2013年06月11日

災害と終活

南海トラフ地震の被害を想定すると、太平洋沿岸を強い揺れと津波が襲い、

最悪の場合死者が約32万人に上ると見積もられています。

30mを超える津波が太平洋沿岸の日本を代表する都市を襲い、

それに対応する防潮堤を作るのは極めて困難なことです。

今、何故このように私たちがびっくりするような数値がでてくるかといえば、

以前の想定では想定を想定よりも低く見積もっていたからに他なりません。





将来来るかもしれない災害に対して、この様な想定が出来るのは

まだ東日本大震災の教訓を私たちが忘れていないからなのです。

「災害は忘れた頃にやってくる」

という有名な格言がありますが、よく考えてみると日本語の文脈的には

正しくはありません。

正しくは「忘れるから災害が起きる」のです。

事実、東日本大震災でお亡くなりになられた方の大部分は津波の被害に

遭われてお亡くなりなりました。家屋等の崩壊でお亡くなりになられた方は

わずか1割だったそうです。

被災者の多くの方は津波の怖さを過小評価していました。

その結果、地震が起きてすぐ逃げていれば助かった多くの尊い命が犠牲に

なってしまいました。

あってはならないことですが、もしも、東北地方に再び東日本大震災と

同じ規模の地震がきたらどうでしょう。

私たちはあの地震を忘れてはいませんから、多くの人が逃げて先回のように

多くの命を失うことおそらく無いはずです。

人は忘れるから災害に遭うのです。

災害に遭わない為には「備え」が絶対に必要なことなのです。




日本人は平時に「死」について語ること、備えることを忌み嫌ってきました。

言霊の影響もあるのですが、そもそも死について想定することが不謹慎と

いう習慣でした。

昨今、自分の「死」について見つめる「終活」が大きな話題となって

いますが、「終活」がこれほどまで注目されるようになったのは私は

東日本大震災の影響が大きいと思います。

東日本大震災を目のあたりにした多くの日本人は嫌でも自分の死に

ついて考えさせられました。そして、災害同様、想定をしないことが

どれだけ生きていくうえで危険な行為か身をもって実感したのです。

災害に対する備えも自分の死についての備えも本質的に一緒です。

ですから、「終活」という言葉に代表されるように自分の死を想定すること

への抵抗感が多くの日本人にとってタブーでは無くなったのです。



お葬式の現場では実際に身内の「死」を迎えたご遺族様でも

余命宣告を受けたいわゆる想定している「死」と事故や自殺などの

想定していない「死」では動揺ぶりが全く違います。

「死」を想定することは日常の生活を豊かにするうえでは絶対に必要な

ことだと思うのです。

大震災後、自宅に常備する方が増えた「非常用持ち出し袋」と同様に

自分の死を想定して書き記した「エンディングノート」が同じところに

並んでいなければおかしいと思うのです。













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Posted by フューネ三浦 at 09:08 │コメントをする・見る(0)終活の教科書
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