2015年08月30日

奥様の心情

社員からの「感動葬儀。」レポートより。

その方はA様、67歳でご逝去され、そうそうの森にご安置されました。お供されたのは奥様だけ。とてもお疲れのようでしたが、どこかやっと…という感じもいたしました。ご主人の病名はハンチントン舞踏病。難病指定されている病気です。突然踊り出すような症状に周りから白い目で見られ、ご主人の親戚からは縁を切られたそうで、発症10年間、この難病と向きあい、支えてきた奥様にとっては長くて辛い10年だったに違いありません。
 直接入館されたその日、次の日に通夜を控えご主人を一人残しご自宅へ準備のために戻られました。私共社員の間では「なんて冷たい奥様なんだろう」との声もありました。でも、私は見ていました。奥様がご主人に「今日は帰るけどごめんね。今までずっと頑張ってきたから許してくれるよね。」と、とても穏やかなお顔で仰っていました。
 後で知ったことですが、ハンチントン舞踏病は遺伝の要素があるとのこと。一人息子さんの受験を控えご心配していましたが、もしかしたら、このこともずっと背負っていかれることへの不安もあるのかもしれません。
 ご主人を看るため、昼間は傍で、夜中は仕事をされ、他の方の何倍も頑張られたことに尊敬いたします。



本当に看病する側の負担は相当なものです。

仕事・家庭を両立させた上で看病しなければならないのです。

その為にそばに居たくても居られない瞬間は往々にして生まれる

のです。

葬儀の現場ではしばしば、お亡くなりの方に向かって近親の家族が

語りかけています。お亡くなりの方に対しての感謝や懺悔の言葉も

ありますが、まるで日常の会話を楽しむかのように語りかけている姿

のほうが圧倒的に多いのです。生きている時の普段と何も変わらない

のです。私たち葬儀社はご遺体を「死んでいる」と見ては

絶対にいけません。ご遺族にとってご遺体は生きているものであり、

会話という点においては普段の日常と全く同じであるのです。




お亡くなりになられてから火葬場で荼毘に付されるまでの数日間は

夫を亡くした奥様ならば片時も離れたくないというのが心情でしょう。

しかし、実際にはやらなければならないことがあり、離れなければ

ならないことは現実であるのですが、私たちは少しでも長い時間

そばにいられるようにしてあげることも大切な心づかいなのです。






  

2015年08月28日

成長

成長とは人や動植物が育って大きくなること。物事の規模が発展して

大きくなることという意味があります。

子供の成長には多くの親が喜び、また、野菜などを育てている人は

成長し収穫ができることにうれしさを感じることでしょう。



企業においては「成長」無しでは企業そのものの存続が困難になって

しまいます。結果的に企業を存続させる秘訣として成長し続けていく

ことが重要であり、多くの企業では未来に向けての投資や新商品の

開発、そして人材の教育をすることによって成長を図っています。

同様に経済という観点で考えても「成長」は国家の存続にとっても

必要不可欠であり、GDPなどの数値が上がっていくことは基本的に

良いことでしょう。同時に物価も経済の成長とともに上がっていく

ことは重要なことなのです。

以前は海外に行くと物価が安いことを享受できたのですが、最近は

海外旅行に行ってもあまり安さを感じないことが多いのでは

ないでしょうか。

これは間違いなく日本の経済力が以前と比べて成長が鈍化してきていて

諸外国の国々の経済成長の伸びが大きく日本との差が詰まってきている

証拠です。また日本では長らくデフレの時代が続き、物価が上がらずに

きていたのに対し、諸外国は物価が上昇していった為にかつて日本の

ほうがはるかに高かったモノが気が付けば外国のほうが高いというような

物品が多数あるのです。




成長は止まった瞬間に他者において行かれることを意味しています。

そういった意味では生きているということは成長の連続そのものです。

しかし、人の成長が止まるということはすなわち、「死」であり、人は

死んだ瞬間に成長は停止してしますのです。戦争などで若くして死んだ

親よりもはるかに長生きしてしまった子にとっては親は若いままであるし、

若くして子が亡くなった場合でも親の記憶の中ではその時以上に成長は

しません。



成長するということは「生きる」ということ

そのことはどうやら間違いのない事実です。







  

Posted by フューネ三浦 at 09:05 │お葬式の知識日々いろいろ

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2015年08月26日

メールの向こう側

パソコンが一人に一台の時代はすでに過ぎ、スマートフォンや

タブレットを一人で何台も所有していることは最早、普通なことに

なっています。それに伴い、メールにて連絡や会話をすることが

増えてきました。そして一人の人間が複数のメールアドレスを所有

していることも最早、普通のことですね。

私自身も会社用・持ち運び用・自宅とパソコンだけで3台。

スマホ・ガラケー・ipad・グーグル・ヤフーと8つのメール

アドレスを取得し、所有しています。

目的に応じて使用していますし、頻度の少ないアドレスはメインの

アドレスにメールを転送していますからまず、メールの見落としは

ありませんが、それでも機械の調子の悪い時などは見落としてしまう

のです。そして、そういう時に限って重要なメールだったりします。

また、お客様からメールを頂くことが以前と比べると格段に

増えています。特に最近では遺影写真に使用する元データをメール

にてお客様から頂くことが多く、メールの受信を気づかなくて手遅れに

ならないようにフューネでは公式メールアドレスのみ24時間メールの

監視をしています。



最近はすっかり忘れがちなのはメールを受け取る立場に立って心づかい

をするということが欠けているように思います。メールは電話と違って

相手の忙しさなどの状態も全く無視して送ることができるのですが、

その分、重要なメールでさえも気軽に送れてしまうという落とし穴が

あります。以前ならば、重要なメールを送った場合は電話をかけ、

「メールを送りました。確認ください。」

といった趣旨のことを音声でお伝えすることが大半でしたが、今は

その電話を省略される方が多いのです。

いつしか、メールは送られたら見ない人が悪いというような

風潮に世の中がなってきているのからです。

しかし、本来ならば送った人は自分の都合で送っている訳であって

「見ないのが悪い」という論調になるのはありえないことなのです。

このような考え方になるのはメールの向こう側にいる人のことを

全く考えていないのです。



お客様と葬儀に関するメールのやり取りが増える中で、以前より

議論になっているのが

「お客様はメールで葬儀の依頼をするのか?」

ということがあります。

いまのところ、メールでの葬儀の依頼は1件もありません。

これは人の死に緊急性があるからでしょう。

緊急性の無い、葬儀の事前見積のメールの依頼は年々増え続けて

いるのにです。お客様ですらメールの向こう側(葬儀社)のことを

考えてメールか電話といった通信手段を使い分けているのです。



メールの向こう側にいる人に対する思いやりの欠如は絶対にいつしか

自分自身にしっぺ返しとして返ってくるものなのです。




  

2015年08月24日

分割払い

葬儀代を払えないので「分割払いでお願いします。」

という要望を頂くお客様は少なからずいらっしゃいます。

分割払いというものは今に始まった訳でなく昔からありますが、

今は親のお葬式を立派にして費用がかかりすぎたので分割にする

といった方はほとんどなく、経済的に厳しいお客様からの分割での

お支払を希望されるお客様がほとんどです。

フューネではお客様の経済的な事情を鑑みて、連帯保証人を立てて

頂ければ、金利手数料無しで葬儀代金の分割払いに応じています。

もしくはクレジットカードを利用したローンやリボルディング払いにて

お客様に葬儀代をお支払頂いているのです。




あまり知られていない支払い方法ですが、一部の例外を除き、

ほとんどのクレジットカードでは2回払いという支払い方法が

出来ます。この2回払いという支払いの方法は1回払い同様に

金利手数料がかからない支払い方法なのです。

手元にお金が少ないけれど、保険金などのお金が近々確実に

入ってくるような場合は非常に有効な方法ではないかと思います。

なぜ、2回払いという支払方法の場合は金利手数料がかからない

のかというと根拠となる法律に定義が明記されています。

法律的には分割払いという支払い方法は割賦販売といい、

割賦販売法という法律によって割賦販売の定義が定められて

います。その内容は「2ヶ月以上の期間にわたり、

かつ3回以上に分割して支払う方法」
とされて

います。ですから、クレジットカードの2回払いの場合、2ヶ月以上に

渡りという部分は満たしていますが、3回以上という点は満たして

いないのです。結果、クレジットカード払いにおける「2回払い」は

割賦販売には該当せず、結果としてクレジットカード会社も金利や

手数料を取ることはできないのです。




分割払いというのは正直、受ける会社にとってはリスクです。すぐに

現金化できない為にキャッシュフローが悪くなるばかりか、時に回収

さえも困難になるケースも往々にしてあります。

リスクを承知でお受けするのは人の死というのはある程度、突然で

あり、突然に備える為に葬儀代を生活資金と別に管理している方

ならば大した問題ではないかもしれませんが、現実にはそのような方は

思ったより多くはないのです。結果的に「分割で」というお客様の

お困りごとを解決するのも葬儀社の宿命なのかもしれません。

決して分割払いをオススメすることがありませんが、本当にお困りで

あればフューネに是非ご相談ください。





  

Posted by フューネ三浦 at 08:35 │フューネ(会社)のこと

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2015年08月22日

家庭の事情とお金

葬儀社のターゲットとなるべきお客様はこの世に生を受けている

人すべてです。世の中ですべてがお客様と言えるような業種業態は

ありそうでなかなかないものです。

例えば、本屋さんは本を読まないお客様は絶対に行きませんし、

洋服ですら、男性・女性という分類に加え、年代別に応じてお客様を

選別しています。葬儀社は確かにメインターゲットというべきシニア層

の方はあります。この世に生を受けたばかりの赤ちゃんですら、

「死ぬ」というリスクがあり、リスクが発生すれば、お客様にとっては

葬儀社に対して需要が発生し、私たち葬儀社は葬祭サービスを

供給する責務があるのです。



誰もがお客様となりえる状況の中で、私たち葬儀社が葬儀の仕事を

通じて垣間見ることができるのは「家庭の事情とお金」

なのです。その家庭にとって知られたくない事も見えてしまうのです。

普段は日本人として通している方が国籍が外国人であったり、女性だと

思っていた方が男性であったりということも日常茶飯事のことであり、

夫婦間の不仲や嫁・姑間の争いも見えてしまうのです。

さらによく見えるのはその家の経済状態であり、何百万円のお金を

ポンと頂けるところもあれば、わずか1万円のお金ですら、支払いに

苦慮する家もあります。当然ながら、人の死に対してはご遺体を葬る

ことに最低限度のコストが必要であり、資力の無い人は行政が保障する

生活保護費から葬祭費を支給して頂く方もいらっしゃいますが、本当に

家庭をとりまくお金の事情は本当に様々です。

私たち葬儀社は自分の金銭的価値観でお客様を見てしまうことが

絶対にしてはならないのです。





お金があっても身内のお葬式に1円出す気が無い人は私たちが想像して

いる以上に多いのが現実です。様々な家庭の事情はあると思うの

ですが、それを良い方向に解決できない時、私は葬儀社として無力感を

感じてしまうのです。






  

2015年08月20日

「安さ」の求め方

ニトリさんの「お値段以上」というキャッチコピーは

本当に素晴らしくニトリの商品を表現している名コピーだと

思っています。と同時にお客様は高い・安いの判断はいつも

「お値段以上」というモノサシで判断をしているのだということも

気づかされます。

例え、100円という値段の商品であっても、お客様自身の価値感の

中で100円以下であると思えば、「高い」ということになりますし、

100円以上の価値があれば、「安い」ということになるものです。




葬儀においても「葬儀」というものが商品である以上、「高い」

「安い」という価値基準は存在します。

特に葬儀という商品の場合はモノの値段というよりはそこで

提供されるサービスの良し悪しが「高い」「安い」という判断の基準に

なっているのです。つまり、歌手のコンサートや演劇などの観覧後に

得るチケット代に対しての満足度に評価としては近いものがあるのでは

ないでしょうか。

おかげさまでフューネは長年高いリピーター率を誇っています。

リピーターになって頂ける価値基準は間違いなく「お値段以上」で

あるからできることですし、これからもお値段以上の満足感をお客様に

提供していかなければなりません。



ところで、今の時代、価格の安さだけを売り物にする葬儀社やネット

での斡旋業者が増えています。確かに「葬儀代20万円」

などという値段のインパクトは高いのですが、果たして満足度まで

高いのかということは本当に疑問の残ることなのです。

いくらチケットが安いと言っても、プロ野球の2軍の試合を観て満足

できるのか。ヒット曲のない歌手のコンサートに行って果たして

満足できるのか。

もちろん、満足出来る方は何も問題はありませんが、多くの方に

とっては満足できないのではないかと思います。

お葬式も同じようなことだと言えるのです。




私たちは「安さ」の求め方を間違えてはいけません。

ご自身にとってお値段以上のことであれば、たとえ一万円のランチでも

安いですし、お値段以下であれば500円のランチでも高く感じます。

この原理原則は多くの方が共感されるはずなのに、こと葬儀の事になる

とこの原則を忘れてしまうお客様多いのは普段から葬儀をこと何も考え

ていない方に起きるどうしてあげることもできない不幸なのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 09:30 │お葬式の知識

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2015年08月18日

葬儀社社員の暑さとの戦い

連日、暑いを飛び越えて酷な領域になっている夏の暑さ

外にいるだけで容赦ない汗が体中にまとわりつき、炎天下に

立っているだけでふらふらになる現状では熱中症の危険もあり、

クーラーの効いた室内にいたほうが良いというレベルです。

私たちは最早、クーラー無しの生活は考えられないのですが、

中にはクーラーの風がどうにも合わない方もいらっしゃり、この暑さの

中でもクーラー無しという方がいるのです。




葬儀会館の普及に伴い、今では日本のお葬式のほとんどが葬儀会館

になり、真夏でも大変涼しいところでお葬式が出来る環境となって

います。しかし、お客様のご自宅にはエアコンの無い部屋は無数

にあり、家族が主に過ごす寝室やリビングにはエアコンが設置されて

いるのに、ご遺体を安置するような和室などにはエアコンの設置が

ないというお宅は結構多くあるのです。

葬儀社の社員は基本的に真夏でもスーツにネクタイ、そして上着の着用

が基本ですが、お客様にお許しを頂いて上着を脱がせて頂くことは

あります。しかしながら、ご自宅のでの納棺式や葬儀会館に向けての

出棺にはどんなに暑くても上着も着用した状態で行わなければ故人に

対し大変失礼だと考えています。

実際に真夏にクーラーの無い中でスーツを着用するのは本当に暑く

汗はまさに滝のような状態です。しかしながら、プロとしては汗を顔に

かいてはいけません。

首から下の見えないところで汗をかくことを私も先輩から

学んだのです。そんなことができるのかと思いましたが、不思議な

もので、これは訓練をすると不思議と出来るようになってきます。

もちろん全く汗をかかないということはありえませんが、暑くても

さわやかな顔は作ることができるのです。




汗の処理と同時に気を付けないといけないのがニオイです。

お客様と直に対面する接客業である以上、ニオイのコントロールも

エチケット以上に大切なことです。

「暑さに負けないさわやかさ」

これがお客様に提供できたら、暑さとの戦いに勝ったことに

なるはずです。












  

Posted by フューネ三浦 at 08:26 │フューネ(会社)のこと

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2015年08月16日

見えないものと繋がる お盆

毎年、この時期は民族大移動と言っても良いくらい、多くの人が

故郷を目指して移動をします。故郷に帰れば、日本中に散らばって

いる親族も集まり、お墓ではご先祖さまとの対面も済ますことが出来る

ことが出来る貴重な一週間なのです。

日本人の宗教感の中で、あの世に行ったご先祖様が自宅に帰ってくる

と古くから信じられている訳で帰ってきた見えないはずのご先祖様と

一緒に食事をしたり、リビングで寛いだりすることは自分はここに

いるというルーツというか立ち位置の確認ができる瞬間です。

フューネにはお客様からお盆に関するお問い合わせを毎年多数受付て

います。仏壇の飾り方から、お寺様へのお礼のこと。特に初めてのお盆

を迎えられるお宅にとってはお盆の諸行事もわからないことだらけで

ありそれをひとつひとつ丁寧に説明するのも私たちの重要な

仕事なのです。




今年のとあるお客様からのご質問。

「子供が出来たことをお盆の集まりで
言っていいのでしょうか?」

親戚が集まるところで「おめでた」をご報告することは良いことで

ありますし、ご先祖様がご自宅にいっらしゃるなら尚、素晴らしい

報告になるのではないかと思います。

過去・未来を通して見えないものと繋がっていることがどんなに

心強いのかということを実感できるはずです。

物事には目に見えるものと目に見えないものがありますが、本当に

大切なものは目に見えないものではないでしょうか。



目に見えない大切なものを大切にするお盆という慣習がどんなに

時代が変わっていっても、変わらずに私たちが大切に守り続けて

いるのは「目に見えない大切なもの」がどんなことか

解っているからです。

お盆というものは単に仏教の仏事を超えた日本人の心の根を

再確認できるものなのです。

  

2015年08月14日

戦後70年とお葬式

戦後70年の節目の今年は改めて「戦争とは?」「平和とは?」

ということを考えさせられる企画がメディアを通じて行われています。

同時に国会では安保法案についての審議は大揺れであり、法案が

通ることでまた悲惨な戦争に巻き込まれるのではないかという

国民の疑心が大きなうねりとなっています。憲法の解釈上で行われて

いる専守防衛の考え方は正しいと思いますが、約70年前にはなかった

大陸間弾道ミサイルなどの現代の兵器の前ではやられたら国が一瞬で

滅んでしまうほどの威力の中で、自分自身が自ら守ることの必要性は

あるのでしょう。難しい問題だとは思いますが、

「平和」はタダであるという考え方だけは間違った解釈だと

思います。



戦時中に日本国民が払った大きな犠牲の上で成り立っている現代の

平和は金銭的価値ではなかなか支払うことは出来ないのでないのでは

ないでしょうか。それでもその苦労に報いる為に支払った退役軍人に

対する恩給の仕組みはやがて公的な年金制度になり、今はその制度すら

疲労しています。戦後70年とは戦後間もなくの頃の時代背景とは全く

変わっているのに憲法を含めてその頃の制度が何も変わらないことに

諸問題があるのです。




戦時中のお葬式は遺族の方にとって大変心残りのものでした。

極端に物資が不足する中、大切な方を失っても満足に弔いが出来な

かったのです。お棺すら手に入らなくて、ご遺体に油を直接撒いて

野焼きで火葬したり、仏壇はミカン箱のようなダンボールで代用

したりという現実でした。それでもまだ供養をされた方はまだ良い

ほうで、身元不明者や路上で野垂れ死なども多数いた現状です。

戦後、満足に供養できなかったという多くの国民の不満が

「祭壇は立派に」「町内・友人・知人多く参列して貰う」

「お棺は立派に」「食事は豪華に」「お寺様をたくさん呼ぶ」


というニーズが生まれ、戦後復興・高度成長期に葬儀は派手になって

いったのでした。

その流れの中で昭和のバブル経済で日本のお葬式の文化はピークに

達し、日本各地でお金をかけた葬儀が行われていました。

現代の大手と呼ばれる葬儀社は少なからずこの時代の恩恵を受け、

その原資で勢力を拡大していったのも事実なのです。

言ってみれば、戦後の葬儀文化の隆盛は戦時中の供養の出来なかった

ことの不満の裏返しなのです。



戦争を知らない世代ですら、還暦を迎え、70歳近くになった現代の

喪主たちは当然、戦中の供養に対する不満など抱いている訳では

ありません。不満がない人にとって葬儀を必要以上に華美にする

必要性は全く感じないのでしょう。結果的に現代の葬儀のニーズが

「質素に」「集団ではなく個で」という流れになっているのは一言で

言えば現代の世情なのです。




これまでのお葬式の流れですら、戦争とは無関係ではありません

でした。平和の時代が続くと供養すら質素に、そして供養出来ないと

いうことが考えられなくなるのです。但し、東日本大震災の時に

多くの被災者が満足に供養できなかった不満は戦時中に多くの方が

感じた不満と共通するものがあったのです。

結果的に被災地では供養やその後の葬儀に対しては戦後の日本と同じ

ようなニーズが生まれているのです。








  

2015年08月12日

あるもので対処する

葬儀会館のお葬式が主流になってからは葬儀の担当者は随分と楽が

できることが増えてきました。

一番は暑さ・寒さに関係なく仕事が出来ること。

そして、モノが揃っていることです。

寺院・自宅・集会所などのいわゆる出張型の施行形式は言わば

引っ越し屋さんのような仕事であり、モノを運んで組み立てる、

そして、片付けてまたモノを運んで帰るという作業工程です。

モノを運ぶということは「忘れる」「壊れる」ということがどうしても

付き物です。結果的に葬儀の現場でモノが無いという場面にこれまでに

何度も遭遇しているのです。

その時の対処の方法は

「あるもので対処する」ということです。

例えば仏教のお葬式で使う松明(たいまつ)がなければ、線香

で代用して貰う。祭壇の灯りが片方切れていれば両方切ってバランスを

とるという現場での対処は葬儀担当者なら誰もが身に着けている知恵

でした。しかしながら、モノに困らない葬儀会館でしかお葬式を

担当したことの無い担当者はこうした知恵が発達しないのです。

つまり、モノが無いと思考が停止してしまい、ひどい場合はパニックに

なってしまうのです。

考えてみれば、知恵というものは何か不便や困ったことがないと絶対に

出てこないものなのです。

地震などの災害に遭った人が不便を強いられた時に、何とかしようと

思った時に出てくるアイデアこそ、生きる為の知恵であり、この知恵が

失われるということは人間である前に動物としての存在が否定される

ことに繋がるものです。




パソコンの調子が悪く、メールを送れないという状況のなかで、仕事が

完遂できずパソコンの前で固まってしまう新入社員がいました。

要件を聞いてみると電話で充分に済む内容でしたので私が一言

「電話すれば」

と言ったら「そんなことしていいのですか」と。

経験があるとかないとかという問題というか「不便さ」の知らない

世代の人々の応用力の無さには「驚き」以上の衝撃があります。









  

Posted by フューネ三浦 at 08:35 │フューネ(会社)のこと

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2015年08月10日

お墓の相談会

先日、毎年恒例となっているこの時期にフューネのお客様に向けに

「お墓の相談会」をフューネ本社で開催しました。








死後の供養の方法が多様化している中で、従来型のお墓を選択される

お客様の需要は確かに減ってきていると感じます。しかしお客様と

いろいろお話をしてみますとこちらが思っている以上にお墓に関する

知識についてご存じ無い方が大半であることに気づくのです。

何事にもメリット・デメリットがあると思いますが、ことお墓に

関していえば、メリット・デメリットを明確に答えられる方はほとんど

いないのではないでしょうか。




お墓というのは私からすれば先祖が眠る場所というよりは精神的な

安定を頂ける言わば、パワースポットであるという考え方が今は浸透

してきています。結果的に気軽にお参りにいける場所が重宝される

ようになっています。一時代前は郊外のほうにお墓を必要とされる方が

多かったのですが、今は車の運転が出来なくなっても公共交通機関で

行ける場所を選択される傾向にあるのです。

お墓を作る作らないでいつも問題点になっているのは、誰が維持をして

いくのかということです。子や孫に負担をかけたくないと言ってお墓の

建立を諦めてしまう方もいらっしゃいますが、今は「墓じまい」

といって維持が困難であればお墓を閉じてしまうことも簡単に

出来るのです。



出来ことならば、お客様に正しい知識を持って頂き、お客様にとっての

デメリットを軽減するお手伝いをプロとしてさせて頂き、多くの方に

お墓を建てることのメリットを享受して頂きたいのです。

お墓の相談会は定期的な開催ですが、フューネでは毎日、お墓の相談

も受け付けています。些細なことでもご相談をお待ちしていますので、

疑問を疑問のままにしないで頂きたいと思います。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │フューネ(会社)のこと

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2015年08月08日

おまんじゅう

和菓子といえば小豆でつくったあんこのおまんじゅうが代表格ですが、

酷暑が続くこの時期はおまんじゅうは食べたくないものです。

実際に多くの和菓子店はこの時期は閑散期であり、夏はおまんじゅうの

需要は少ないものなのです。

葬儀会館においても夏はおまんじゅうをお召あがりなられるお客様は

少ないのに加え、お供物としてお供えで持って来て頂けるおまんじゅう

は高温の為にカビが生えやすく、大変に管理が難しいものです。

いくらお客様の持ち込みの商品であってもカビの生えたおまんじゅうを

会館内で提供することは絶対にあってはならないものであるのです。





おまんじゅうはやはり温かいお茶を相性がよく、冷茶を提供する

この時期はなおさらに食べたくないものかもしれませんが、そもそも

お葬式でおまんじゅうを召し上がることは年間を通じて大きく減少して

いるもの事実です。昔は冠婚葬祭の時にしか食べれなかった貴重な

甘いものであったのですが、今は巷に甘いものが溢れており、

何も葬儀の時に好んでおまんじゅうを食べなくてもいつでも食べられる

というものになってしまっているのは現実です。




おまんじゅうは昔は高級品であり、滅多に食べられなかったので、

今でも祭壇にお供えするといった習慣があります。

お供えをしてあったものを「お下がり」として頂くことで、

食べられるものであり、今でも祭壇に飾ってあったものを小分けして

お客様に帰りにお持ち帰り頂くようにしています。

それが今ではおまんじゅうに変わってゼリーとか焼き菓子などに

代用されるケースもあります。

また、おまんじゅうのお供えは昔から上用まんじゅう

決まっていたのが色とりどりのおまんじゅうに変化もしています。




もちろんおまんじゅうが好物の方もたくさんいらしゃいます。

フューネでは献供として、温かいお茶とおまんじゅうをお供えする

ことは結構あるのですが、お茶にせよ、おまんじゅうにせよ心を

ほっとさせてくれる素敵な食べ物です。


  

Posted by フューネ三浦 at 08:29 │お葬式の知識日々いろいろ

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2015年08月06日

朝食



最近の私は3日の一回くらいの頻度でホテルで朝食を食べています。

なぜこんなに多いのと思われている方もいらっしゃると思いますが、

出張でホテルに泊まる回数が増えたのと倫理法人会の経営者

モーニングセミナーに参加をしてその後の朝食会に参加するからです。

朝食が豪華なところもあれば、正直おいしくないところもあるの

ですが、ホテルの朝食といえば基本的にバイキング形式で食べ放題と

いうところがほとんどです。ホテル側からすれば朝の早い時間に人員の

確保をすることが難しいから人員が最小限でよいバイキング形式が

効率的であるし、お客様側にしても好きなものが好きなだけ食べられる

ことは基本的にうれしいことなのです。

しかしながら、朝食をホテルで食べる頻度が多くなると好きなものを

好きなだけ食べられるという環境は体重維持には非常に危険なこと

です。ついつい食べ過ぎてしまいます。しかも、大抵が決まったもの

だけになってしまいます。



個人的にホテルの朝食で外れの無いのは北海道や東北地方のホテルは

朝から本当に美味しいものが食べられます。新鮮な刺身や現地で採れた

ごはんや郷土料理。。。そういった意味では出張は楽しみなのですが、

やはり美味しいから食べてしまうのです。

本当はおにぎり1個2個もしくはパンくらいがちょうど良い量です。

その点でいけば、名古屋の喫茶店のモーニングサービスは適量であり、

毎日通っても飽きないという点では素晴らしいものだと思います。




さて、葬儀会館を運営していて一番の悩みは泊まられるお客様への

朝食の提供です。ホテルと違い数人のお客様のみの食事の提供は

つくりたてを提供しようと思うと原価ベースで考えてもおにぎりが

一個1000円くらいのコストが係ってしまいます。

お客様からお代を頂くにも高すぎますし、無料で提供するにも厳しいの

です。以前からお客様からの要望の多い朝食の提供ですが、今では

基本的に持ち込んで頂いています。

これが可能のなったのはフューネのほぼすべての葬儀会館の隣接に

コンビニが出来たことが一番の要因です。葬儀会館から歩いて行ける

ところにコンビニがあるというのはお客様の利便を考えると本当に

ありがたいことですし、結果的に葬儀会館を運営していく中で他の葬儀

会館との差別化にも繋がります。

日本の朝食も便利にしたコンビニの功績は大きいものだと思います。






  

2015年08月04日

士別市での交流事業

私が所属している青年会議所の事業で先日、北海道の士別市に行って

きました。青年会議所は40歳までの青年経済人の集まりです。今年で

40歳になる私の会議所としては最後の活動がこの事業となりました。

今回は豊田青年会議所と士別青年会議所が友好JCとして締結している

関係からの共同事業です。

士別市はトヨタ自動車の士別試験場があるという関係からのご縁で

青年会議所は友好JCとしてフューネの葬儀会館のあるみよし市は

士別市と姉妹都市を結んでいて、1500kmも離れている街ですが、

お互いに交流があり、多くの士別市民も豊田市・みよし市に来て

います。今回豊田市の小学生3年生から6年生までの20人を

豊田市から連れていき、士別市の小学生23人と計43人で北の大地で

ふれあいを持ちました。



カヌー体験






テント泊


農業収穫(トマト)








羊と雲の丘






クラフト作り



毛刈り体験



名物ギンギスカン


キャンプファイヤー


熱気球体験














記念植樹(桜)




撮影禁止なので写真はありませんが、普段は入れないトヨタ自動車

士別試験場での一周10KMの周回路を持つテストコースに特別に

見学を許され行ってきました。

あらゆる路面を想定したテストコースであることや4KMの直線では

地球の丸みを感じることができるスケールでした。



子供だけでなく大人も充分に満喫できた3日間でした。








  

Posted by フューネ三浦 at 08:26 │社長のプライベート

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2015年08月02日

笑顔



フューネの社員の行動に対して守るべき優先順位が定められています。

①笑顔②あいさつ③行動の姿勢
④専門知識の修得⑤仕事の効率


行動の優先するべき順位の一番は挨拶でなく笑顔であることが

フューネという葬儀社の最大の特徴かもしれません。



多くの方が口にされるのは

「葬儀社さんは笑っちゃいけないのでしょう」

というご質問。

お客様の全くの思い込みであり、間違いであるとここではっきり述べて

おきます。確かに葬儀のイメージには笑顔は不釣り合いではないか

と思われるのは仕方ありませんが、葬儀場において唯一の他人である

葬儀社の社員が難しい顔をしていれば、悲しい空気がさらに悲しく

なってしまうでしょう。それに葬儀社である前にサービス業であり、

笑顔はお客様と接する上で絶対に必要なことなのです。

最も通夜・葬儀の最中の笑顔は「ほほえみ」程度がTPOに合わせた

笑顔であり、いわゆる満面の笑みというものは不適切であることは

事実です。



遺影に使う写真も昔は証明写真のような写真を選ぶことが普通でした

が、今はとにかく笑顔の写真を選んでくれるようにお客様にお願いを

しています。人が亡くなることは遺された方々にとっては決して

愉快なことでないですが、お亡くなり方のイメージまで暗くする必要は

全くありませんし、むしろ悲しい葬儀の現場だからこそ、お亡くなりの

方の笑顔に救われるのです。



葬儀の仕事の最終のゴールはお客様の笑顔を取り戻す仕事

だと考えています。笑顔は誰もが可愛いもので、周りを

癒すものです。

大切な人を亡くした悲しみから立ち直った時のお客様の笑顔を想像して

今日も葬儀の現場で多くの社員がお客様の為に働いているのです。