2016年04月17日

熊本地震に思うこと

熊本県を中心に九州各地を襲った今回の大地震は

阪神淡路大震災と同等の規模の大きさであり、本当に大惨事に

なってしまいました。

「災害は忘れた頃にやってくる」という格言はありますが、先日は

東日本大震災から5年ということで被災地各地で追悼行事があった

ばかりでもあり、人々の意識の中では他人事ではなかったはずですが、

「まさか」というのが本音であり、結果的に「想定外」になって

しまったことは事実でしょう。以前のブログ記事にも書いた通り、

災害は想定外を想定しなければ、対応することはできません。

九州にある原子力発電所は重要免震棟の建設もコスト面のことも

あり、建設をしないで再稼働にこぎつけましたが、今回の大地震の前

に果たしてそれが正しいのか、再度想定をする必要があるでしょう。




実は今回の地震が起きる前日に私は「終活」のセミナーの講師として

招かれた講演会で、2011年3月11日以降日本人の死に対する価値観

が変わったいうことを多くの聴衆の前で語ったばかりでした。

「人は誰でも必ず亡くなる」

という誰もどうすることも出来ない自然の摂理に実感を持てたのが

2011年3月11日という日が境でした。

それ以降、自身の人生の終わりを見つめ直す活動としての「終活」

の動きが一気に加速していったのです。

今回の大震災でさらに人の死という価値観も変化をもたらす

と思います。

東日本大震災の時は約2万人の死者、比べれば今回は

500分の1の被害という計算にはなりますが、そんな計算式で

判断しても何も意味がありません。

なぜならば、家族にとって家族が「死んだ」という事実の大小は

ないからです。「死」ということが尊いのは一人一人の人生の尊厳が

そこにあるからであり、死にまつわる物語の価値は変わらないのです。



今回被害に遭われた皆様のご冥福を心よりお悔み申し上げます。






  

Posted by フューネ三浦 at 08:32 │日々いろいろ

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