2013年08月28日

聞く力

「人間の持つ基本的な5つの能力」とは

読む・聞く・話す・見る・考えるの5つがあります。

これらを磨くことは生きて行く為に必要なスキルの向上に繋がり、

とても大切なことです。

最近、基本的な能力として聞く力が劣ってきているのだとか。

通信手段も電話で長電話するといったことが激減し、代わりにメールでの

やりとりや、ブログ・ツイッターなどのSNSを使用した連絡手段が

増加しています。

これらは「読む力」は向上するかもしれませんが、「聞く力」は間違いなく

衰退します。結果的に人と人とのコミュニケーションが

苦手な人が増えています。





「聞く力」が苦手な人は知らず知らずの間にやってはいけない3つのことを

やってしまいます。

1つ目は「相手の話を途中で遮ってしまう」

2つ目は「相手の話を否定してしまう」

3つ目は「話している相手の顔を見ない」


聞く力を向上するテクニックは様々なものがありますが、

やってはいけない3つのことをやらないようにすれば聞く力は向上します。





話し方教室に行くとカリキュラムの内容は聞き方教室であったというくらい

「聞く」という能力が「話す」という能力向上の為に絶対的に必要です。

葬儀の現場においても全く同様でお客様の話を聞く能力の無い人はお客様に

あったサービスの提案はできません。

もっと言えば、お客様が直接言葉として発しない「心の声」を聞く力が

なければお客様が満足してくれるレベルのサービスにはならないでしょう。

お客様のしぐさやちょっとした目線の移動でさえ、心の声を聞く時には

重要なシグナルなのです。





とかく、生まれ持って携帯電話や電子メールがある若い世代の方々は

特に「聞く力」が弱いと言われますが、上達するには人と人の

直接の会話をするということの場数を踏むしかありません。














  

Posted by フューネ三浦 at 09:16 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(2)

2013年08月24日

女の財産

最近は書籍の出版も含め、講師として招かれ講義をして誰かに

何かを教えるという機会を大変多く頂くようになりました。

大変栄誉なことだと思うのと同時に私なんかが人に教えるなんて

という自問自答をする日々です。学生時代、人前に出ることは

あまり得意ではなかった私ですが、必要に迫られて気がつけば

人の前で臆せずお話しをすることが出来るようになってしまいました。

もちろん、人に何かを教えるということは自分自身がとても勉強を

しなければなりませんし、知識だけはダメで経験も絶対に必要です。

先日、ふと私が初めて講師として招かれて行った先はどこだったか

と頭とよぎり、そういえばある呉服店の社員研修であったことを

思い出しました。若干25歳の時、とても緊張したことを思いだしました。

テーマは「家紋と喪服」

ということで、駆け出しの頃必死で覚えた家紋のことと葬儀における

喪服について呉服店の社員の皆さまにいお話しをしました。





正直、今の葬儀業界では「家紋」の知識など全く必要がなくても十分に

通用する時代です。実際にフューネの社員教育でも家紋のことは

ほとんど教えてはいないのが実情です。

しかし、家紋も知れば知るほど面白く、自分のご先祖様や歴史を紐解く

中でとても重要な役割を果たしていると思います。



くわしくは「感動葬儀。」ブログでも過去3回書いています。
下記のリンクからご覧ください。

2009/07/03
家紋帳
 
2009/05/22
六文銭
 
2008/07/10
家紋










さて、喪服の家紋の面白いことはその家の家紋ではなく、嫁いできた

嫁の実家の家紋が入っています。お葬式の時、喪主の奥様の喪服の紋を

見れば奥様の旧姓さえも解ってしまうこともあるのです。

専門的には「女紋(おんなもん)」と言いますが、手鏡や鏡台、

箪笥をはじめとする花嫁道具にもことごとく入っていました。

現代は花嫁道具なんて言葉自体も死語に近いような婚礼がほとんどで

仮に実家から家具を持ってきたとしても、わざわざ家紋を入れる方は

まずいっらしゃいません。しかし、婚礼時に持参する着物(喪服)には

現代でもちゃんと家紋(女紋)が残っています。





では実家の家紋が入るのはなぜなのか。

それは「妻の財産である」ということを明確にするためです。

江戸時代は万一、夫が事業で失敗したとしても、妻の財産は

差し押さえからのがれることができました。

また、江戸時代は非常に離婚が多かったのですが、

家紋が入っているということで「これは私の財産です」と、

さっさと自分のものを持って実家へ帰ればよかったのです。

また、女紋の入った家具を男が売るということをすると

世間の社会的信用を失うといったこともあったそうです。

喪服に刻まれている女紋は「女の財産」だというアピールなのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年08月12日

経世済民

先日行われた参議院選挙で圧勝した自民党は参議院でのねじれ現象を

解消しました。安倍内閣の支持率も発足以来、高い支持率を保っている

のはいわゆる「アベノミクス」といわれる経済政策が国民に認められて

いるからでしょう。やはり、景気を良くして生活を安定させることが

一番の施策なのです。ただ、忘れてならないのは私たちの命を守る

国防施策があってからこその景気対策です。安心・安全が保証されない

限り、経済の安定は無用です。



さて、経済という言葉は「経世済民(けいせいさいみん)」

という言葉の略語です。言葉の意味は

「世をおさめて民を救う」

という意味であり、国民を救う数々の施策こそ真の経済だと言えるのです。





アベノミクスの反動として今、電気料金やガソリンをはじめ、食料品も

含めて物価が上がっています。物価が上がっていくならば、それ以上に

給与が上がって行くならば何も問題はないのですが、一部の方を除いて

果たして給与水準が上がっていくのかという心配があります。

本当に「民を救う」施策でなければ本物の経済ではないのです。




経済誌などで葬儀業界は「景気に左右されない業界」

とよく紹介されていますが、葬儀社を経営する私からみれば絶対に間違って

いると思います。フューネの歴史の中でも、一番利幅の多い時代はバブルの

頃でしたし、景気が悪ければやはり客単価は伸びません。

ただ、他の業種を比べて恵まれているのは景気が悪くなったからといって

葬儀件数が急激に減少する訳でありません。しかしながら、逆に景気が

良くなったといっても急激に葬儀件数が増えるものではありません。

つまり良い意味でも悪い意味でも葬儀件数は「安定」している

のです。

ですから、景気が良くなれば儲かるし、悪ければ儲からないことは

事実であり、他の業種を全く同条件なのです。

つまり、景気は良くなって欲しいと願うのは一緒なのです。








  

Posted by フューネ三浦 at 09:06 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年07月01日

死亡率100%

私の著書「感動葬儀。心得箇条」の中に書かせて頂いて

いますが、葬儀の持つ4つの役割として

「社会的処置」「遺体の処置」「霊魂の処理」「グリーフワーク」

に加え「死を認める」という項目を加え5つの役割があると

提唱しています。

葬儀の持つ4つの役割については2010年8月14日付ブログ記事

「葬儀の持つ4つの役割」をご覧ください。




「人は必ず死ぬ」

考えてみれば当たり前の命題ですが、私たちが元気なときは

このことを人は忘れてしまいます。

というか、考えたくもないのでしょう。

言い変えれば、人間は「死亡率100%」の動物です。

元気な私たちが、このことを改めて再認識する場としてお葬式があるのです。

そういった意味ではお葬式に参列することはとても意義があり、気力・体力が

みなぎっており、日々忙しい毎日を送っている私たちが自身の「死」について

立ち止まって考えるとても良い機会なのです。



人は必ず死ぬという宿命があるからこそ、今日の一会は生涯に二度とない

会だと思い、主客ともに親切実意をもって交わることが肝要であるという

茶道の心得を教えた「一期一会」という言葉が生まれるのであり、

時間が有限であるからこそ、一日一日の一瞬を大切にできるのです。



「人は必ず死ぬ」

という当たり前のことをいつも忘れないで生きる人とそうでない人の

人生の豊かさの差は一生という時間の中で大きな差となることを

いつもお葬式が教えてくれているのです。

  

Posted by フューネ三浦 at 09:14 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(2)

2013年06月29日

繰り上げ初七日

百科事典によると初七日とは死亡後7日目、またその日の供養行事。

「しょなのか」ともいう。死の忌みは7日ごとに明けていくものと

考えられていたから、初七日は最初の厳重な忌みの

明ける機会である。
と解説しています。

死者を供養する法要の中で、最初に行うという意味で非常に重要な

意味を持った法要なのですが、現代では実際に死亡後7日目に行って

いる方はほとんどいらっしゃいません。

火葬場から帰ってきてから、すぐに行ってしまうケースが今や一般的に

なっています。このようになった理由は親族・知人の方が近隣にいなくて

遠方に居住する人が多くなったからと言われています。

初七日はお亡くなりなられて7日後です。お客様がよく勘違いされている

のはお葬式の日から7日後だと思っている方がいらっしゃるのですが、

それは間違いです。ですから、お葬式が終わって2日後・3日後が

初七日法要の開催日となることが最も多く、遠方の方にとっては

一旦、帰ってもまた来なければならなくなります。

これは経済的にも、時間的にも不効率であり、こうした事情から、

大事な法要なのですが、お葬式当日に繰り上げて行うのが一般化して

本来の初七日の意味がわからない人々が増えていったのです。




最近では「式中初七日」という新しいやり方も増えてきました。

お葬式と同じ日に行う初七日がさらに繰り上がって、

お葬式の読経の中で一緒にやってしまうという荒業なのです。

ここまでくると、初七日の意味がまったく形骸化してしまうのですが

このやり方が一部のお客様から支持されるようになってきました。

支持される一番の理由は、「効率」です。

「初七日をおこなうのが面倒」

「宗教家のお礼を安くできる」

「楽だから」


そのような理由が「式中初七日」を選択されるお客様の理由です。




正直、今は何でもありの時代ですから、お客様が望まれるのなら

叶えてあげるのがフューネの役割だと思っています。

しかし、本来の初七日の意味を理解した上での選択なら文句は

言いません。「面倒くさいからやらない」という選択さえも選べる時代ですが、

自分というものをしっかりと持っていないと同時に何か大切なものを

失ってしまう危険性を持ち合せているのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年06月25日

地図を書く

初めて行くところには、目的地に行くまでに地図が欠かせません。

お客様のご自宅やお取引先へ訪問する時は住宅地図を確認しながら

必要に応じてコピーをしそれなりの準備をして伺いました。

しかしながら、最近ではカーナビゲーションやスマートフォンの

アプリに行きたいところを入力するだけで何も下調べをすることなく

目的地まで連れってくれます。

本当に便利になりました。




私が駆け出しのころ、修行先の会社では

「地図をコピーをすることが禁止」

という掟のある会社でした。

行きたい目的地までの経路を地図を使って調べ、自分自身で地図を

書いてそれを頼りに目的地に向かいました。

当初、該当箇所の地図をコピーをすれば、下調べに大幅に時間短縮

できる訳ですから、「なんて無駄なこと」なんて思いました。

単にコピー代を節約の為にこんな非効率なことをしているだと思って

いたからです。

地図を書き続けて一年くらい経った頃、その考え方は間違っていることに

気づきました。

その頃になると市内のほとんどの地図が頭にインプットされており、

市内どこでも地図なしで走ることが出来るようになっていたのです。

おかげさまで今でもそれは非常に役に立っています。

それからは「目標物から3件右隣」といった簡単なメモだけで

目的地に行くことが出来、ほんの一秒地図を見ただけの下調べで

目的地まで行けるという能力が私に備わりました。




地図を書くということは、目的地までに目標となる目標物をいかに多く

見つけてそれを記載するということです。

目標物をインプットすることができれば、出発地から地図を書く必要性は全く

無くなり、目標物から地図を書くことで目的地までたどり着くのです。

つまり、目標物を如何にたくさん見つけることができるかがすべてです。

目標物は大きな建物や、コンビニなどがわかりやすいのですが、

個人のお宅に行くにはそれだけでは不十分です。

地図を必要としない人になる一番の上達方法は

「交差点の名前を覚える」ことです。

これを目標物出来れば地図なしで何処へでもいけるようになります。

そして、個人の自宅に行くには、豪邸やアパート・マンション・ゴミステーション、

小さな公園を覚えることが大事です。



便利な世の中になり、地図を書くということはほとんどしないと思いますが、

苦労して書き続けることによって地図が不要になる。

やはり、究極はデジタル力よりアナログ力のほうが勝っているのです。













  

Posted by フューネ三浦 at 09:22 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年06月17日

変体仮名

最近、ほとんど使うことが無くなった仮名文字で

変体仮名(へんたいがな)と総称される文字があります。

下の図は変体仮名の代表的な文字の一覧ですが、私は一文字一文字を

を表を見て解読しなければ全くわからない領域です。



平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の

学校教育で用いられていないものを変体仮名と呼んでいますが、

現代では看板や書道など限定的な場面でしか使われていないのが実情です。

しかしながら、葬儀社はこの変体仮名の一覧表をしばし仕事で使うことが

あります。それは人の名前に使われている場合があるのです。

現代では戸籍上の人名には変体仮名を使うことができませんが

1948年(昭和23年)の戸籍法施行までは変体仮名が戸籍上の人名として

使うことができたのです。

つまり、1948年以前に生まれた方、特に女性は本名が変体仮名である方が

結構多いのです。

この変体仮名が含まれている方がお亡くなりになると、お葬式に使う看板類や

会葬礼状をはじめとする印刷物に使用するのです。

一般的なコンピューターのフォントに変体仮名が収録されていないので、

このような変体仮名を使う時は、一文字づつ作るという作業が発生することが

あります。変体仮名に対応するには結構な苦労があるのです。

このようにして変体仮名が本名の方のお葬式にも対応しているのです。




当然のことながら、役所に提出する死亡診断書も変体仮名で提出します。

一覧表を見ながらお客様の代筆をするときは何度も別の紙に書いて

練習をして書いたことは良き思い出です。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年04月30日

遷宮

いよいよ、5月10日に縁結びの神様として知られる出雲大社で

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が修造が完了した御本殿に

お還りになる「本殿遷座祭」が営まれます。

神様の引っ越しのことを遷宮といいいますが、今年は伊勢神宮と

出雲大社の両方が遷宮をする「当たり年」と言われています。

日本という国を作ったと言われているそれぞれの神様が同時に

引っ越しをされる訳ですから。何ともめでたい年なのです。




出雲大社の遷宮は今回で4回目。およそ60年に一回行うものと

言われています。これに対し伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度です。

ちなみに「式年」とは「定期的」という意味です。ですから式年遷宮とは

定期的にあらかじめ決められた年数で神様が引っ越しをするという意味

になります。

実は出雲大社の遷宮は式年遷宮ではないのです。

それは、出雲大社においては概ね60~70年ごとの周期で神社の正殿が

建て替えられてきましたが、その建て替えが必ずしも定期的では

ないからなのです。

ですから、あくまで次は60年後だろうということで、伊勢神宮と出雲大社の

両方が揃って遷宮を迎える年というのはとても珍しいことであり、もしかしたら

このブログを読んで頂いている皆さまにとって生きている間にこのような年に

あたるのは最初で最後のことになるでしょう。




伊勢神宮のご祭神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)ら

高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国(日本)を統治すべきは、

天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」として、天から天照大御神の子孫が

降りてきた時にそれまで日本を統治していた出雲大社のご祭神である

大国主大神が自身の宮殿建設と引き換えに国を譲りました。

これが「国譲り」と呼ばれる神話であり、この時約束をして

作って頂いた宮殿が出雲大社なのです。

大国主神はその後すぐに自決してこの世を去りました。

そして、幽冥界(あの世)の主、主催者となったのです。

神話では「伊勢は日が昇る国であり日本の昼を治める国」といわれ、

「出雲は日が沈む国であり日本の夜を治める国」と言われています。

日本地図を見ると確かに伊勢の方角から日が昇り、出雲の方角に

日が沈んでいきます。

この世とあの世を守る神様が私たちを守ってくれるという考え方が

私たちが伊勢神宮と出雲大社の両方を特に大事にしている

理由なのです。

  

Posted by フューネ三浦 at 09:07 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年04月12日

うかつあやまり

「うかつあやまり」という江戸しぐさはご存知でしょうか。

江戸しぐさとは江戸時代に生まれた商人道、人の上に立つ者の哲学として

語られる「しぐさ」の総称でありその数は八百とも八千とも言われています。

江戸人の知恵が教えのなかにちりばめられており、現代に活かせる教訓は

多々あるのですが、その中の代表的な「しぐさ」と一つとして「うかつあやまり」

という「しぐさ」があります。

たとえば人に足を踏まれた時、踏んだ人はもちろん謝りますが、踏まれた人も

「こちらこそうっかりしまして」と、口には出さなくともそぶりを見せると、

その場がなんとなくいい雰囲気になります。江戸ではこういったしぐさを、

「うかつあやまり」と言いました。

現代においても電車の中や、人ごみの中でこのような場面に出くわすことが

多々あります。

しかしながら、近年の日本人は「うかつあやまり」が自然に出来ない人が

増えているように思います。

出来ていないからどことなくギスギズしたトラブルが多いように思うのです。

お葬式の現場でもそう。焼香の列に横入りしたしないといった参列者の

揉め事や焼香順位の順位や名前が違うと言って喪主に言いよる親族達。

うっかりミスをしてしまった人のことを気遣う心もなくただ責任を追及したり

非難をすることは非日常のお葬式の場には特にふさわしくないように感じます。




江戸しぐさは粋な文化だと言われています。

粋とは現代語訳をすれば「かっこいい」という意味に訳せます。

マナーとは相手を気遣う心から生まれています。

みなさんには粋な人間であってほしいものです。

特にお葬式の時の粋な振る舞いを願ってやまないのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:06 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年03月17日

食と文化

これまでに1000本以上の記事を書いてきて、最も登場することの多い

キーワードは「葬儀」ですが、次に多いのが「食」に関することでした。

気がつけば、私はらーめんを食べたという記事から冠婚葬祭における

食の有り方まで本当に幅広い食の分野をブログの記事として

書いているのです。

改めて述べるまでもなく「食」は私達にとって最も身近な存在であり、

生きて行く為には絶対に必要なものです。。

食事とは、基本的には栄養、すなわち人間が生命を維持し活動し

成長をするために必要な栄養素を摂る行為だからです。

しかしながら、単に栄養を取るだけに食は存在していません。

味を楽しむためなど、様々な目的や意味を込めつつ食事をしている

ことは誰もが理解していることと思います。

これが食にまつわる「文化」なのです。

食事の時刻、回数、食事の種類、調理法、食べ方には、

食事をする人の文化や宗教が反映されます

冠婚葬祭での食事の作法はまさに日本の文化そのものであり、

外国においても同様に、食事の作法がその国の文化になるのです。




戦後、戦敗国である日本は戦勝国アメリカのGHQに占領中において

徹底的な国体破壊工作が施されました。

GHQの破壊工作は食文化にまで及んでいたのです。

相手国の文化を破壊するには

一番身近な食文化を壊してしまえばいい

ということで、ハンバーガーに代表されるファーストフードを導入したのです。

学校の給食で米だけでなく、パンが出てくるようになったのも、GHQの

占領政策以降なのです。

本来日本人の生活や身体にあった食べ物とは違う食文化に触れることに

より欧米型の食文化に触れることになりました。

もちろん、欧米型の食文化の良さもありますが、結果的に日本の食文化が

GHQの狙い通り、忘れ去られようとした時期がありました。

ちょっと恐ろしいお話でした。




これからも大切な日本の文化を守る為には

食と文化が密接に関係している

ことを私たちは再認識しなければいけません。







  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年02月06日

制約

消費税の増税や相続税の税率見直しなど、少子高齢化社会の中で

日本という国が安定して維持するする為に必要なお金について今

マスコミが連日報道しています。

出来ることならならば、自分の所得の中から税金は少なく、自由に使える

お金が多いほうが良いと思っている感情は誰しも持っているものであり、

このバランスが崩れることが時として国家の崩壊に繋がることはこれまで

の歴史が証明しています。





上の写真は代表的なオランダの街並みの様子です。

隙間なくビルが並んでいます。その昔アムステルダムでは税金を

家の窓の数(窓税)や間口の広さ(間口税)で決めていたので、

間口は狭く奥にひょろひょろと長い、いわゆる「うなぎの寝床」のように

家が建てられています。

これも生活の知恵というか節税というか税金という制約があったからこそ

出来たオランダを象徴する街並みになったのです。





日本には制約の上に生まれた文化がたくさんあります。

例えば2010年11月17日付ブログ記事「折り紙」でご紹介した折り紙

折り紙における制約とはまず「正方形の紙」を「糊」と「はさみ」を

使わずに「折る」という行為だけで形を作っていくということです。

おそらく外国人は紙で何かを製作しようとしたら「折り紙」の制約に

耐えられずに糊やはさみを使ってしまうでしょう。

次は歌舞伎

かぶきは女性が始めたものにも係わらず、幕府の禁令によって

女優というものが一切禁止されたために男だけが演じるもの

になってしまいました。制約があるがゆえに男性が女性を演じるという

日本的な芸能になったのです。



最近では飲酒運転の厳罰化により、「制約」があったからこそ生まれた

商品として「運転代行」「ノンアルコールビール」などが

あげられます。本当に人間は世の中にある制約によって無限の知恵が

生まれてきます。すばらしいことだと思います。




さて、お葬式においてはお客様が敢えて制約をかけることが近年流行って

います。

「家族葬」はお葬式の参加できる資格の制約をかけていますし、

「香典辞退」は参列者が香典を出すことに制約をかけています。

制約をかけられると考えることは制約の中で本当にいろんなことを

考えます。

香典を受け取って頂けなければ、お花を出すとか。

家族だけしか参加できない家族葬ならば、後日、友人が主催する

「お別れ会」え開くとか、本当に様々な対応です。

私にとって「制約」そのものの家族葬の普及は「制約」に打ち勝つ新商品が

生まれる大チャンスなのです。




  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年01月27日

おじぎ

イタリアセリエAのインテルに所属する長友選手の

「おじぎ」パフォーマンスが現地のファンの間でも

人気になっています。

「おじぎ」は自分の首を差し出して、相手に対して敵意がないこと

を表現したことに由来するといわれますが、日本流の礼節の一つ

で日本人にとって握手以上に頻繁にかつ、美しく相手に敬意を払う

礼法です。



礼については
2010年7月9日付ブログ記事「黙祷と黙礼」
2010年12月19日付ブログ記事「礼儀」
をご覧ください。


礼(れい)とは、中国の春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が

付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級

秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになりました。

観念的な意味が日常生活の中で行われる様々な行事のなかで

規定されている動作や言行、服装や道具などに意味合いを持たせたのが

礼なのです。





「おじぎ」は日常でも大切なツールですが、冠婚葬祭においてはさらに

意味合いが重要になってきます。

おじぎに15度の角度で曲げる「会釈」や30度の角度で曲げる「敬礼」

45度の角度で曲げる「最敬礼」などの種類がありますが、

天皇など非常に身分の高い人物と交わす時には、90度腰を曲げることも

あります。

この90度の「おじぎ」は葬儀においては亡くなった人に対する敬意でも

使われ、言ってみれば天皇に敬意を払うのと同格なのです。

冠婚葬祭において使う90度のおじぎの対象物は神(死者を神と捉える)に

対してであり、この意味合いが各種の宗教儀礼に発展していったのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:02 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年01月11日

賽の河原

賽(さい)の河原を知っていますか?

三途の川の流れを前にしてほとりにたつと河原が見ます。

子供達がたくさんいて川を渡れずに小石をしきりに集めているのです。
 
ここにいる子どもたちは,この世の考えで言えば決して

悪事を犯した子どもたちではありません。
 
ただ、10を数える年齢にならないうちに,死んだ子どもたちなのです。

生まれてわずかな期間の生しか送らず,

先に死んで父や母を悲しませた事が罪なのです。
 
子供は生まれて間もないため功徳をつむ時がなかったために三途の川を

渡ることが出来ません。



渡れない子供たちがなぜ石を集めているかと言えば、賽の河原を

支配している鬼にこう言われたからなのです。

「日の出から日の入りまでの間に,大きな石を運んできて塚を築き,

日の入りから日の出までの間に小さな石を拾って塔を築けば

川を渡らせてやろう」と。

しかし、子供たちが一生懸命積み上げた石も何度も鬼が崩します。

このことから「無駄の努力」の例えにもなっています。




子が親よりも早く亡くなるのは最も重い親不孝です。

ましてや、10才に満たない年齢で亡くなることの親の悲しみは

いかばかりかと思います。

「子供が亡くなることは絶対にいけない」

仏教の教えでは幼くして亡くなることをはっきりと罪として明記しているのです。







  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2013年01月07日

お念仏とお題目

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」

を唱えることによって極楽浄土に行けるという教えを理念にしている

宗旨は浄土宗・浄土真宗系を中心に数多く存在します。

「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀さまに帰依(きえ)します。」

という意味で帰依するとは「信仰」という意味です。

つまり、「阿弥陀さまを信じます」と唱えているのです。

繰り返し唱えることを「念仏(仏を念じる)」といい、

お念仏と言っています。

お念仏を唱えることで、この世では普通の人があの世では

「仏様に成れる(成仏)」というありがたい教えです。





この教えに真っ向から反論した人がいました。その人は日蓮です。

日蓮はそんなことで成仏できるのかということで、成仏する為には

最高の経典である「法華経」に帰依すればいいと考えました。

つまり、「法華経を学びなさい」ということなのです。

しかしながら、他方「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に行ける

という教義があるのに、法華経を一字一句覚えることを信者に要求する

のにはいささか負担が大きすぎます。

そこで、法華経の力を借りるには法華経の正式名称である

「南妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」

と唱えれば良いとしたのです。

「南妙法蓮華経」はあくまでも経典の正式名称ですから、これを繰り返し

唱えてもお経の題名を言っているに過ぎないのです。

ですから「題目」といい、「お題目を唱える」と一般的に言っています。




今の日本人はお念仏とお題目の違いが分からない方が多いのです。

しかしながら、違いがわかれば「お念仏」と「お題目」の違いは明確です。

ただ、共通しているのは本来厳しい修行を行わなければ「成仏」できなかった

のが、とても簡単に出来るということです。

この手軽さが受け、日本中に広まっていったのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:01 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年12月05日

1000年続くコトバ

今年も数々の新しい新語流行語が生まれました。

葬儀業界に関連する「終活」という言葉もグランプリとは

いきませんでしたが、2012年ユーキャン新語・流行語大賞の

ベスト10に選ばれました。

葬儀に関連する言葉がベスト10に入るということはこれまでではありえない

ことです。お葬式のことを考える行為そのものが「縁起が悪い」と

敬遠されるものではなくなり、市民権を得ている証拠です。

加えて、昨年も「無縁社会」という言葉がノミネートされ、

2年連続で葬儀関連の新語が選ばれたことは葬儀を取り巻く環境が

大きく変化してきた証です。

今年、ブレイクした「終活」という言葉が今後生き残っていく為には、

お葬式についてもっと多くの方に興味を持って頂く環境が必要です。




言葉はその時代に合わせて新しい言葉が生まれたり、反対に死語に

なっていくものがあります。

その中でどんな時代になっても変わらない言葉もあるのです。

例えば、「楽しい」という言葉は712年に古事記に初めて出現します。

少なくとも1300年以上は使われているのです。

他にも「美しい」という言葉は715年ごろ播磨風土記に出現し、

1297年以上使われています。

「敬う」という言葉は753年仏足石歌に出現し、1259年以上

使われています。

1000年以上も長きにわたって言葉の意味や響きも変化することなく

使われる言葉というものは人間が大切にしている価値観そのものだと

思うのです。




言葉には本来の意味とはかけ離れた使い方をしている言葉も

たくさんあります。

変わりゆく時代の中で時代に合わせて変わっていくことも素晴らしいことだと

思うのですが、「変わらない」ということはもっと素晴らしいことです。

きっと1000年以上使われた言葉はこの先も変わっていくことはないのでは

ないでしょうか。

願わくば、フューネという会社もそうありたいものです。


  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年11月27日

エビやカニなどの豪華な具が入ったうどんやそばや具だくさんの

お味噌汁などはとても美味しく贅沢な気分になります。

私がよく行くCoCo壱番屋のカレーなどは選ぶトッピングに毎回

迷ってしまうくらいの種類があり、それを組み合わせることで味が

変えられるという楽しみがあります。

しかしながら、うどんやそば・味噌汁からカレー至るまで本当に

豪華さ具の多さがうまいマズイの決め手でしょうか。

本来多くの日本人は素材そのものを楽しむことが

大好きなのです。



うどんなら「かけうどん」。そばなら「ざるそば」。

カレーもカツなどの乗っていないスタンダードなカレーライス。

つまり、「素(す)」が大好きです。

実際に初めていくうどん屋さんラーメン屋さんで頼むのはほとんどの場合

スタンダードなメニューです。




お葬式という商品メニューも本来はスタンダードな「素のお葬式」

しかなかったはずなのですが、最近はトッピングの数も恐ろしい程

増えています。

お客様にとっては個性的なお葬式のプランが出来る一方、ある程度の

商品知識がないと入れるものがぐちゃぐちゃになってお葬式本来の味が

わからなくなってしまうということもチラホラと見受けられます。

そうならないように、セットプランという推奨プランを用意しているのですが、

セットプランは不要なものを葬儀社が売りつけるということでメディアが

「悪徳葬儀社」の代表例として取り上げてしまいます。



私が考える理想の形は「素のお葬式」に自分のこだわりのトッピングを

数点加えること。

素のお葬式を味わいながら、自分らしさを演出できる

絶妙なバランスなのです。



  

Posted by フューネ三浦 at 09:16 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年11月23日

産霊

葬儀社という立場からお葬式を見ていると、本当に一人の人間の命は

尊く、また近親有縁の皆さまにとって代替品が全く存在しない唯一無二の

ものであることに毎回気づかされます。

お亡くなりの方を中心に家族の絆や職場・友人との固い絆がそこに

あることを実感せずにはいられないのです。

同時にお葬式が大切な命を次の世代の方に受け継いでいく儀式でも

あることに気づきます。

喪主を務める息子さんや娘さんは言ってみれば、故人が間違いなく

生きていた証としてこの世に残した作品であり、故人のDNAを

受け継いで子から孫・・・そして、末代まで続いていくのです。




命を伝えていくことを「結び」といいます。

結びとは文章の終わりの言葉とか締めという意味でも使いますが、

神道の考え方では産霊と書いて「むすび」と読みます。

神さまの名前の中に「ムスヒ(ムスビ)」が含まれている神様は

万物を作り出す神様なのです。

例えば宮中を守る八神殿(はっしんでん)には

「ムスヒ(ムスビ)」と名前のつく神様が8人中5人もいるのです。

神産日神(カミムスビ)と高御産日神(タカミムスビ)、

玉積産日神(タマツメムスビ)、生産日神(イクムスビ)、

足産日神(タルムスビ)


天皇を守護することで、ひいては国家も守護するとされる八神は

日本という国を創り出た神様たちなのです。



自分の命を産霊(むすび)で出来た男の子のことを「ムスコ」といい、

女の子のことを「ムスメ」と言います。

命をつないでいく(結んでいく)ことは次の世代に自分の生きた証を

残していくことなのです。

人生の「結び」がお葬式であるということは、

お葬式は終わりであると同時に始まりなのです。





  

Posted by フューネ三浦 at 09:03 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年11月11日

供花

お葬式にはお花がつきものです。

お花の全くないお葬式というのは全くといっていいほど存在しません。

どんなに淋しいお葬式でもたった一輪のお花でも飾ってあるものです。

地域によっては生のお花が手に入りにくいところでも造花のお花を飾ります。

生のお花が無いからといってお花を飾ることが全くないお葬式は基本的に

ありえないのです。



仏あるいは死者に供える花のことを供花(くげ) と言います。

一般的には「きょうか」と読むことが多いのです。

また、供華とも書き、「くうげ」とも言います。

仏教は発生当初から花と深くかかわっていて、教典にもその功徳(くどく)が

説かれています。

お花は仏の供養の第一とされたのです。

ですから、90%以上が仏教式のお葬式である日本ではお葬式と

お花は切っても切れない関係なのです。

実際に日本の生花の消費の内、約40%のお花がお葬式で

使われているのです。

ですから、生花業を営む場合、葬儀社を顧客に持っているといないとでは

経営的に大きな影響力をもたらします。




ところで、家族葬の増加により以前のようにお葬式のお供えする

お花の需要が全国的に減少しています

祭壇の小規模化や喪主の意向により、供花辞退のお葬式も増えています。

おかげで花屋さんは今、本当に経営が大変なのです。

お葬式にお供えするお花が全く無くなることはありませんが、お供えするお花

のボリュームは大幅に回復することは相当困難なことだと思います。




  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年10月12日

おもてなし

接客業の中で日本流「おもてなし」が世界から注目されています。

モノづくりだけでなく、日本人ならではの「相手を思いやる心」

がストレートに入った「おもてなし」は世界のサービス業の

最高級ブランドになり得るのです。




「おもてなし」の語源は「物を持ってなす」です。

つまり、料理や空間演出などモノを使ってお客さまを歓待することです。

代表的な「おもてなし」の精神は日本の文化の総合芸術ともいえる茶道です。

茶道の「おもてなし」である「一期一会」の考え方はサービス業において

本当に素晴らしい考え方なのです。



これに対し、欧米では「ホスピタリティ」という考え方が発祥です。

ホスピタリティの語源は、ラテン語のHospics(客人等の保護)です。

Hospicsが変化したHospitality(ホスピタリティ)は

「客人の保護者」「歓待」を意味します。

それが英語のHospital(病院)Hotel (ホテル)Hospice(ホスピス)などの

言葉に変化したと言われてます。


詳しくは2012年6月19日付ブログ記事「フューネのサービス姿勢」

ご覧ください。


おもてなしはすべてのお客様が対象ですが、「ホスピタリティ」は

助けを必要としている人が対象です。

もっとも、「おもてなし」も「ホスピタリティ」もサービスの内容として、

ほぼ同義語として使用していますが、わずかな違いとしてはこのことだけです。

しかしながら、微妙なわずかな差が日本らしさであり、「おもてなし」の心は

世界最高ランクのサービスレベルであると断言できるのです。






  

Posted by フューネ三浦 at 09:06 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)

2012年10月10日

一日に555人の減少

平成24年版厚生労働白書によると

日本で1日に生まれてくる人数は2879人で、

亡くなる人は3434人になっているそうです。

つまり、一日に555人ずつ人口が減少している国が

現在の日本なのです。

日本の国の人口が減少に転じてしまってから、年々減少する人数が増えて

きています。

これからはさらに、減少するペースが加速していくのでしょう。

ちなみに、現在の日本では1日あたり自殺をする人は84人

今日も日本のどこかで84人の方が自らの手で命を絶っていることに

なんとなく暗い気分になるのです。



ただ、2879人の新たな生命の誕生にきっと一万人以上の歓喜がある

一方で、命を失って悲しむ人も同数くらいいるのも事実。

そして、フューネで一日1件以上のお客様の死と真剣に向き合っています。



「命」の語源は「息のうち」という言葉が変化したものです。

つまり、生まれてから死ぬまでの間のことなのです。

今日生まれて来る命も、今日失う命も数字がはっきりと刻んでいるのです。  

Posted by フューネ三浦 at 09:00 │役立つ雑でない雑学

コメントをする・見る(0)