職業柄、正座をすることが多くありました。

「ありました」と過去形の表現になっていますが、最近では本当に

正座をすることが激減しているのです。

通夜・葬儀をお寺や自宅で行う場合は畳の上に式典の間、

正座をしなければならない会場のレイアウトでしたが、近年は

葬儀会館がほとんどですから椅子席がスタンダードであり、

仮にお寺や自宅でお葬式を行っても今では畳の上に座椅子を置き

正座をしなくてよい設備が整っているケースが大半です。




お葬式の打ち合わせの時は一時間から2時間位、お客様のご自宅で

正座をしないといけないケースはまだまだありますが、リビングや

ダイニングを使わせて頂ければ、ソファーやダイニングテーブルにて

お葬式の打ち合わせをさせて頂くことが年々多くなり、本当に

正座をする機会が無くなっているのです。

おかげで若い頃は1時間位の正座は平気であったのが、

いまでは20分もすると限界で足の痺れに耐えなければ

ならなくなっています。

機会が少なくなれば当然足腰が弱くなるのは必然です。

我々葬儀社の社員に限らず、お寺様も今では椅子での

読経をすることが多くなり、正座が年々出来なくなっています。

同時にお客様も正座をするような葬儀会場は極力避けることが

普通になってきました。ライフスタイルの変化もあり、

日本人にとって正座は苦手な座り方になってしまっているはずです。



正座もさることながら、単純に長時間立っていることも苦手に

なってきています。

足腰が弱くなってしまうのも現代病でありますが、足腰が弱くなる

ことで生れてくるおもてなしの変化に対応していくことも、

葬儀社として重要なことになっています。





  

「日々いろいろ」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 13:39 │日々いろいろ

コメントをする・見る(0)

2021年05月20日

レジが怖い

キャッシュレス決済の推進が叫ばれてから随分と経ちますが、日本は

まだまだ現金主義です。諸外国と比べて現金に対する信頼性が

通貨や紙幣にあることの裏付けでもあることなので良いことで

あることは間違いなのですが、キャッシュレス決済の推進が遅れる

要因になっていることも事実です。

これまでに現金主義者であった人でもキャッシュレスの機能の決済を

一度使ってみると、その便利さに現金を使う回数が少なくって

いくことは間違いのないことであり、決済の正確性やスピードは

現金以上の魅力はあるのです。

現金主義とキャッシュレス決済の優劣を論じると単純にキャッシュレス

決済の方が便利であることだけは間違いないのです。



しかしながら、使うほうは便利でも扱うほうは現金だけ取り扱うよりも

複雑で大変です。フューネの仏壇店が入居しているショッピングモール

においても現金以外に使える商品券だけでも50種類以上もあり、

それに加えてクレジットカード・ICカード・プリペイドカード・

QRコード決済と様々です。

とてもとても覚えきれない種類です。

毎日レジを取り扱っている社員ならまだしも、たまにヘルプで入る社員

にとっては使える決済方法の多様化は恐怖でしかないのです。

「レジが怖い」という感情が支配してしまうのです。



怖いのは単純にレジの操作が解らないということだけではなくて、

キャッシュレス決済の中で使えるものと使えないものが混在をしている

ことで、間違ってお客さまに「使えます」と言ってしまって実際は

使えないという事態を招いたり、その逆のこともあり、結果的に

お客様から信用を失うことに繋がったり、お叱りを受けたりする

ことが発生するからです。

また隣の店舗は使えるのになぜ使えないのだと突然怒り出すお客様

もいらっしゃるから、恐怖に繋がっていくのです。

さらに、単純な決済なら難なく操作が出来ても、現金とICカードの

合わせ技でお支払いを希望される方の操作などはさらに複雑に

なります。また商品の返品などで返金する時の操作方法などは

通常の業務の中であまり実施しないので、お客様の前では緊張が

走る行為なのです。




お客様の「便利」を提供する為に増え続けた各種の決済方法ですが、

なんとかどこかのタイミングで統一が出来ないものでしょうか。












  

「フューネ(会社)のこと」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:13 │フューネ(会社)のこと

コメントをする・見る(0)

2021年05月10日

コロナ観の違いから

まだまだ、新型コロナウィルスの猛威が日常生活さえも

脅かしています。他の災害と違い終わりの見えないことと

世界中が被災地であり、疎開先の無いことが精神的にしんどい

ことにつながり、多くの人のストレスに繋がっているのです。

まだまだ長期戦を覚悟しなければならないと思います。

コロナ禍のなかで、露見したのは新型コロナウィルスに対する

価値感の違いです。いわゆる「コロナ観」が違うことで生まれる

争いが多々見受けられます。

特に家族間の間や親族間の間、そして世代の違いによって

新型コロナウィルスに対する恐怖感の違いによって、価値観が

それぞれ違うことで導く答えも違ってくるのです。



お葬式においても、コロナ観の違いによって様々な争いが起きて

います。親族の間で食べる食事を提供するか自粛するか。

一般の弔問客を呼ぶ呼ばないでの諍い。

家族葬で行なうにしてもどこまでの親族を呼ぶか呼ばないか。

火葬場に行く人の人数を制限させているが誰に行ってもらうか。

バスやタクシーの乗り合いもどうするか

この他にも様々な諍いが発生していますが、価値観の違いによって

生まれる齟齬をどうやって一つにまとめていくのかということが

正解が無いだけに難しいのです。

やっと導きだした答えによって親戚の皆様に訃報を通知しても、

コロナ禍をを理由に弔問を辞退される方や弔問をするが

食事を辞退される方に出会ってしまう現実に直面するのです。

非常事態下において平常時の常識が全く通用しないことは

頭では解っているのですが、現実に通用しない時に多くの人が

憤慨とストレスを感じるのです。


コロナ観の違いで生まれる争いを出来るだけ避けることができる

ように多くの人の心に余裕が生まれる世の中に早くなって貰い

たいものです。








  

「日々いろいろ」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │日々いろいろ

コメントをする・見る(0)

2021年04月20日

制服

会社内で制服を着ることはその組織に属していることを

一目で表すことが出来、お客様に統制の取れていることを

PRすることのできる、とても便利な服装です。

同時に制服は憧れを抱く対象物であり、男子は警察や消防・

自衛隊の制服に憧れる人々も多く、

女子はCA(キャビンアテンダント)さんやレストランのウエイトレス

などのかわいい制服に憧れることがあります。

また、同じ組織でも階級や職種によって制服を変えることで制服が

組織に所属する人にとってステータスになり、やる気やスキルアップを

促す効果もあります。

フューネでも制服は職種や役職、有資格者かどうかということであえて

制服を変えています。

一定レベルに達しないと着ることの出来ない制服はフューネの従業員に

とって目標であり、憧れにもなっているのです。

最も、お客様には気づいて貰えない自己満足かもしれませんが、

制服を着ることの意味をしっかりと理解してこれからもフューネの

従業員として誇りの持てる制服を着させて業務にあたるように

していきます。




昨今では経費削減、個性尊重の名目の下に、制服を廃止する企業が

増えています。私にとってもとても残念なことだと思いますが、

かつて中学校や高校で着用していた制服に思い入れがあるように

フューネの社員がフューネを卒業してもフューネの制服に思いを馳せる

ような誇りと伝統と品格を兼ね備えた制服を今後も維持をしていきたい

と思っています。








  

「フューネ(会社)のこと」カテゴリーを一覧で見る

「日々いろいろ」カテゴリーを一覧で見る

2021年04月10日

コロナ禍での自宅葬の増加

コロナ禍でのお葬式は随分を様変わりをしてきていますが、

過去一年間を振り返ってみますと、自宅でのお葬式が増えています。

もちろん、増えているといっても葬儀会館全盛の時代に増加は微々たる

ものですが、コロナ禍の影響を受けての増加かとを思われるのです。

自宅葬が増えた理由は複数ありますが、一番は感染のリスクを気にした

人が自宅を選ぶケース。同時にコロナ禍の中で、本来は多くの弔問客を

お招きしてお葬式を執り行うべき人が家族のみのお葬式を選択し、

結果的に自宅でキャパシティーが足りてしまうケースも増えてきて

いるからでしょう。

自宅葬が増える根底にお亡くなりになられた方が長い闘病生活の上で

「自宅に帰りたい」

という想いをご遺族の皆様が死後ではありますが叶えることは

一つの孝行なのです。




自宅葬の最大のデメリットは親族を含め、他人がプライバシー空間に

入ってきてしまうことですが、これもコロナ禍の中で親族さえもお葬式

の参列を辞退してしまえば、デメリットが克服出来てしまうことに

繋がります。

葬儀社の立場で言えば、コロナ禍の中で急速に葬儀の規模が

小規模化したことにより、「自宅でお葬式をしたい」という潜在的な

お客様のニーズが物理的に可能になったと分析をしてします。

アフターコロナの世の中になっても、お葬式の小規模化が

進んでいくならば今後も自宅葬は微増で推移していくと思われます。




  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 11:34 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2021年03月20日

孤独葬

新型コロナウィルスの影響を受け、お葬式の形態が様変わりしてから

もう一年の歳月が過ぎました。これまでに当たり前に出来た葬儀の

数々の行いが「密」対策という名目の下、出来なくなって

しまっています。失われつつある元来の葬送文化をコロナ禍が

収束したならば、取り戻していかなければ脈々と伝えてきた

伝統文化が廃れていくのみです。



葬儀を行う中ででこの一年失われて特に淋しいと思うことは

「ご遺体を囲む」

ということです。もちろん、コロナ禍の中でも近親者が数名で

ご遺体を囲むとことは行われていますが、一般の参列者も含めて

お棺の周りを二重に三重に囲むということがすっかりと

見かけない光景になってしまいました。

「密」をつくらないという新型コロナウィルスの対策上やむを得ない

ことかもしれませんが、淋しさを感じます。

同時に出棺の際、霊柩車のお見送りをする人が激減です。

一方通行の「旅立ち」という場面にお見送りがないということが、

お葬式の淋しさに拍車をかけているように感じるのです。



「孤独死」という言葉が10年位前から社会問題のキーワードとして

多くの人に認知されていますが、コロナ禍の中では「孤独葬」といった

現状です。

孤独という淋しさを和らげることは人が人として生きてきた証として

非常に重要な要素だと考えています。









  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:05 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2021年03月09日

季節の色

季節に色があることをご存知ですか。

五行説では

春は青色
夏は朱=赤色
秋は白色
冬は玄=黒色

と定まられています。

そして、それぞれの季節の色を

【青春】【朱夏】【白秋】【玄冬】

と表現をしているのです。

季節の色を意識して生活をすることで、季節を愛でることができ、

巡りくる季節を意識することで、人生は間違いなく豊かに

なっていくのです。


ところで、季節の色は人の一生をも上手に表現しています。

若年期の「青春」は最も有名で、季節の色があることをご存知なかった

方でも「青春」という言葉はよく使用されたことと思います。

成長期の「朱夏」はパワーがみなぎっている状態で何事もアクティブに

活躍できる状態をよく表しています。

熟年期である「白秋」は歌人「北原白秋」が号として用いたので

馴染みもあるかと思いますが、これまでの人生の経験から

物事の道理をわきまえた人間としての成熟を見事に

表しています。

そして、老年期である「玄冬」は人生を振り返る大切な季節。

春夏秋冬と言いますが、人生に例えると季節の始まりは春でなければ、

説明がつかないのです。




お葬式はお亡くなりになられた方の人生をいかに表現をするかと

いういうことは葬儀社の腕の見せ所です。

人生の卒業式であるお葬式はやはり、その人らしい生き方を

体現してこそ、「感動葬儀。」なのです。








  

「役立つ雑でない雑学」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 13:53 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2021年02月20日

近いから

お客様が葬儀会館を選ぶ理由の中で「近いから」という理由は

今でも多くの方が選択をしますが、昨今のお葬式を見ていると

「近いから」という理由で葬儀会館を選んでしまうことにいささか

損をしているケースが多くみられます。

そもそも「近いから」という理由の基準点は「自宅」です。

何故かというと葬儀に参列するお客様の利便性を考慮すると

自宅から近いほうが、ご近所の皆様の参列は便利です。




昨今では家族葬が主流になり、コロナ禍の中でますます家族葬を

選択されるお客様が増えていることを考慮すると、本当に自宅から

近いからという理由は勿体ないのです。

最近の家族事情では親族だけではなく、家族でさえも複数の

住居の拠点に住んでおり、「近いから」で選ぶのであれば、

集まりやすいところの葬儀会館を選ぶほうが機能的です。

さらに言えば、やはり新しい葬儀会館は施設も綺麗であり、機能的に

作られていることが多いのです。




「近いから」という観点で葬儀会館を選ぶのであれば、

「駅から近い」・「高速道路のインターチェンジから近い」・

「入院していた病院から近い」

といった理由を優先したほうが賢い選択に繋がりやすいです。

また利便性で言えば忘れてならないのが「コンビニから近い」

ということです。

これは数日葬儀会館に滞在するのであれば本当に重宝します。

フューネの葬儀会館もコンビニが徒歩5分以内にある葬儀会館は

お客様の満足度が高いのです。




葬儀のプロから「近いから」という理由で選ぶのであれば、

「火葬場から近い」

という理由で葬儀会館を選ぶことをオススメします。

葬儀会館と火葬場が近いと時間短縮になるばかりではなく、何かしらの

緊急事態が発生しても即座に対応しやすくなります。

そして、コスト的なことでも恩恵を受けやすいのです。


葬儀会館の選び方も時代とともに変わるべきですし、お客様から

選ばれる葬儀会館の運営を今後もしっかりと取り組んでいきます。



















  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:11 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2021年02月10日

病院の逼迫を感じます。

まだまだ先の見通しが立たないコロナ禍の現状で、メディアが報じる

「医療崩壊」という言葉はいささか言葉が過激なように感じますが、

愛知県内の病院において、何とか医療が持ちこたえているのは

多くの皆様の協力があってのことだと思います。本来行われるべき

手術を先送りにしたり、入院できずに自宅療養を強いられている方も

いらっしゃり、当事者の皆様は不安を抱えながら一日一日を過ごして

いるからこそ医療崩壊を免れているのです。

葬儀社という立場は各種の医療機関と密接に関わる仕事です。

葬儀社の立場から見ていても医療現場は今は全く余裕がなく、逼迫を

していることが明らかです。

例えば、お亡くなりになられてから、通常では2時間以内に清拭を終え

霊安室に運ばれ、霊柩車にご遺体を乗せて病院から出発できるという

通常時のリードタイムが大幅に遅れることがしばしばあります。

看護師さんの手が回ってないことが明らかで場合によっては6時間

以上もご遺族の方が病院で待たされることも起きているのです。

また、急患で運ばれてきた患者さんがお亡くなりになられた場合では

新型コロナウィルスに感染しているかどうかの検査を死後にしなくては

ならないので医療関係者の皆様にとっても平常時以上の手間がかかって

おり、結果的に遅れることが多発しているのです。

最近では、通常ではありえないような距離の離れた病院からのご遺体の

搬送の依頼も多くなっています。地元の病院の受け入れが出来ず

やむなく、自宅からずいぶん離れた医療機関への入院を余儀なくされて

いるケースも葬儀社という立場から見えてしまうのです。




間違いなく逼迫している医療機関が少しでも緩和されるように、また

間違っても医療崩壊ということにならないようにする為には緊急事態

宣言の発出ということはやむを得ないと思わずにはいられない現実が

まだまだ続いているのです。














  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

「日々いろいろ」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 08:31 │お葬式の知識日々いろいろ

コメントをする・見る(0)

2021年01月20日

弔意が示せないことのストレス

フューネがお取引をしているローソク線香の問屋さんの担当者が

話をしていたのは、昨年は過去40年間で3本の指に入るくらい

お線香が売れたとのこと。

フューネのお仏壇店でもお盆の時期と年末に喪中はがきが

届き出してから、過去最高に進物用のお線香が売れました。

しかも、売れたお線香の半数は宅配便を用いた配送でのお届けを

希望されるご注文でした。




コロナ禍の中で、葬儀に参列ができなかったということに加え、

そもそも葬儀のご案内すらなかったということが日本中に発生した

一年でした。

その結果、弔意を示す場が無くなってしまったのです。

お葬式の持つ5つの役割の中に、「社会的なお別れの場」という

役割があります。生まれてこのかた人は一人では生きては行けず、

誰かの支えがなくては人生を全うできないものです。

ですから、おのずと人と人はコミュニケーションを取らなければ

ならない宿命にあるのです。社会を構成する最小単位は「家族」で

ありますが、「家族」以外にも様々な社会と人は繋がっています。

人生の最期にその社会との繋がりを強制的に断ち切ってしまう

ことになったコロナ禍の中で、多くの人が弔意を示すことが出来ない

ストレスを感じていたはずです。

訃報を知ってから、進物用のお線香を贈ることで弔意を表すという

ことがクローズアップされ、多くの人が実施した結果が進物用の

お線香が売れたという結果になったのです。



コロナ禍が収束した後に弔意を示すことの手法として進物用のお線香を

贈ることが習慣化するのかはたまた、コロナ禍の中での一時的なブーム

で終わるのかはまだわかりませんが、

「お葬式に行きたくても行けない」

というお客様のストレスを何とか和らげることが葬儀のプロとしての

新たなミッションになったことだけは間違ありません。









  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 09:47 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2021年01月11日

「とんでもございません」は「とんでもない」

フューネでは毎朝、朝礼時に「お客様との会話で正しく使いたい敬語」

の唱和を実施しています。

正しい言葉遣いというものは自分自身の思い込みなどで正しく

使うことが出来ずに、間違ったまま使っていても間違いに

気づいていないことがあり、サービスのプロである葬儀社の社員が

正しい敬語を使えないことはやはり恥ずかしいと考えます。

49例ある敬語を日替わりで唱和していくのですが、

その中で一番正しく使うことが出来ない敬語は

「とんでもないことでございます。」なのです。

よく「とんでもありません」「とんでもございません。」

と謙遜の意味で使っているのは実は間違いなのです。

「とんでもない」という言葉の意味としては

「①思いがけないこと」という意味があり、謙遜として使う場合は

この意味に該当します。

「とんでもないことでございます」と正しく使えば、思いがけずに

嬉しかったという意味なりますが、

「とんでもありません」と言ってしまうと「②けしからん」という

相手を責める言葉に変わってしまうのです。

つまりは、本人は謙遜の意味で敬語を使っているつもりでも、相手に

「けしからん」と言ってしまっているのです。

これはとても恥ずかしくて相手に失礼なことです。




「とんでもありません」と口癖のように言っている社員たちに

「とんでもないことでございます」と正しく敬語を使うことを

習得させることが教育なのです。

「とんでもございません」は「とんでもない」敬語の使い方です。

正しく言葉を使うことは本当に難しいですね。

それでも、正しく使い続けていれば間違った使い方に触れた時に

違和感を感じるようになりますから、言葉の勉強も「感動葬儀。」の

提供には必要不可欠なことなのです。







  

「役立つ雑でない雑学」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 09:26 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2021年01月01日

2021年 明けましておめでとうございます。



みなさま、新年あけましておめでとうございます。

今年も「感動葬儀。」ブログをどうぞ

よろしくお願いいたします。

コロナ禍の中でのお正月。

体験したことの無い、制約の多い歳のはじめですが、

一刻も早く疫病の収束を願って、昨年以上の良い歳になる

ことを願っています。

皆様にとっても良き一年でありますように。  

「四季を愛でる」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 11:39 │四季を愛でる

コメントをする・見る(0)

2020年12月31日

2020年今年もお世話になりました。

本日大晦日。

今年も大変お世話になりました。

2007年から続けたブログは今年13年目になりました。

コロナ禍という災難は今年の初めには予測も出来なかった

一年でした。

それでも、良いこともたくさんあった有意義な一年間だった

と思います。



皆さまにとってもよい年越しを

お迎えください。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。




  

「四季を愛でる」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 12:42 │四季を愛でる

コメントをする・見る(0)

2020年12月19日

「密」



ことし1年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」は

「密」でした。

新型コロナウィルスの対策の中で「三密」という言葉が生まれ、

まさに三密に気を付けながら、人と人との距離を保ちながら、

生活を送ることを余儀なくさせられた一年でした。

とにもかくにも一生忘れることが出来ない年になったことは

間違いありません。



新型コロナウィルスのおかげでお葬式の事情も大きく変化が

ありました。

ほとんどのお葬式の形態が家族葬になり、そして弔いに

参列される人の密集がダメになり、ソーシャルディスタンスを

求められることになりました。

コロナ禍の中であらためて気づかせて頂いたことはお葬式の

仕事は「密」を作る仕事であったということです。

弔意を表す為の手法としては、お花を捧げたり、お供えものを

用意したり、弔電を打ったりということもありますが、

やはり一番の弔意を表す方法は弔問に馳せ参じることにでしょう。

自分自身の身体を動かすことが「わざわざ」であり、遠路はるばる

お越し頂くお客様の行為がご遺族の皆様にとって

ありがたいことなのです。



弔問のお客様を密集させて、人垣を作ることが「葬儀が立派」という

ことに繋がるバロメーターであったのですが、コロナ禍なかで

全く通用しなくなった常識になってしまいました。

現在は弔問のお客様が安全にお参りができるように、時間差を

利用したディスタンスを積極採用しています。

知らず知らずの間に密を作ることに情熱を燃やしていた葬儀の運営が

劇的に変わった一年でした。















  

「四季を愛でる」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 09:53 │四季を愛でる

コメントをする・見る(0)

2020年12月10日

笑いの効用

笑うという行為は多くの場合楽しさの感情表現であり、日常生活に

おいて笑う回数が多ければ多いほど、楽しい生活が送れるものです。

お葬式の現場において「笑う」という行為に違和感を感じる方は

多いのですが、その理由は「笑い」は不謹慎であるという

固定観念によるものです。

確かにすすり泣きや嗚咽、はたまた慟哭などをされている方が

いる空間で大声で笑うということはもっての外ですが、

人が亡くなってから火葬場に行くまでずっと泣いて悲しみに

浸っているということばかりではありません。




結論を先に申し上げますと、葬儀には「笑い」は絶対に必要なものだと

考えます。悲しみの中でも笑いの要素は必要です。笑いには緊張を

和ませる要素があり、また悲しみを和らげたり、一時的に忘れさせる

要素があります。ですから、葬儀の施行運営においてお客様を笑わせる

ことはサービスを提供する葬儀のプロとして大切なことです。

しかしながら、悲しみに支配された緊張感たっぷりの中で笑いを

とることはとても難易度の高いことです。

安易に笑いを取りにいくことは大クレームをリスクを孕んでいます。

経験の浅い葬祭ディレクターが笑いを取りにいくことは

はっきり言って無謀です。

それでも、ベテランの葬祭ディレクターや一流の腕の持っている

葬祭ディレクターは実に上手にお客様から笑いを取っています。

お客様の想い出話の中に上手に入り込んで笑いを取ったり、

自分自身の自虐ネタを披露したりと悲しみの中に笑いありという

理想的な空気感を作り出しているのです。




経験の浅い葬祭ディレクターが笑いをとりに行く上で、一番安全な

方法は「何事も真剣に一生懸命にやること」です。

真面目にやっていて偶発的に起きるドジなミスは必ず笑いがとれます。

笑いは取りに行くと難しいですが、笑いが起きる環境を整えることは

さほど難しくないのです。



葬儀のおけるお客様の反応で難しいのは悲しみの感情表現が

泣くなどということではなく「笑ってしまう」という方がいらっしゃる

ことなのです。

悲しすぎて笑っているお客様に間違って同調して笑い返すことは

とんでもない不謹慎なことになります。間違いなく怒りの感情に

変わってしまうのです。

そのような方がいらっしゃるからこそ、ますます難しい悲しみの

空気の中での笑いですが、「感動葬儀。」にはやはり「笑いの効用」は

絶対に必要なことなのです。










  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 15:15 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2020年11月17日

喪中見舞いを送りませんか。

本日(17日)に豊田市内に折り込まれた

松坂屋豊田店の折込チラシの表面に

「喪中見舞いを贈りませんか」

ということで

「感動葬儀。フューネ葬儀仏事サロン」

進物用線香の広告が入りました。




今年はコロナ禍の中で大切な人がお亡くなりになられても、

充分な弔いの気持ちをカタチに出来なかったということが

日本中で起きてしまいました。

喪中はがきが届いたら、お線香を贈ることで弔意を表してみませんか。

松坂屋豊田店のフューネのお店では各種の進物用お線香を

取り揃えています。

喪中見舞い用の進物用のお線香は年末まで受け付けています。

松坂屋の包装紙でご用意します。

よしければ、是非ご来店ください。




  

「イベント&ニュース」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 10:03 │イベント&ニュース

コメントをする・見る(0)

2020年11月10日

人を幸せにする嘘

子どもの頃に12月になると「サンタさんが来るよ」と親に言われて

サンタさんが来るのを心待ちにしていたのは遠い昔の記憶ですが、

思い出してみるとなんとも微笑ましい楽しかった記憶です。

父親になり、子供に「サンタさんが来るよ」と親に言われたように

自分の子どもに言い、サンタさんの存在を本気に信じ心待ちにして

いる我が子の姿を見ていることも幸せを感じる瞬間です。




「嘘つきは泥棒の始まり」と小さい頃から教えられ、嘘をつくことは

ダメなことだと基本的に思っていますが、正しくは嘘は嘘でも人を

傷つけたり、不幸にする嘘がいけないのであって人を幸せにする嘘は

ついて良いのです。

世の中には現実的に嘘の情報の方が真実よりも多く溢れていて、

嘘の情報に引っ掛かり、悲しい思いをするからこそ嘘は悪なのです。




葬儀の現場にも「人を幸せにする嘘」はたくさんあります。

そもそも、各種宗教が唱える宗教の教義は科学的な検証で出来ない

状態であれば、嘘とも言えます。

しかしながら、科学で説明できない事象をロジックで表現しているのが

教義であり、まさに信じるものは救われることに通じているのです。

葬儀の役割の中に悲しみを和らげることがあり、悲しみを和らげる為に

つく他人の嘘はとても大切なことです。

悲しみのどん底の中にいる人に「頑張ってね」と安易な言葉をかける

ことで返って相手を傷つけるよりも、幸せになる嘘のほうが重要です。

例えば、お亡くなりになられた方が「お星さまになる」という

嘘がありますが、それはご遺族の皆様にとって嘘でもいいから

いつでも見守ってくれているという願いなのです。

最も嘘をつき続ければ物事は真実ではなくても事実にはなります。

こうした真実ではない事実で世の中は動いていくのです。














  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 15:29 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)

2020年10月22日

お寺様が来ない

お葬式を生業にしていると想定外のハプニングやトラブルの発生は

日常茶飯事のことです。

人と人が交わる以上、様々な事故や誤解、感情の起伏による

トラブルなどなどがありますが、意外に多く、そして葬儀のプロとして

冷や汗をかくのが、「お寺様が来ない」ということです。

葬儀のスケジュールは結構、分刻みで動いており、遅れは

多くのお客様をお待たせすることで多大な迷惑をかけるばかりでなく、

葬儀後に火葬をする場合は火葬場のスケジュールを大きく狂わせる

ことになり、他の火葬を予定しているご葬家様にもご迷惑をおかけ

することになってしまいます。

お寺様が予期しない交通事故で大渋滞に巻き込まれて時間までに

辿りつけないことは不可抗力の部分もあり、仕方の無いことですが、

通夜・葬儀の場所を間違えて別の会場に行ってしまったとか、

そもそも、通夜や葬儀の日取りを勘違いしていたという明らかな

お寺様のヒューマンエラーは苦言の一つも言いたくなるものです。



お寺様が大幅に遅れて来られて通夜のお勤めや葬儀の式典が

出来ずにご弔問のお客様にはご焼香だけをしてお帰り頂いたなんて

いうことはこれまでに何度も経験をさせて頂いていますが、本当に

故人様にとって人生の一回きりのお葬式が台無しになってしまうことは

葬儀社としてはあってはならないことで、冷や汗がとまりません。

お葬式はやり直すことが出来ない人生における大切な儀式です。





お寺様のヒューマンエラーで来られないということもありますが、

体調に変調があったり、人身事故で救急車で運ばれたりして来ることが

出来なくなることもあります。

とにかく葬儀会場までお気をつけてお越し頂きたいと願うのみですが、

それも含めて何があっても対応できるように時間には充分に余裕を持って

行動することはプロとしては絶対に大切なことですね。

















  

「お葬式の知識」カテゴリーを一覧で見る

Posted by フューネ三浦 at 10:31 │お葬式の知識

コメントをする・見る(0)