寝棺と座棺
先日の
ブログ記事「舟と宝石箱」でお棺のことについて
取り上げさせて頂きましたが、
M/F ARTさまより頂いたコメントに
お答えする形で今回は続編として書かせて頂きます。
M/F ARTさまより
「縄文時代には屈葬など瓶などに入れて土にそのまま
入れる(魂の復活を妨げる)様式だったようですが、
何故そういったもの(舟形木棺)に変わったのでしょう??
こういうものの興味は尽きません^^」
というご質問を頂きました。
屈葬とはたいていの方が中学生の歴史の授業で学んだと思いますが、
念のため説明しますと、亡くなった方の手足を体操座りのような姿勢をとらせ、
手足を折り曲げて埋葬することです。
屈葬を実施した理由としては諸説ありますが、一番の理由は
土葬の時にお墓の穴を掘る労力の軽減なのです。
この屈葬に用いるお棺を
座棺(ざかん)といい、今私たちが
使っているお棺を
寝棺(ねかん)といいます。
つまり、座棺は文字通り、座らせた状態で埋葬するのでお棺の形が
桶のような形をしており、寝棺も文字通り亡くなった方を寝かせた状態で
埋葬することが出来、現代の私たちが使っているお棺そのものの形です。
墓穴を掘るのに労力を軽減出来るのは小さい穴で済む座棺の方なのです。
それゆえ、縄文時代から繋がる日本の歴史の中でずっと主に使われて
きたのは
「座棺」のほうです。
江戸時代も庶民のお棺は座棺であり、当時明確に「葬儀屋」という職業はなく、
座棺を供給するのは
桶屋の仕事でした。今でも一部の地域では
葬儀屋さんのことを
「オケヤ」と呼ぶところもありますし、
お棺のことを
「棺おけ」というのも
お棺そのものが
桶を転用したものだったからです。
明治に入ると富裕層の方が木製の寝棺を使用するようになり、次第に
火葬が主流になりましたが、一部の地域では火葬場が座棺用の
火葬炉しかなく昭和40年代まで座棺が使われていたとのことです。
今では座棺を使うことはありませんが、誰もが寝棺を使用することが
「あたりまえ」になったのは長い歴史の中でつい最近のことなのですね。
寝棺を使うということは
贅沢なことだったのです。
さて、
ブログ記事「舟と宝石箱」の中で取り上げた日本最古の舟形木棺
ですが、明治時代でも富裕層の方しか使えなかった寝棺ですから、
弥生時代中期で使っているということは、本当に
高貴な方のお棺しかありえません。
今一度申し上げますが、寝棺というものは昔は本当に
贅沢品なのです。
そして、今も昔もお棺の種類で
「貧富の差」がわかってしまうことだけは
どうも変わらないようです。
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