2014年09月06日

辞書によると暦(こよみ)とは、時間の流れを年・月・週・日といった

単位に当てはめて数えるように体系付けたもの
となっています。

現代でいえば簡単にカレンダーのことでしょ。と言えてしまう

のですが、科学的な技術が未熟であったころはとても大変な

発明でした。特に人類が農耕を行うようになると、適切な農作業の

時期を知るのに暦は絶対に必要な重要なものとなっていきました。

これから冬を迎えるのに農作物を植えても育ちません。

古代文明の王様達は暦を支配していることが必要条件であり、

暦を支配することで安定した農作物を得ることが出来、ますます国が

繁栄する結果となっていったのです。



日本でも季節を感じることのできる二十四節気(にじゅうしせっき)が

あります。啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑

大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪

冬至、小寒、大寒、立秋、雨水
という言葉は天気予報などで聞いた

ことのある言葉だと思います。

二十四節気は太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、

その分割点を含む日に季節を表す名称を付したものなのですが、

実際にはまだ秋とは思えない暑さで「立秋」であったりします。

実際の気候とのズレが生じているのです。

このズレは年々大きくなっています。

温暖化の影響もあり昔よりも季節を感じることが出来なくなって

いるような気がします。日本の誇る四季という季節の移り変わりは

様々な文化を形成してきました。先人から受け継がれる教えは

季節の変化あるからこそ生まれた情緒なのです。

亜熱帯気候である沖縄県では季節は夏と冬しかないと地元の方が

言います。春と秋は一瞬であり、これでは日本の文化が生まれません。

しかしながら、最近は本州でも亜熱帯ではないかと思う気候です。

春と秋が無くなってしまったら・・・

それはとても大きな損失なのです。



フューネのお葬式では季節感を特に大切にします。

祭壇も春夏秋冬に合わせて季節の花を飾りますし、葬儀会館

全体で季節感を表現しています。

特に、表現が豊かになるのは春と秋。

古代から花の季節に死にたいと願う和歌は多数の人に詠まれて

います。そして、秋の紅葉は人生のはかなさを表現するのに

最適な自然の現象です。

これからも季節を大切にしていく為には暦の形骸化は防ぐ必要が

あると思うのです。











  

Posted by フューネ三浦 at 09:07 │日々いろいろ

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