ブーログ › フューネ三浦直樹の「感動葬儀。」ブログ
2016年06月01日

お客様の秘密を守る

飲食店やホテルで働く人が、プライベートで訪れている芸能人や

スポーツ選手などの有名人を無断でSNSにアップをしてしまい、

後日、責任者が謝罪するといった行為が後を絶ちません。

おそらく、アップしてしまった人は罪の意識は全くなく、目の前に

憧れの人がいれば、興奮し皆に知らせたくなるのは当然の感情です。

しかしながら、誰でもプライベートという権利はあり、それを阻害する

ことは有名人であろうとできません。

サービス業においてお客様の秘密を守ることは絶対に必要な要件です。




葬儀社において、今や最も大切なサービスはお客様の秘密を守ること

かもしれません。

家族葬が主流になってきたことで、亡くなったことを近所や会社に内緒

にして欲しいというご要望は当たり前のように頂きます。

さらに、自殺などの場合は死因を内緒にして欲しいということに

なりますし、兄弟が仲が悪いことを秘密して欲しい、国籍を秘密にして

欲しいなどなど。

結構なお客様の秘密を守らなければならないのです。

葬儀会館にも芸能人やスポーツ選手などがお忍びで弔問にお越しに

なられることもあり、前述のようにお忍びでお越しになられた以上は

絶対に口外できないのです。



安易に情報が一瞬の内に拡散してしまう現代では情報を守ることは

ある意味命がけの部分もあるのです。







  

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Posted by フューネ三浦 at 08:25 │フューネ(会社)のこと

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2016年05月30日

親の心配

先日、ある女性のお客様からご主人を突然亡くしてしまって、

一人暮らしになってしまったのだけど、これまで近くに住んでいても

全くと言って言いほど、実家に顔を見せなかった息子が、毎日のように

顔を出してくれるようになり、週末は家に泊まって言ってくれるように

なり、とても嬉しいのです。

ということをお電話をわざわざかけてきてくださいました。

息子さんが変わられたのは葬儀がきっかけであり、フューネの掲げる

「お葬式は最後の親孝行」

という言葉に息子さんが共感されてしまったからということでした。




大切なものは失って初めて気づくものです。

そのことを私たちは葬儀の現場を通じて知っているから、

「お葬式は最後の親孝行」

と銘打ち、キャッチコピーとして広く啓蒙しているのです。

そのことに葬儀の体験を通じてお客様自身が気づいて頂けることは

とてもとてもうれしいものです。




家族とは社会の最小単位であり、この世でもあの世でも繋がっていたい

と思うものであり、「支え」であり、「活力」でもあるのです。

お葬式を通じて、お客様自身がそのことに気付いて頂くことが

フューネの喜びであり、「感動葬儀。」の根幹なのです。











  

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Posted by フューネ三浦 at 09:21 │お葬式の知識

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2016年05月26日

友引は忙しい。

2008年1月6日付ブログ記事「葬儀屋さんのカレンダー」でも

少し触れさせて頂いていますが、多くの人々の認識において、

「友引は葬儀屋さんは休み」

だと思っている方も多く、また葬儀屋さんの社員は友引に休むもの

だと決めつけていらっしゃいます。

しかしながら、現実は違い、私に限って言えば少なくとも8年前に

書いたブログの記事の状態から比べてもさらに忙しくなって

しまっています。

「もっと友引が欲しい」

と思うくらい友引の日はスケジュールが一杯になってしまい、半年先の

友引の日まで一杯なんてことがしばしばおきてしまっています。



フューネの本社のある豊田市は友引は確かに火葬場が休みであり、

葬儀の施行は、近隣の火葬場を使用しない限り、まずありません。

結果的に会社内は普段、集まれない社員を招集するのに最適日となり

ますから、毎週の友引が研修・会議のスケジュールが年間計画として

入っています。さらに、休日に友引が重なっていれば、何かしらの

イベントやセミナーが行われますし、法要の施行が集中します。

そして、葬儀業界内のイベント・会議・研修会も友引に合わせて

開催されますので、私は出張の予定が入ってきます。

実際には社内の行事を優先しなければならないことが多く、出張に

行きたくてもいけないほど、友引の日は忙しいものです。

ダブルブッキング・トリプルブッキングは毎週のことになっています。

さらに、葬儀業界の従事する人々にとっての結婚式や還暦のお祝い・

七五三などの家族の祝い事は友引の日ですから、友引の日はお祝い事に

お招き頂く予定すら重なってしまっているのです。



私の周りには

「三浦さんの都合を考えて日程を友引にしました。」

とおっしゃって頂ける方がたくさんいらっしゃいます。

私の忙しさを考慮して気を遣って頂けることはとてもありがたいこと

なのですが、これまた、友引の日が忙しくなっている原因であり、

結果的に参加することが出来ず多くのお誘いをお断わりをしている

のが現実です。

お願いができるのならば、友引は避けた日程の調整をお願い

したいのです。







  

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Posted by フューネ三浦 at 09:45 │日々いろいろ

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2016年05月24日

プロの言葉

プロの言葉は重たいものです。

例えば、腫瘍が見つかった時医者が「良性」というか「悪性」

と言うかによってその人のその後の人生が大きく変化してしまいます。

また、自分自身が不安ででも、医者から「大丈夫」と言って頂ければ

本当に安心するものです。




その道を極めているからこそ、重みのあるプロの言葉であるはず

ですが、経験の足りない人や、プロになりきれてない人の言葉は

かえって大きな混乱を招くものです。

やはり、プロという言葉の裏側には「権威」とか「経験」とかと言った

受け手が尊敬するような何かを兼ね備えていなければなりません。




長年、葬儀という仕事に携わってきて思うのはお客様がもう少し

私たちプロのアドバイスを聞いてくれたら、もっとうまくいったのに

と思うお葬式ばかりです。

前提としてお客様自身の葬儀に対する想いがあり、それを実現する

為には葬儀のプロの言うことをすべて聞くということはありえないの

です。どうしてお客様がアドバイスを聞いてくれないのかと振り返って

みれば、やはり、お客様との信頼関係が構築できていない

からでしょう。

言葉の重みが発揮できるのは双方の信頼が大前提です。




お客様が葬儀社に対して持っている「悪徳」などのマイナスのイメージ

もまた言葉の重みが軽くなる要因でしょう。

ほとんどの葬儀社が善良であるし、優秀なのですが、一部の同業者の

お客様に対する態度が言葉の重みを軽くしてしまうことに繋がります。



葬儀の仕事に携わる私たちの言葉が「プロの言葉」としてお客様に

認めて貰えるように私たちは精進していかなければなりません。






  

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Posted by フューネ三浦 at 07:32 │フューネ(会社)のこと

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2016年05月22日

愛別離苦

愛別離苦(あいべつりく)とは愛する人と別れなければならない

苦しみのことです。

誰もがこの苦しみから逃れたいと思うからこそ、昔から死というものに

対し忌み嫌うという習慣が生まれています。

結果的に「葬儀」という言葉が重いのは愛する人との別れを示唆して

いるという側面を否定できないものだからでしょう。




生きていくことは様々な苦難を乗り超えていくことなのですが、

生きているということは誰かを愛することに繋がります。

単に恋人だけでなく、子供、家族、同僚、友人そして隣人までも。




最近のお葬式を見ていると愛するべき存在との別れが充分に出来て

いないように感じます。

人間関係の中で、愛するべき範囲が狭くなっているのでしょうか。

いやそうではないと思います。

今も昔も人が人である限り、人によって多少こそあっても、愛する人の

範囲は変わっていないはずです。




愛する家族の別れだから、義理を排除したいから「家族葬で」

というニーズは現代において主流になりつつあります。

葬儀社の社長として、家族葬を今更否定するつもりは毛頭ない

のですが、本来の家族葬とはお亡くなりになられた方中心に

「愛」というキーワードで結ばれた人々の集合体でなければならない

と思うのです。



葬儀社の仕事というのは言ってみれば「愛別離苦」という苦しみに

陥っている人々の心を少しでも早く癒してあげることです。

専門的にはグリーフケアという言葉で集約をされますが、

葬儀においてそもそも、お亡くなりになられた方が愛していた人が

集まって頂けなければ、解決することが難しいものかもしれません。
















  

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2016年05月20日

献茶婦

フューネの本拠のある愛知県では「献茶婦」とは言わない

のですが、葬儀において献茶婦という仕事があります。

主に関西方面で使われている献茶婦という仕事は本来は読んで字の

ごとく、お客様にお茶の接待をする専門の係員という役割でしたが、

ご親族の案内や焼香の案内をしたり、会館等の説明員であったり、

一般参列者の案内や食事等の給仕、各種道具の準備のなど、

仕事の内容は多岐にわたります。

一言で言えば葬儀運営の補助者であり、葬儀社によっては「サブ」

「セレモニーアテンダント」「セレモニーレディ」などと呼んでいる

職種が献茶婦と同等の仕事と解釈しても間違いないのです。





家族葬が増えた現在では、献茶する係をわざわざ配置しなくても良い

ような葬儀の環境が多々あります。そもそも、100人単位でお越しに

なられるお客様に対しての接待を司る為に生まれた献茶婦という仕事

ですが、家族葬が増えれば増えるほど、本来の役割とはかけ離れた

仕事をしているのが現状です。




お茶を提供するだけのスタッフが今はお客様との距離を自ら小さくして

お客様の不安や悩みを取り除いてあげる精神的な支柱になるような

お仕事まで出来る人が適任者となり、葬儀に対する環境は大きく

変わっているのです。

時代の流れから言えば、最早、「献茶婦」という職の名前は死語と

言わざる得ませんが、従来の献茶婦の仕事で良しと思っている葬儀社と

そうでない葬儀社のレベルの差は結構はっきりしているものです。




「感動葬儀。」を提供するフューネにおいて、ただお茶を

提供するだけのスタッフは皆無です。もちろんお茶をはじめ各種の

お飲物は提供していますが、同時に癒しや安心、そして時には

笑顔を提供しているのです。



  

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Posted by フューネ三浦 at 08:27 │お葬式の知識

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2016年05月16日

泣きながらやってくるお客様

泣きながらお客様がやってくることがあります。

「父(母)が亡くなりました。
どうしていいのか解らない。お願いします。」


人の死はやはり、当事者にとって大事件です。

ですから、葬儀社の社員はお客様の為に少しでもお役に立ちたいと

思うのです。




泣きながら、語るお客様がいらっしゃいます。

お亡くなりになられた方の生前楽しかった思い出やこれからの

ことを不安げに語られます。

最愛の人の死は喪失感が心を支配します。





泣きながら最期のお別れをされるお客様がほとんどです。

これで最後だと思うのか、今まで悲しみを我慢していた人ほど、

大きな声で泣いてしまうものです。

時には他人である葬儀社の社員も貰い泣きしてしまうほどの

悲しみです。

でも。。。。絶対に泣いた方が良いのです。

涙は悲しみを断ち切ってくれます

そして、立ち直りが絶対に早くなります。




人の死と涙。これは無理に私たち葬儀社が演出をしなくても勝手に

お客様が運んできてくれます。

泣くことで心の浄化をすることできます。

しかし、それは自然が大前提です。

無理に演出した涙にはその作用はありません。

ですから、お客様の涙は絶対に自然体なものにこだわります。





  

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Posted by フューネ三浦 at 08:20 │お葬式の知識

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2016年05月14日

選ぶ楽しさ、決断する苦しさ

葬儀という商品もお客様が選ぶことの出来る商品が多種多様に

増えてきています。フューネでは同一料金で従来型の

白木祭壇、モダン祭壇、洋花祭壇、花祭壇と大きく4つの中から

飾りを選べますし、お棺も桐棺、布棺、彫刻棺といったように選ぶ

ことが出来るのです。

一昔前であれば画一的であった葬儀という商品も最近では

お客様に選べる楽しさをご提供出来ているのです。

葬儀に限らず、「選べる」ということはどのような商品でも重要なこと

ですし、選べる楽しさを提供出来なければ、今の時代では廃れていく

のでしょうか。

商品に限らず、会社も選ばれる時代であり、お客様に選べる楽しさを

提供するのと同時に、選んで頂けるように切磋琢磨しなければ

ならないものです。


お客様にとって同じ選ぶという行為ではありますが、

「決断」をする

ということはとても苦しいものです。

決断するとは 「意志をはっきりと決定すること」


なのですが、単に選ぶという行為とは違い、重い判断なのです。

片方で選ぶ楽しさがあるのに、他方では苦しいことであるのは一体何が

違うのかということですが、決断をするという選択は

「やり直しが効かない」

という選びなのです。




実は葬儀の中で喪主様に「決断」をして頂かないといけないことが

いくつもあります。やはり、やり直しの効かない中で何らかを選択

するということは苦しみであり、それを乗り越えて頂けなければ

葬儀が施行できないことも多々あります。特に葬儀という性質上、

時間的な制約が必ずついて回ってきます。その為に出来ることを

選ぶということは何かを「捨てる」ということに繋がるものです。



優秀な葬儀社の役割というものはお客様に選ぶ楽しさを一つでも

多く提供し、決断させる項目を一つでも少なくしてあげることかも

しれません。


  

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Posted by フューネ三浦 at 08:20 │お葬式の知識

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2016年05月12日

人の間

超高齢化社会の中で気が付けば80歳といっても誰も長寿だとは

思わない現代です。30年前くらいではご当地の葬儀の現場は

80歳を超えた方が亡くなると長寿にあやかろうと

花篭(はなかご)というものを用意し、出棺の時の時に「篭」を

振り、そこから降ってきたお金を拾うと長生きできるという風習が

ありました。また、福井県などでは長寿を祝って赤飯を振舞うと

いう習慣もあるのです。


※上の写真は弊社施行の花篭の様子



20年前はきんさんぎんさんが100歳ということでマスコミに大きく

取り上げられ、100歳が一つの長寿の指標をなったのです。

あれから20年経った現代は100歳を超える人も多く、100歳だから

ということで驚く人は少なくなったようです。

人は何歳まで生きられるのかということを科学的に研究している方

に言わせると脳の耐久性は120歳が限度だということで120歳が

人間の限界寿命であるのです。しかしながら、この限界寿命も少しづつ

ですが、長くなっていく傾向にあるのだとか。

将来的には130歳までも生きられる時代がくるのかもしれません。



人の寿命は長くなっていくのですが認知症や癌などの病気は人生50年

と言われていた時代にはほとんど発症しなかった病気です。

身体は子育ての終わる55歳程度を目安としての耐用年数しか計算

されていないのですから、その後の人生は身体の故障と修理を上手に

繰り返さなければなりません。

超高齢化社会を生き抜く上では特に重要なことです。




人の間が長くなっているのに、その間を上手に使えないのはなんとも

嫌なものです。人の間が長くなっている分だけ人の間に生きることを

充実させていきたいものです。


  

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Posted by フューネ三浦 at 09:18 │日々いろいろ

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2016年05月10日

物を壊すお客様

葬儀に関する備品には意外と高価なモノが多いものです。

特に宗教儀礼に使用するような道具というものは何気ないモノでも

10万円を軽く超えるものが多く、中には100万円を超えるモノも

あります。ですから、私たちは大切に管理し、保管をしています。




葬儀の会場には多くのモノが溢れています。

同時に多くの人々が会葬者として出入りする訳ですから、いくら

注意をしていてもモノが壊れます。そのこと自体は仕方のないこと

ですから、お客様が悪意を持って壊した訳でなければ、私たちは

基本的にお客様に損害を請求しません。




ところが、悪意で壊すお客様はいるものです。

大人が悪意を持ってモノを壊すお客様は論外でもっての他ですが、

子供さんが悪ふざけをしていてモノを壊すということは良くあること

です。子供さんに責任を負わせる訳にはいかず、基本的に親である

大人のお客様に何らかの責任を負って頂くのですが、本当に高価

な仏具を悪戯されるのはヒヤヒヤします。



モノに当たるお客様がいるのも葬儀の会場ならではです。

大切な人を亡くした悲しみをモノにぶつけてしまうことがあるのです。

湯呑みを投げる、ごみ箱を蹴るといったことは特に真夜中の葬儀会館

で喪主が一人になった時に突然起きるものです。

お亡くなりになられて、悲しみをこらえて通夜式を終えてやっと一人に

なれた時。。。悲しみの感情が爆発してしまうものなのでしょう。

翌朝、「壊してしまいました。弁償します。」と大方のお客様が申告を

して頂けるのですが、多少の被害ならば、弁償代を頂かないように

しています。本来であれば、モノに当たることも良くないことですが、

モノにあたって悲しみの感情が少しは収まるのなら安いものです。

中にはモノに当たって翌日、お怪我をされているお客様もいらっしゃい

ます。痛さを悲しみの表現なのです。










  

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Posted by フューネ三浦 at 08:24 │お葬式の知識

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2016年05月06日

認知症の監督責任は

またまた認知症とみられる女性が線路上で電車にはねられ死亡

してしまいました。以下ネット上のニュースから引用

テレビ朝日系(ANN) 5月2日(月)10時32分配信
 愛知県東海市で、線路に立っていた73歳の女性が電車にはねられて死亡しました。女性は認知症を患っていた可能性があるということです。
1日午後9時20分ごろ、東海市荒尾町の名鉄常滑線の線路上で、市内に住む73歳の女性が普通電車にはねられて死亡しました。警察によりますと、運転士が線路上に立っている女性を発見し、急ブレーキを掛けましたが、間に合わなかったということです。乗客17人にけがはありませんでした。女性は夫と2人暮らしで、夫は女性が認知症を患っていたと話しているということです。女性は午前中から行方が分からなくなったため、夫が捜索願を出す手続きをしているさなかに事故が起きたということです


先日、今回と同様な事故のケースで平成19年に愛知県大府市の

JR共和駅構内で認知症の91歳男性が電車にはねられ死亡した事故で、

最高裁の判決が出たばかりです。

その裁判とはJR東海が男性の家族に対して賠償を求める裁判を

起こしていました。1審では720万円の賠償命令・2審では360万円の

賠償命令が出ていましたが、3月1日の最高裁判所第3小法廷は

「家族への賠償責任を認めず」としてJR東海の訴えを退ける判決を

言い渡しました。

この裁判では 今後増えてくるであろう認知症の人が起こした事件・

事故をどこまで家族が責任を負うべきなのかといった点で

最高裁判所の判決に注目が集まりました。

結果は「家族への賠償責任を認めず」ということですが、

本当に認知症の家族を24時間監督しておくことは実際のところ無理

なはずです。

それでも、賠償を要求されることは今後もあるはずですし、それに

備える必要があるのです。

この備えとしては個人賠償責任保険に加入しておくことが

重要であり、個人賠償責任保険とは個人またはその家族が、

日常生活で誤って他人にケガをさせたり他人の物を壊したりして、

損害賠償金や弁護士費用などを負担した場合の損害を補償する

保険のことです。




認知症の監督責任については今後も事例としてはますます増えて

きますし、まだまだ簡単に解決できる問題ではありません。

ただ、どんな理由であれ、誰かの命が奪われる結果になるのなら

やはり、悲しい結末です。そのような悲劇が起きないように解決

しなければならない問題なのです。  

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Posted by フューネ三浦 at 08:22 │日々いろいろ

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2016年05月04日

献体が増えている。

今から8年前、2008年12月19日ブログ記事「献体」で献体を

希望する人が増えてきていることを指摘しましたが、あれから8年

経った今は当時の希望数よりもはるかに希望する人が増えています。

20年前、10万人に満たなかった献体登録者は現在、

21万6000人と倍増しているのです。

その結果、近年全国的には登録者数が増加し、登録者数の多い

大学では登録を一時見合わせているところもあるのです。

つまり、集まらなかった献体希望者が必要以上に集まるように

なっているということです。

ご存じない方もいらっしゃると思いますので、献体とは

医学の発展のために、自分が亡くなった後に自分の肉体を医学部

もしくは歯学部に献上して、学生さんの実習用教材として解剖される

ことです。

実は献体が増えている背景に「経済的理由」が増えています。

献体をすれば、死後、遺体の搬送費用や火葬費用は大学側が

負担するのがルールであり、献体をすれば葬儀をしなくても済むと

考えている方がいるのです。

本来の献体の目的からすれば何とも悲しくなるような現実ですが、

これが現代の世情です。



よく友人・知人から

「葬儀屋さんはいいね。
葬儀は無くならないからね。」


なんて言われますが、本当にこれは見当違いで、確かに亡くなる人は

いなくならないのですが、お葬式をしない人は確実に増えています。

献体を希望される方はその典型例と言っても良いでしょう。

もちろん、献体を希望される方でも立派な葬儀をされる方も

いらっしゃいます。本来の献体の趣旨を理解して医学の発展の為に

社会貢献する献体であるべきなのですが、経済的な理由で献体を

希望されるのは何だか臓器売買と本質的には変わらないと

感じてしまうのです。



  

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Posted by フューネ三浦 at 08:30 │お葬式の知識

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2016年05月02日

役得

辞書によると「役得」とは

その役目についていることによって得られる特別の利得や特権。

と解説をしており、大前提として役得を得るには何らかの「役」を

受けていなければなりません。

葬儀社としての役得はこれまでもこの「感動葬儀。」ブログ

で書いてきたとおり、お客様から頂く数々の役得があります。

また、会社の職制での役得については

2012年6月3日付記事「出世をしたくない人々」という記事に

くわしく書いています。




最近ふと思うのは、役得というものが明確に見えにくいのではないか

と思うのです。ついで言えば役得そのものに気付かない人々が多い

のではないかと思います。社長という仕事をしていると会社とトップと

しての役得はおそらく社員以上にたくさん享受しているはずです。

その反面、責任というものに対しては当然のことながらものすごく重い

のです。

先ほど述べたように役得に得るのは何らかの役を受けることが大前提

であり、役には必ず何らかの責任がついてきます。

役得が見えないというのは責任だけが目立ってしまう状態であり、

その部分にスポットライトをあてれば、役の引き受ける人がいないのは

当然の成り行きになってしまうのかもしれません。




葬儀の現場では事実上の葬儀実行責任者である喪主を誰が受けるのか

ということを遺族の間で揉めていることがあります。

喪主の責任とは円滑に葬儀に関する諸行事や手続きを進める義務に

加えご弔問の皆様に挨拶をするというプレッシャーにも耐えなければ

なりません。

その責任と引き換えに葬儀での主役というポジションを獲得することが

出来、多くの皆様と語りあえるという役得を取得できます。

そして、一番の役得は例えばお亡くなりの方みて子ならば、最後に

誰よりも親孝行ができるという役得があるのです。




これからの時代、喪主の役得を啓蒙していくことも葬儀社の役割

なのでしょう。その結果の役得を頂くことも葬儀社の役得です。









  

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Posted by フューネ三浦 at 08:19 │日々いろいろ

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2016年04月30日

お金はあの世に持っていけない。

今年のNHK大河ドラマ「真田丸」は好調に視聴率をキープ

しています。

戦国時代という激動の時代を生き抜いた真田家の物語は

長野県の小豪族の一つであった真田氏が知力の限りをつくし、

大きな勢力に立ち向かっていく痛快さが多くのファンを引き付ける

要因でしょう。

真田家の家紋で有名な「六文銭」

これは三途の川の渡し賃とされているお金です。

六文銭の貨幣価値は江戸初期の価値計算すると現代では

250円から300円程度とされています。その程度の渡し賃でも

あの世への無事に渡りたいという願いが込められているのです。

2009年5月22日付ブログ記事「六文銭」に詳しく

六文銭の由来を書いています。よろしければご覧ください。




さて、人生の豊かな人生を送ることにおいてお金は非常に重要な

要素ですが、生命の窮地に立った時にはお金は何も役に立たない

ものです。船が沈没する時、大地震の被害から逃れる時、誰かから

ナイフを向けられている時などにいくらお金を積んでも解決は

できないものです。

また、お金はあの世に持っていけないのです。

そうはいっても葬儀の現場ではあの世に行く最愛の人にお金を

持たせようとする人がたくさんいらっしゃいます。あの世で困らない

ようにというご遺族様の願いは痛いほどわかりますが、現実は

あの世には持ってはいけないものです。




アップルの創業者のスティーブジョブスが生前遺した最後の言葉

があります。一部を抜粋して引用します。


私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
  
私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。
今やっと理解したことがある。
   
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、
富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
  
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。
  
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。



巨万の富を得ることが出来たスティーブジョブスが自身の死の直前に

語った最後の言葉の中にこの世での私たちの生き方の指標がはっきり

と刻まれているのです。
  

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Posted by フューネ三浦 at 08:44 │フューネ(会社)のこと

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2016年04月26日

そうそうの森フューネ浄水 大謝恩祭を開催しました。

4月24日の日曜日に葬儀会館そうそうの森フューネ浄水にて

大謝恩祭を開催しました。

幸い、天気にも恵まれ、来場者数が800人を超えました。

多くのお客様にお楽しみ頂きありがとうござました。

今回はご家族でお越しになられるお客様が多かったのが

印象的でした。





みんなで創る花祭壇。



フューネのキャラクター「ジーン」君。



大道芸人ショー



暴れん坊からあげさん 大行列。さすがからあげグランプリで金賞入賞

だけはあります。



名物美人亭の「焼きそば」は相変わらずの人気でした。



地域の皆様に葬儀会館の良さを知って頂くこと。

そして、葬儀というものを単に敬遠するものではなく、身近に感じて

頂けたのではないかと思うのです。


ご来場いただきました皆様本当にありがとうございました。


  

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Posted by フューネ三浦 at 09:13 │イベント&ニュース

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2016年04月24日

本日(24日)そうそうの森浄水大謝恩祭を開催します。

本日、午前10時から午後3時まで

豊田市浄水町にある葬儀会館

「そうそうの森フューネ浄水」において

大謝恩祭を開催します。

今回からの企画イベントも盛りだくさん。

お近くの方が是非ご来場ください。
















「そうそうの森フューネ浄水」
豊田市浄水町伊保原654番地45
電話番号
0565-43-3377
  

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Posted by フューネ三浦 at 08:28 │イベント&ニュース

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2016年04月23日

MDRT日本会に出展しました。

4月21日・22日の2日間、生命保険の業界ではトップクラスの人々が

集う世界組織、MDRT日本会大会が今年は名古屋市国際会議場で

行われました。

MDRTとは
1927年に発足した Million Dollar Round Table (MDRT) は世界67の国と地域の500社以上で活躍する、43,000名以上(2015年8月現在)の会員を有する、卓越した生命保険と金融サービスの専門家による国際的かつ独立した組織です。
MDRT会員は卓越した商品知識をもち、厳しい倫理基準を満たし、優れた顧客サービスを提供しています。また、ビジネスと地域社会のリーダーとして世界中で認知されています。


私が理事をしている

一般社団法人日本Happy Ending 協会

生命保険業界の人々に協会の活動を普及するために、今回初めて

出展しました。












葬儀のお仕事をしているとなかなか会えない人々との会話はとても

面白かったです。

また、保険業界の人々も只、保険だけを売っているだけではいけない

ことに気づいており、葬儀社である私たちのとの連携もこれからの時代

は必須になることを再確認することができました。




ハッピーエンディングとは日本語では

「終わり良ければすべて良し」

多くの人々がドラマの結末が悲劇を嫌うように、人生の終わりが悲劇に

なんてことにならないためにどうするのかということをこの協会は

提案し各種の活動をしています。

葬儀というお仕事の中で終わりを見つめてきた葬儀社社長である

私の担いは大きいのです。

これからも葬儀で培ったノウハウを活かし、協会に関わり、

「終わり良ければすべて良し」の人生を送る人々を増やす活動を

私個人だけでなく、フューネという会社も担っていきたいと

考えています。



  

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Posted by フューネ三浦 at 08:47 │イベント&ニュース

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2016年04月21日

地震の教訓は・・・

熊本地震が発生して1週間が経ちました。

本震だと思った揺れが余震であったということで更なる被害者を

招くことになり、被災地は本当に終わりの見えない恐怖に今も

眠れない日々を過ごされているのです。

今回の地震は東日本大震災の時のような半ば強制的な「自粛」と

いう流れは起きていないのは良いことです。

フューネでも東日本大震災の時には地震後、若干のテレビCMを

放映させて頂いていました。ACジャパンの広告に切り替える

タイミングが間に合わなかった時には、放映をしたことで批判的な

ご意見も頂戴しました。そして日本中が「自粛」「自粛」の風潮で

数々のイベントや祝賀会が中止になったのです。

いまや皆様がお気づきのように行き過ぎた「自粛」は被災者にとっても

何も良い結果をもたらさないというlことが前回の教訓となっているの

でしょう。

地震の被害に直接遭わなかった人は普段通りの生活をすること、

そして気持ちがあれば被災地の名産品の一つでも購入することの

ほうが、復興に向けて大切なことというのが今や常識です。




それでも、有名人が発信するSNSに「不謹慎」というような批判も

寄せられています。特に自らが被災した井上晴美さんへの

誹謗中傷がひどくブログの更新を停止してしまったということは

残念でなりません。

確かにこのような非常事態の時にその人の人間性が表面に出てしまう

ものですが、過剰なまでの批判をする人は被災者でなく、第三者である

ことも事実です。




今回の地震において5年前の教訓が生かされていないことは多々

ありますが、間違いなく教訓が生かされていること多数あります。

今回の地震の経験も次に生かされていくことを願ってやみません。

犠牲者の方、被災者の方そして、関係各位の皆様の苦難を

無駄にはしたくないものです。




  

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Posted by フューネ三浦 at 08:23 │日々いろいろ

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2016年04月19日

高齢者が部屋を借りられない

最近は高齢者が賃貸のアパートやマンションを借りるのが、難しく

なっています。息子や娘さんの連帯保証人が付けば、まだ話は別

ですが、保証人なってくれる人が高齢であれば、貸すほうは

貸したがらないですし、そもそも独居老人においては保証人に

なってくれる人すらいないのが現実です。

しかも、ここでいう高齢者とは60歳くらいからの年代まで含まれます。

平均寿命が90歳という時代に60歳を高齢者と言うにはいささか

早すぎの感がありますが、大家さんのリスクの想定にはある問題が

あるのです。

それは「孤独死」です。

これまでに「感動葬儀。」ブログで何度も孤独死のことを

取り上げてきましたが、孤独死をされると本当に大変です。

半ば腐乱した状態で発見されれば、部屋の清掃も半端ない状態ですし、

孤独死をされた部屋を次に貸すには大家さんにとってはとても大変な

ことです。私は仕事の上でこれまでに何度も孤独死の現場に立ち会って

きましたが、毎回、大家さんの悲痛な顔を見るとアパート・マンション

を高齢者に貸すということのリスクは充分に理解はできるのです。



実際のところ、郊外に建てた一戸建ての住んでいる子供が独立している

ような老夫婦が、老朽化して部屋が余っているような状態から、都心の

駅から近いマンションに引っ越したいという需要が想定できるの

ですが、貸す側が貸したくないと言ったことが起きているのです。

つまりは高齢者が安心して借りることの出来る仕組みが日本において

まだまだ完成されていないのです。

近年、高齢者向けに

「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」

という都道府県単位で認可・登録された賃貸住宅が増えてきています。

サービス付き高齢者向け住宅の特徴は、一般的な賃貸住宅よりも

高齢者が住みやすく、借りやすいことです。

しかし、一般的な賃貸住宅に比べ家賃が高いというデメリットもあり、

連帯保証人を求められるという点では一般の賃貸住宅と変わりません。




超高齢化社会の中で起きている様々な問題を解決していくことも

今や葬儀社の役割の担いの一つになっています。

今度も高齢者の方が安心して部屋を借りられる仕組みを作っていかな

ければいけません。

  

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Posted by フューネ三浦 at 08:15 │日々いろいろ

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2016年04月17日

熊本地震に思うこと

熊本県を中心に九州各地を襲った今回の大地震は

阪神淡路大震災と同等の規模の大きさであり、本当に大惨事に

なってしまいました。

「災害は忘れた頃にやってくる」という格言はありますが、先日は

東日本大震災から5年ということで被災地各地で追悼行事があった

ばかりでもあり、人々の意識の中では他人事ではなかったはずですが、

「まさか」というのが本音であり、結果的に「想定外」になって

しまったことは事実でしょう。以前のブログ記事にも書いた通り、

災害は想定外を想定しなければ、対応することはできません。

九州にある原子力発電所は重要免震棟の建設もコスト面のことも

あり、建設をしないで再稼働にこぎつけましたが、今回の大地震の前

に果たしてそれが正しいのか、再度想定をする必要があるでしょう。




実は今回の地震が起きる前日に私は「終活」のセミナーの講師として

招かれた講演会で、2011年3月11日以降日本人の死に対する価値観

が変わったいうことを多くの聴衆の前で語ったばかりでした。

「人は誰でも必ず亡くなる」

という誰もどうすることも出来ない自然の摂理に実感を持てたのが

2011年3月11日という日が境でした。

それ以降、自身の人生の終わりを見つめ直す活動としての「終活」

の動きが一気に加速していったのです。

今回の大震災でさらに人の死という価値観も変化をもたらす

と思います。

東日本大震災の時は約2万人の死者、比べれば今回は

500分の1の被害という計算にはなりますが、そんな計算式で

判断しても何も意味がありません。

なぜならば、家族にとって家族が「死んだ」という事実の大小は

ないからです。「死」ということが尊いのは一人一人の人生の尊厳が

そこにあるからであり、死にまつわる物語の価値は変わらないのです。



今回被害に遭われた皆様のご冥福を心よりお悔み申し上げます。






  

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Posted by フューネ三浦 at 08:32 │日々いろいろ

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