2019年04月29日

「命」の大切さを伝えること。

葬儀の仕事はお客様の人生の終わりをいかにして表現をする仕事と

言っても間違いないのですが、このことに囚われていると本当に大切な

本質を見失うことに繋がります。

本質的には「命の終わり」の現実であり、「命」が終わることは本人は

もちろんのこと、その人を知る関係者にとって悲しい現実なのです。



葬儀の現場では100歳を超えてお亡くなりになられるいわゆる大往生

と呼ばれる長寿の命を全うされた方から、この世に生を受けた日が

命日という赤ちゃんまで様々です。

単に時間の短い長いを議論していても命の価値は正しく図ることは

できませんが、100歳超えた方でももっと生きたいという願望は

ほとんどの方が持っており、「100歳だから大往生で良かった」という

自分の感じた価値観は絶対に口にすることはタブーなのです。



葬儀という仕事に従事している人が「命の大切さ」を疎かにすることは

不適格です。もしもそのような人は葬儀業界から退場をして

頂かなければなりません。

アメリカでは葬儀の仕事に従事するには国家資格を取得する

必要があります。命を扱う以上、一定レベル以上の命に対する知識と

技術が必要なのです。



自らの意思で命を絶つ方々は残念ながら、後を絶ちません。

むしろ増加傾向にあるのが悲しい現実です。

命を絶つ決断をした方は冷静さを失っているとはいえ、命の大切さを

忘れてしまっていることも事実です。

「死んでもいい」と思えるくらいな辛いことも悲しいことも起きるのも

この世の現実ですが、それでも生きていくことは神様から与えられた

使命であることは間違いのない事実です。



封建時代は「死んでお詫びをすること」が一つの美学であった

時代です。現代でも重大な犯罪を犯した人が死刑という刑罰を受けて

「死」を強制させられますが、死は償いの行為であることは様々な方が

疑問を呈しています。

どんな極悪な犯罪をした人でも親から貰った命を限りある限り

生きて償うことが、「命の大切さ」を語る時にとても賛否の分かれる

難しい問題です。

そのようなことを含めて忙しい日々を送っていく我々が「命の大切さ」

を考えることは豊かな人生を送る為にはとても重要な事柄です。
















  

Posted by フューネ三浦 at 09:15 │日々いろいろ

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2019年04月10日

平成時代に普及した葬儀会館

いよいよ、4月30日で平成の世も終わり、「令和」という新しい時代

を迎えます。平成時代の30年間は近代の日本において唯一、

戦乱に直接巻き込まれなかった時代であり、戦争の無い時代と

いういうのは文化レベルが発達すると共に豊かさを享受できる時代で

あったはずです。

平成時代に普及したものはたくさんありますが、大きなところでは

電話とカメラでしょうか。持ち運びが出来て映像も画像もストレスなく

受送信できる現在の世情は平成の初期には考えられないことです。

技術の進化はAIや決済も現金を必要としない世の中になる令和の時代

を予見していますが、そのインフラを構築できたのは平成の世で

あったはずです。



さて、葬儀の業界も平成の時代に革命的な変革がありました。

それは「葬儀会館で葬儀を行う」という文化が確立したことです。

弊社の一号店である葬儀会館「葬場殿」が誕生したのは

平成5年のことで豊田市では他社に先駆けて初でしたし、

愛知県内でもかなり初期のことでした。

葬儀会館ができた一年目、葬儀会館のシェア率はわずか3%で

多くの方から「ミウラさんがあんなもの作ったけど、葬儀は自宅

やお寺でやるに決まっとる。潰れれるで」

というお言葉を頂きました。

当時は自宅や寺院でお葬儀をすることが常識であり、民間の会社が

葬儀の専用会館を作る意味が残念ながらお客様には浸透

をしなかったのです。

平成の時代が終わる現代では葬儀会館での葬儀のシェア率はフューネの

場合は98%でいかに普及をしたかは説明するまでもありません。

しかしながら、「お葬式は葬儀会館でするもの」という現代の常識は

昭和の時代には全くなかったということはご理解頂きたいのです。

つまり、葬儀の歴史において「葬儀会館」は平成の時代の象徴的な

ものになのです。



令和という新しい時代には葬儀のあり方も平成の時代に生まれた常識が

覆されそうな予見が表われはじめています。

時代の変化から生まれる新しい常識にフューネという会社は絶えず

チャレンジしていきたものです。








  

Posted by フューネ三浦 at 13:17 │お葬式の知識日々いろいろ

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