2014年09月14日

役に立つ

人間が人間としての尊厳を保つことのできる一つの指針として

「役に立つ」というものがあります。

自分の行いや存在が誰かの為に役に立つことがわかった時に

人は喜びを感じます。

元々、私たちは生まれながらにして「働く」ということをDNAに

プログラミングされているのです。

「働く」とは「傍(はた)を楽にする」と書いて他人を

楽にしてあげることだという教えもあるのです。

当然のことながら生きていく為にはお金も大事なのですが、

「役に立つ」と思える自己満足こそ、一番の原動力に繋がるのです。

ですから人は働きは最上の喜びであり、働きによって得られた名声や

他人からの評価は自身にとって勲章そのものなのです。




お葬式は人生最後の大切な儀式であり、この世の卒業式です。

人の一生が働くことの集大成であるならば、この世の卒業式は

お亡くなりの方への敬意と感謝を表現するべきでしょう。

敬意と感謝をもっとも解りやすく表現できるのが弔辞であり、

故人の功績を偲ぶという厳粛な時間を形成できるものです。

洋の東西を問わず、世界中の宗教は故人への敬意と感謝が

体系的に整備されたのが各種宗教の儀式であり、経典であるのです。




最近のお葬式は明らかに故人への敬意と感謝が不足していると

思わずにいられないお葬式が増えています。敬意と感謝を表現

する為に大規模なお葬式を実施せよということではなく、家族葬の

ような小規模のお葬式でも故人への敬意と感謝を絶対に忘れては

ならないのです。どんな人でも生まれて亡くなる寸前まで誰かの為に

役に立っているはずです。生まれたばかりの赤ちゃんは両親に

最上の幸せを与えますし、瀕死の状態で病と戦っていても、子や孫

をはじめ有縁の皆様の精神的支えになっているはずです。

最近は葬儀はやらずただ火葬場で火葬をするだけ。お骨も収骨をしない

といった極限まで何もしないというお葬式の形態も誕生していますが、

人は「役に立つ」ことが最上の喜びならば、何もしないお葬式は

望んでもいけないし、実行してもいけないものだと思うのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 08:50 │フューネ(会社)のこと

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