2016年08月30日

このブログのヘッダーにも描かれている蝶は昆虫の中でも美しいと

されていてその他の昆虫とは別格な扱いをします。

フューネのテレビCMでも亡くなったおじいちゃんが天に召されると

いう表現を蝶を使っています。



日本に限らず、世界中の国々でに蝶は人の死や霊に関連すること

を表現しているのです。キリスト教では蝶は復活の象徴とされ、

ギリシャでは蝶は魂や不死の象徴とされています。

蝶に霊魂を見るのは世界の人々の共通なのです。



ところで、蝶を蝶を数え方ですが、正しくは一匹、二匹ではなく、

動物学上は馬や牛のように一頭、二頭と数えます。

これは牛などの家畜を"head"(頭)で数えます。そして動物園で

飼育されている動物を数える際にも"head"を数えるようになりました。

動物園に飼育されていた蝶も"head"で数えるようになり、20世紀初頭

に日本語に直訳(誤訳)したものが現代の日本語に定着したいう

ことです。

但し、なぜ「頭」で数えるのかということは諸説ありますので参考

までにしてください。



どちらにしても通常の昆虫とは別格の扱いを受けている蝶は私たちの

生活に潤いを与えてくれている生き物です。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:09 │日々いろいろ

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2016年08月28日

会員様

葬儀というサービスを提供している企業では、いまやほとんどの企業で

何らかの会員制度が設けられています。

毎月、数千円を掛け金を掛ける互助会やフューネの会員制度のように

入会金を払い入会すると割引が受けられるもの。

保険や信託といった仕組みについてくる会員制度もあります。




葬儀社が各種の会員制度の仕組みを大切にしているのは、ズバリ

顧客の囲い込みなのですが、顧客の囲い込むのにはやはり、大きな

理由があります。葬儀社が施行をする葬儀の大半が会員様からの

ご依頼もしくはご紹介だからです。

フューネにおいても70%のお客様は会員様であり、私が以前勤めて

いた互助会では80%を超えた方が会員様でした。

それくらい、会員様というのは企業にとって財産であり、会員様は

自社のファンクラブといっても過言ではありません。

本当にありがたい存在なのです。



葬儀という商品の性質上、大々的に宣伝をし、事前に生前の契約や

予約をするということは多くのお客様にとって抵抗のあることでした。

しかし、自社会員の獲得という名目で実質的に葬儀という商品を

販売することが出来、積み上げてきた実績が多くの会員様ということ

です。




実際に葬儀を行うならば、どこかの葬儀社の会員に入会をしたほうが

絶対にお得です。フューネにおいても会員様と非会員様の葬儀の値段

は20万円を超えることもあります。

どこかの会員になるのは縛られているようでめんどくさいというお声も

あると思いますが、会員の権利も使うのも使わないのもお客様の自由

です。中には葬儀社の会員だけで5社以上の会員に入会されている

お客様もいらっしゃるのですから、数社の会員に入会されていることは

私たち葬儀社からしたら、何も不思議なことではあります。




問題は会員様にいざという時にフューネという会社を選んで頂けるか

どうかです。もちろん選んで頂けるようにフューネという葬儀社は日々

精進しています。

会員様に絶対に満足して頂けるようにこれからも頑張っていきます。

  

Posted by フューネ三浦 at 08:49 │フューネ(会社)のこと

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2016年08月26日

立ち仕事 座り仕事

葬儀会館で葬儀をするようになって、お客様がなんだかんだと楽に

なったことの一番は「椅子に座ることが出来る」

ことではないでしょうか。葬儀会館以外でのお葬式では式典の間は

正座をしなければならないような場所が多く、1時間近くの正座は

本当に慣れていない方にとっては苦痛以外の何物でもありません。

通夜やお葬式が終わって立ち上がろうとした瞬間に痺れた足が

感覚が無くし、そのまま転んでしまうということはお葬式の場面では

よく目にする光景です。これがフューネの葬儀会館は畳敷きの和風の

式場であっても椅子席なので、ほぼ起こらない光景なのです。

葬儀会館の利便性の一番を暑さ・寒さをしのげることだとお客様からの

意見としては一番多いご回答なのですが、葬儀のプロの目からすると

椅子に座ることの出来る利便性のほうが勝っていると感じます。

さらに、付け加えれば、一般の弔問者も座れるという利便性を充分に

享受していると思います。

自宅や寺院なのではスペースの問題もあり、遺族や親族の皆さまは

建物の中に入ることが出来ても、一般の弔問者は外で立っていなければ

ならないことのほうが現実的に多かったのですが、葬儀会館でのお葬式

は一般の弔問者の席まであるのが「あたりまえ」です。

自宅や寺院でお葬式を施行すると私たち葬儀社の社員は座り仕事が

増えます。葬儀の打ち合わせも長時間正座をしていなければならない

場面がぐっと増えますし、場所の狭さから待機中も座っていなければ

ならないような場面が多々あります。

一般のお客様は立っているのに葬儀社の社員は座っているなんてことも

多いのです。




葬儀会館での葬儀の施行はお客様は座ることが出来るのに、葬儀社の

社員は立っていることが増えます。

何時間も立っているという立ち仕事になっています。

待機中も立って待機をしていることが基本ですし、お客様に対する

各種のサービスを提供する時の姿勢も基本は「立ち」なのです。




葬儀社の社員の職業病は昔から腰痛です。

腰痛は腰痛なのですが、昔は重いものを持って腰痛になる社員が

多かったのですが、現代は立ち仕事で腰痛になる社員が多いのです。

半面、正座が苦手な社員が増えています。

一時間くらいの正座は平気であったのが正座をする機会が少なくなり

30分も苦しいというのが実情でしょうか。

私も本当に正座が出来なくなりました。いかに座り仕事をしていないか

というバロメーターなのですが、30分くらいの正座が出来るスキルは

持っていたいと思うのですが。



  

2016年08月24日

帰る場所

人は帰る場所があるから安心できます。

旅行が楽しいのも、帰るべき場所があるから楽しいのであって、

もしも帰る場所がなかったら、放浪の旅になります。

おそらくホームレスと同じ心情になってしまうと思うのです。





帰る場所は人によってそれぞれでしょう。

故郷であったり、想い出の場所であったり、愛する人のところ

であったりと・・・

死を直前にされた方が単純に「自宅」以外の帰る場所に帰りたい

ということを口にされます。まだ意識のあるうちに体の自由が効く間に

自分の心を満たすことの出来る帰るべき場所に帰りたいと思っている

はずです。




その人らしいお葬式に演出する為に、お亡くなりになられた方にとって

ゆかりのある場所を祭壇に表現したり、写真などを葬儀会館の至る

ところに飾ります。

お客様からもこのようにして欲しいというご要望も多いのですが、

葬儀の担当者がお客様に内緒で準備をして飾らせて頂くことも

多いのです。

お亡くなりになられた方がもう帰れないからこそ、遺族の皆さまが

「せめても」という想いが「感動葬儀。」に繋がって

いくのです。




帰るべき場所に帰れることはとても幸せなことだと思います。

帰りたくても帰れない人は案外多くいらっしゃると思うのです。

例えば、福島の原発事故で故郷に帰れない人。愛する人と別れて

しまい愛する人のところに帰れない人。

帰る場所に帰ることが出来る間は気づかない「大切さ」がそこにある

はずです。

帰る場所がある人は帰る場所を大切にして頂きたいと願うのです。

  

Posted by フューネ三浦 at 08:41 │日々いろいろ

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2016年08月20日

命を活かしきる

「もったいない」という言葉は外国語に訳すことが難しい言葉

なのだそうです。

「無駄」という言葉でも足りない「もったいない」という言葉は

「MOTTAINAI」という国際語に広めたのはノーベル平和賞を

受賞されたケニアのワンガリー・マータイさんです。

彼女が提唱した「MOTTAINAI キャンペーン」は地球環境を守る

エコという観点からもとても大切な考え方なのでしょう。




「もったいない」と感じる日本人の情緒の根源は「命を活かしきる」

ことに尽きると思うのです。

私たち日本人はヒトでもモノでも命を活かしきることが出来てない時に

「もったいない」と感じるものです。





お葬式において、そこに集う人々がお亡くなりになられた方に対して

「命の活かしきった」と判断されるような場合はお葬式そのものが

自然と明るくなってきます。いわゆる長寿を全うしたご老人や仮に

若くしてお亡くなりになられても何かを成し遂げたということが明確に

伝わる時です。

しかしながら、ほとんどの場合のお葬式において「命を活かしきった」

とは言い難いので、結果的にお葬式は暗くなるのです。

そして、悲しくなるものです。




人生において「命を活かしきること」が最高の状態なのです。

それが叶わないとせっかくこの世に生を受けたことに対して

人は「もったいない」と思うのです。

後悔しない人生を送るには「もったいない」が一つのキーワード

なのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 07:56 │日々いろいろ

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2016年08月18日

生前退位

天皇陛下が生前に退位したいというご意向を示されました。

過去の歴史上では天皇が天皇としての役割を果たせない時は

摂政として代役を立てることもありましたし、生前の退位も可能

でしたが現在の憲法の下で「象徴」としての天皇の役割は

様々な問題をクリアしなければならないのでしょう。




生前退位としてはやはり会社や家族の代替わりがあります。

企業においては90歳近い人がまだ現役で社長をされていて、

60歳を過ぎた息子が社長になれずやきもきしているような会社も

存在します。「生涯現役」というフレーズはカッコいいものですが、

事業を円滑に承継するという観点から言えば、正解だとは言い難いもの

です。人は年齢とともに老いていくことは自然の理です。

ですから、元気なうちに次の代にバトンタッチをしなければ

ならないのです。かつては隠居という言葉がありましたが、今では

第二の人生やもしかしたら第三の人生を謳歌しているご年配の方々が

たくさんいらしゃいます。

平均寿命が90歳近くになっている現在では70代はまだまだ現役世代

なのでしょう。しかしながら、70代の子供の世代は40代です。

家庭のことならば、やはり、家督を譲ることが本来は大切なのかも

しれません。




お葬式における喪主の役割は襲名披露の場であることはこれまでに

何度もブログに書いてきました。

しかしながら、家族葬が多くなった現状では葬儀において襲名披露の

役割が果たされているのかという観点で考えてみると甚だ疑わしいと

思わざる得ません。お葬式がそのような場で無くなりつつある現状を

考えると生前に代を代わることを関係者の皆様にお知らせすることの

意義が重要なのではないでしょうか。




「老いては子に従え」

という格言の通り、生きていくことが長寿社会を楽しむ秘訣かも

しれません。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:12 │日々いろいろ

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2016年08月16日

修多羅



上の写真は修多羅(しゅたら)といいお坊さんが袈裟(けさ)の上に

垂らす、装飾用の組紐(くみひも)です。

修多羅は袈裟と袈裟をつなぐ重要な紐であり、この紐が無いと袈裟を

着るのにしまりが無くなってしまい「だらしない」のです。

修多羅はサンスクリット語では「スートラ」といい、「スートラ」が

なまって「しだら」になります。これに否定をつけると「だらしない」

という言葉が生まれました。

「だらしない」という言葉は仏教用語から派生しているのです。




サンスクリット語で「スートラ」と言う修多羅は「お経」そのものを

表しています。私たちが修多羅に手を合わせるのはお経をそのものに

敬意を表していることと同じなのです。

本来の「スートラ」という言葉の意味は、織物の縦糸という意味で、

過去・現在・未来へと縦に貫いている不変なものを表わして

いるのです。

縦の糸はどんな時代になっても変わらないものを表現し、横糸は

常に移り変わって行くものやあてにならないもの、つまり私たちの

生活を表していると言われています。

修多羅が縦の糸で構成されているのは、変わらない命の伝承や

お経に書かれている教義を表現しています。

「お経」というのは、永遠に変わらぬ普遍的な真理を表わす言葉

なのですから。




昔のお葬式ではご年配の方が修多羅に手を合わせる光景がよく

見られましたが、最近では本当にこのような光景を見ることが無く

なりました。

修多羅の意味の伝承がうまくいっていないことやそもそも、

修多羅を有り難いと思わなくなった人々が増えているからでしょう。

意味を知ることでお葬式もまた、一つ楽しみが増えるのですが

いかがでしょうか。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:15 │役立つ雑でない雑学

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2016年08月14日

ベスト3

リオオリンピックでは過去最高のメダルラッシュで、本当に

うれしいものです。毎日のようにメダル獲得の知らせに日々の暗い

ニュースから解放されたすっきり感を感じてしまいます。

地元豊田市出身で私と同じ中学校の出身である羽根田卓也選手が

カヌースラロームカナディアンシングルで銅メダルを獲得しました。

日本のカヌー競技では初の快挙であり、本当に栄誉なことです。

羽根田選手が初めてオリンピックに出場した北京から後援会に

入会して応援してきた私にとってもうれしい知らせでした。

世界3位に入ることの凄さと難しさは素直に喜ぶべきだと思います。




さて、最近の企業の経済活動の中はますます厳しさを増しています。

時代の流れの中でつい最近まで新しかった流行がわずかな時間で

終焉を迎え、時代に合わなくなる。

これまでの業態から変化をし続けなければ、安定が一瞬の間に危機に

変わってしまうのです。

そして、生き残る為に企業が合併などを繰り返し、大きくなって

いきます。今はそれぞれの分野の市場において上位ベスト3に

入っていなけれれば淘汰される風潮です。

例えばコンビニにおいてはセブンイレブン・ローソン・

ファミリーマートといった上位3社はかろうじて生き残れるのですが、

それ以外のコンビニチェーンの淘汰がはじまっています。




オリンピックを見ていても世界1位と2位ではかなりの価値の開きがある

ことは明白ですが、私は3位と4位の差のほうがもっと開きは大きいと

思うのです。この生命線は勝ち組か負け組かの天地がひっくり返る

ほどの開きなのです。本当に金銀銅という3位までが貰うことの出来る

メダルの仕組みはよく出来ているものだと思うのです。




葬儀社においても市場シェアが一定の地域でベスト3に入っていないと

生き残れない時代に入ってきたと感じます。これからは市場シェアが

高い葬儀社はより高く、低い葬儀社はより低くなっていくでしょう。

豊田市という一定のエリアでフューネという葬儀社の地位を確保する

には絶えずベスト3に入っていることが大前提です。

そしてそれを維持することがどれほど大変なことか想像できます

でしょうか。

ベスト3に入り続ける為には愚直に「感動葬儀。」を貫くこと。

そしてお客様に評価を頂くこと。それだけです。



今回銅メダルを獲得された羽根田選手にオリンピック前に

お会いした時に次回の東京までは頑張ると言ってました。

現状の栄誉に満足することなく先を見てこれからも挑戦者として挑戦を

していって欲しいものです。

私たちのフューネという会社も絶えず挑戦者であり続けたいものです。







  

Posted by フューネ三浦 at 08:24 │フューネ(会社)のこと

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2016年08月10日

自宅に帰らない

最近のフューネでお葬式をご依頼されるお客様の大半がお亡くなりに

なられた場所からご自宅に帰らなくなってきました。

現状はピーク時より減ってきたとはいえ、お亡くなりになられる場所の

一位は病院で約80%の割合です。そして、近年増えてきているのが

いわゆる老人ホームと言われる各施設でお亡くなりになられる方です。

国は今後の医療費のさらなる増大や施設不足を補う為に自宅での

終末介護を推奨し始めていますが、まだまだ現実的ではないようです。




自宅に帰らないということはほとんどの場合、お亡くなりの場所から

葬儀会館に直接入られるということです。

葬儀会館に直接入ることの一番の利点は「煩わしくない」

いうこと。ご自宅に帰るということは一定レベル以上はご自宅を綺麗に

しなければならないし、家族以外の他人がご自宅にお越しになられる

ことを煩わしく思っていらっしゃる方が意外に多いのです。

また、自宅に帰れば隣近所の方に亡くなったという事実が知られて

しまうこともあり、近年では家族葬でやりたいという希望の方にとって

敬遠される理由でしょう。

そして、季節的な要素もあります。

特に今の季節は一年で一番暑い時期であり、冷房の効いた葬儀会館

のほうが良いと希望されるのです。

季節的に暑い時期、寒い時期は葬儀会館に直接入られる方は増加

します。




現代において自宅は完全なプライベートな空間だと考える方が

増えています。つまり、家族以外の誰も中に入れたくないという考え方

です。親戚も自宅に招きたくないというニーズがある以上、葬儀会館

の役割は今後もますます、自宅の応接間の延長としての利用が推進

されて行くでしょう。

  

Posted by フューネ三浦 at 08:09 │お葬式の知識

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2016年08月08日

喫茶店の変化

地元名古屋のコメダ珈琲が株式を上場して日本中に注目を集めました。

今や関東や関西もコメダの珈琲店があり、名古屋式のモーニング

サービスも浸透して来ています。

名古屋を中心とした愛知県は元々は喫茶店の多い土地柄であるの

ですが、近年は様々な大手チェーンの喫茶店が豊田市にも出来て

います。

自分の好みに応じて様々な喫茶店を楽しめることはとても楽しいこと

でしょう。

喫茶店は単に珈琲などの飲み物を楽しむことだけでなく、新聞や雑誌

漫画などを読むことなどの時間潰しや、人に会い会談する場所で

あったりと日常の中の非日常な空間だと思うのです。

この空間を買うために多くの人々が喫茶店を利用しているのです。

喫茶店で飲み物を買うことで得られる空間の価値を

マーケティング用語で「ベネフィット」と言います。

ベネフィットとは「製品やサービスを利用することで消費者が

得られる有形、無形の価値のこと」という定義があります。

単に飲み物が欲しいならコンビニや自販機で買えば良いのですが、

何倍もの高い値段の飲み物をあえて買うのは「ベネフィット」が

あるからなのです。




大手の喫茶店チェーンに押されて、夫婦2人で営んでいるような

小さな喫茶店が少なくなりました。

小規模な喫茶店だからこそ、家庭的で豪華に出来たモーニングサービス

も姿が変わってきています。

消費者も喫茶店に求める本質は変わらなくても、新しいスタイルの

喫茶店を絶えず求めているのです。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:16 │日々いろいろ

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2016年08月06日

応援

スポーツ観戦において、「応援」という要素は切っても切れない

ものです。贔屓のチームを応援することで、ゲームの流れを選手

と共有することができますし、「熱中」「高揚」といった

気分は日常のストレスを振り払うのには絶好の機会でしょうか。

応援ということはスポーツ観戦に限りません。人は何かしらの行為で

誰かを応援していますのです。

辞書によると応援の定義は「力を貸して助けること。」

ということです。

確かに応援するということは何かしらの手段で力を貸すこと

なのでしょう。さらに言えば、相手に見返りを何も望まないことが

応援するということでしょう。元来、応援とは一方通行の




お葬式に参列をされる方というのは応援されていた人、

応援していた人の集まりだと言えます。応援の対象はお亡くなりに

なられた人に限らず、喪主様はじめご家族の皆さまであったり

するのです。

応援者が参列に来てくれることは悲しみにくれる人々にとって

とても力を頂けることなのです。参列をすることが力を貸してあげる

ことなのです。

グリーフケアという観点から考えれば「頑張って」という

言葉をかけることは絶対に禁句なのですが、応援という観点から

考えると「頑張って」という励ましの言葉は力を頂ける言葉である

はずです。





人は誰かを応援し、応援されて生きています。

応援の声援が力に変わるからこそ、乗り越えられる苦難があるはず

です。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:34 │お葬式の知識

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2016年08月04日

眼鏡

人間の体の中で、最も早く老化現象が起きるのが「目」だと

言われています。10代の前半で起きてくると言われていますが、

昨今のテレビパソコン・ゲームなどの普及で実際には6歳くらいから

目が悪くなる人が多いのです。

思えば私も小学校の低学年の頃から、眼鏡をかけていました。

今では裸眼では日常の生活が出来ないくらい目が悪いので、

眼鏡が手放せません。

眼鏡は最早、体の一部だと言っても過言ではありません。



人生の大半で眼鏡をかけてきた人にとって眼鏡はその人そのものである

とも言えます。その人にとって人生の終焉を迎えた時には遺品として

「愛用の眼鏡」になるのです。

多くのご遺族の皆さまからお棺の中に入れてあげたいものとして

「眼鏡」をリクエストされます。お亡くなりになられた方の象徴とも

言える愛用の眼鏡を入れてあげたいという感情は当然といえば

当然のことです。しかしながら、眼鏡は火葬場の規約により、入れる

ことが出来ないのです。実際にこっそり、入れてしまうお客様も

いらっしゃるのですが、収骨の際に眼鏡のフレームはそのまま残って

しまい、火葬場から怒られますし、さらに問題なのはレンズが溶けて

骨と骨がくっついてしまいます。




眼鏡を入れて火葬をすることはできませんが、お棺の中に入れること

はいけないという決まりはありません。火葬炉の入る直前までに

お棺から出せばよいのです。ただ単に「入れられません」という

葬儀社の対応が多い中で、できる限りのお客様の心情を汲んだ

対応をすることがとても大切なのです。それが「感動葬儀。」

に繋がっていくのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 08:45 │日々いろいろ

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