2014年11月03日

商い

営利を目的とした法人が商業活動をすることを日本語では

「商い(あきない)」といいます。

「あきない」という言葉の響きは利害が対立する売り手と買い手の

ギスギスした心のひずみを埋めてくれるような優しさを秘めている

と私は思うのです。

近江商人の残した有名な商業道徳である「三方よし」

「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」

という商いに関わったすべての人が幸せになれる法則です。




商いの語源に遡ると昔、農家の方々が精魂こめて育て収穫した

実りを秋に織物などと交換したことによるものだとか。

秋に経済活動をしていたから「秋ない」なのです。

しかしながら 「商い」の本質は「空ない」なのです。

「空がない」ということはすべての人々が豊かになるという意味で

前述の三方よしは「空ない」を具現化する為の方策なのです。




居酒屋などのお店の入り口に「春夏冬中」と書かれた

看板ですが、これを「あきないちゅう」と読むことを知ったのは

大人になってからでした。「春・夏・冬」では秋という季節がない

ので「あきない」というダジャレだそうですが、これを知った時、

とても面白かったのを覚えています。ただ、秋に経済活動をして

いたという語源からは正反対ですね。



商売人にとって商いとは「飽きない」です。

仕事というものは一見単調な繰り返しのようですが、実は毎回

違う出会いがあり、ストーリーがあり、一度たりとて同じことは

ないのです。そして、商売人にとって商売は楽しいものです。

だからこそ、「飽きない」。

私たちの葬儀という仕事は単に「商売」という表現を使うと誤解を招く

ことがありますが、お客様との出会いは不思議な縁で繋がっている

のであり、あえて言葉で表現するならばお亡くなりになられた方が

結んでくれた「仏縁」です。

この「仏縁」が今日も誰かと繋がっていくからこそ、私にとって

「商い」は「飽きない」なのです。